死神
風の強い夜。月明かりは厚い雲に遮られほとんど地上に射していない。
人気のない路地を俺は駆け抜ける。
右へ、左へ、何も考えずにただめちゃくちゃに。
突如現れた、ぶっ壊れた現実から逃げるために。
「私を助けて」
所どころ破れた黒いローブを身にまとい、身の丈程の大鎌を手にした少女がそう呟いた。
道の脇に立てられた古い照明灯がチカチカと点滅する。それに合わせて少女の足元が照らされる。
真っ赤な水たまり。そして、周りに横たわる数えきれない死体のようなもの。
フードを深く被っていて表情は見えないが、そこから覗く二つの薄緋色の眼が俺をしっかりと捉えている。
「私を助けて」
抑揚のない、恐ろしく無機質な声でもう一度。
血に塗れた鎌。血だまりの道。血に染まった死体。
俺の脳が、非現実的な情報を処理しきれずにパンクしかけている。
「お前、何なんだよ……」
震える唇で何とか言葉を絞り出す。
「私? 私は、アリア」
何を思ったか、急に名乗りだす少女。俺の聞きたいことはそんな事じゃない。
「そうじゃなくて……、その死体とか、持ってる鎌とか、あと私を助けろとか一体どういう意味なんだよ!」
少女が一旦俺から目を離し、足元の死体、手に持つ鎌、そしてまた俺へと視線を戻した。
「この鎌は私の武器、この転がってる人達は帝国の追っての人」
武器? 帝国? 意味不明。この時点でもう何が何だか訳が分からなかった。考えるのもめんどくさい。そう思った。
「助けてほしいってのは、簡単に言えば魂を分けてほしい」
「ごめんなさい、ほか当たって貰えますか」
考えるのはやめた、だが死ぬのはごめんだ。
言うや否や、陸上選手宜しく全力で走りだした。
「え、待って。殺すよ?」
背中から全く冗談に聞こえないお言葉を頂いて、俺は更に速度を上げる。
どれほど走り続けていただろうか。額に大量の汗が滲む。
どうやら住宅街から離れてしまったようで、既に使われなくなってしまった廃工場が目に入った。
窓ガラスはひび割れており、周りには雑草が無秩序にその葉を伸ばしている。雲からまばらに射す妖しげな月光が、工場を一層不気味なもののように照らし出している。
他に身を隠せそうな場所も見当たらなかったので、俺はその工場の中に入っていった。
中に入っていくと思っていたよりも狭く、奥に鉄パイプが無造作に積まれているのがわずかにわかる程度の明るさしかなかった。更に奥に進んでみると、鉄パイプは強く押せば子供でも崩せそうなほど適当に積まれているように見えた。錆びた鉄の匂いが鼻を突く。あまり長居はしたくないな。
入って右側の壁に背を持たれかけさせた。入口から見ると、使われなくなった機材に俺が隠れる位置だ。
外はまだ漆黒に包まれている。夜明けまでにはまだ時間がかかりそうだ。
安全を確保した俺は、ふぅっと息を漏らし、汗を拭う。
夜中にコンビニになんて行くもんじゃないな。大体、深夜番組であんなおいしそうな料理を出すスタッフの気がしれない。今度しつこくクレームでも入れてやろうか。そんな冗談も思えるほど余裕も出てきていた。
もしかしたら、さっきのは空腹が生み出した幻覚なのではないか。いやしかし、妙に現実味もあったような……。
ぐうぅと俺の腹が鳴る。こんな時でも腹は呑気なもんだな、と口元を緩ませる。
「腹減ったな……」
「うん、私も」
「お前もか……ってうおおおいい!」
突如現れた謎の声に驚いて、横に飛び退いた。その時に鉄パイプに肩を強くぶつけたが今はそれどころではない。
肩を押さえながら声の主を確認する。黒いローブ。背中に大鎌も確認できる。フードは脱いでいて、透き通るような銀髪が肩に垂れている。そして対象を射抜くかのような緋色の眼。今は和らいでいるように見えるが、それでも何とも言えない迫力が感じられる。
「お前っ、いつから……」
「いつからって、ずっと」
なんということだ。俺は自ら逃げ場のない空間に入ってしまったというのか。
冷静さを欠いた頭で必死に生き残る術を探す。死神のような風貌、魂を分けろ、間違いなく話し合いで解決はできないことは理解できた。
無理だ。この位置ではかわして逃げるのは不可能。戦うなんてもっての外。
嫌に冷たい汗が、こめかみ、頬、顎と伝っていくのが感じられる。そして、顎から離れようとする、まさにその時だった。
後ろから何かが激しくぶつかり合う音がした。さきほど肩をぶつけた時に、絶妙なバランスで積まれていた鉄パイプがそのバランスを崩したのだった。
振り返った時には、既に無数の鉄槍が眼前いっぱいに広がっていた。
――――死――――
俺の意識はそこで途絶えた。