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声の方向を見上げたあたしの横に立ちはだかるその姿。
ジーンズを履いた長い足、黒いパーカーとハイネックのシャツ、長めの茶髪。
ああ、やっぱりいつもと同じ服着てる。
それでも、あたしは嬉しかった。
死んでる筈の孝之が、今、あたしの横に立っているその事実!
「おい、恵理っぺ! 何だよ、あの人? 何でお前のこと恨んでんの?」
へたり込んでるあたしを見下ろして、孝之は怒鳴った。
血色の悪い白い顔に、琥珀色の瞳と色素の薄い茶髪が妙に似合っている。
間違いなく孝之だ。
イケメンでも融通が利かなくて、理屈っぽくて、一途だった孝之!
死んでる筈なのに、すごい生気を感じるのは気のせいか!?
「わ、分かんないの。なんか、あたし、逆恨みされてるみたいで。あたしに弄ばれたって言ってるらしいんだけど。でも、孝之、あんただって……」
死んでるんじゃないの!?
と、いう疑問は取り合えず、口に収めた。
要らん事言って、帰ってしまったら元も子もない。
帰るにしても、あのモンスターと化した執事さんだけはどーにかしてもらわなければ!
「弄ばれたぁ? お前、また何の気なしに男に気を持たせる事したんじゃねーの!? 気のあるフリして近付いてから、実はそんな気ありませんでした、みたいな?」
意地悪そうに横目であたしに視線を落としながら、孝之は鼻で哂った。
奇しくも、今日裕香ちゃんに言われたのと全く同じ言葉が孝之の口から出て、あたしはぐっと返事に詰まった。
「う……、なんで、そう思うのよ?」
「なんで? よく言うよ。俺も最初はそれで引っ掛けられたじゃん。ってか、今はそれどこじゃねえだろ!」
孝之の怒鳴り声に、あたしもハッとして前方を見た。
孝之が降臨した時のショックで、吹き飛ばされてカウンターに激突した執事さんは、頭を振りながらヨロヨロと起き上がった。
カウンターにもたれるように何とか立ち上がると、再び、あたしの方に向かってズルズルと足を進めた。
その歩みは、ゆっくりではあるけど、ダメージを受けたようには見えない。
ゾンビのようなしぶとさに、あたしはゾクっと寒気がして、思わず孝之の足にしがみ付く。
「ひっひえええ! こっち来るよ! どーしよ、孝之!?」
「あの人の中になんか入ってるだろ? まず、それを出さないと……。お前、ちょっと蹴り入れてこいよ」
「や、やだよ! それができるくらいなら、最初からあんたなんか呼ばないって!」
「あんだと、てめー! せっかく来てやったのに、何だよ、その言い草は、あぁ!?」
生前と全く変らないあたし達の気の合わなさ。
こんな時なのに、やっぱり別れたのは正解だったのか、なんて思ってしまう。
その間にも、口を血まみれにした執事は、ズルズルとこちらに歩みを進めてくる。
それを見つめて、孝之はチっと舌打ちした。
「しょーがねえなあ。恵理! ちょっとじっとしてろよ」
「え!?」
その瞬間、目の前が真っ白になった。
体が突然、動かなくなって、あたしは思わず座り込む。
昨日の金縛りと同じような感覚だ。
自分の体なのに、自分の力でコントロールできない。
なのに。
あたしが動かしてない筈のあたしの体は、スクっと立ち上がった。
動かしてない筈のあたしの両手は勝手に組み合わされ、格闘家のようにボキボキと音を鳴らす。
「ちょ、ちょっと、孝之!? コレ何!?」
『お前の体、借りてる。ちょっとの間、大人しくしてろ』
孝之の声があたしの頭の中から響いてくる。
自分の意思とは無関係に動く自分の体と、テレパシーみたいに響いてくる彼の声。
その初めての体験に、あたしは気分が悪くなった。
「ジョーダン止めてよ! 気持ち悪いじゃん! 指鳴らすと太くなるから止めて~!」
『しょーがねえだろ!あいつが人間の体の中にいる以上、こっちも生身の体で対応しないと。お前はいいから、力抜いてろって。さもないと、自分の手でいやらしい事させるぞ』
「エロオヤジか!?」
完全にあたしのコントロールから離れたあたしの体は、手始めに屈伸をして、アキレス腱を伸ばした。
両腕をグルグル回して、不自由なく動くのを確認すると、ニヤリと顔を歪ませて笑った。
自分の顔なのに、今までした事もないような悪い顔で笑っているのが分かる。
このニヒルな笑い方はイケメンの孝之には似合ってても、35歳の女子のキャラじゃないだろ!
『すげえ! こんなに上手く融合できたの初めてだ。恵理と体の相性、良かったからかな?』
感心したような孝之の弾んだ声が頭の中に響いてくる。
「何それ? 体の相性がいいと乗移り易いの?」
『理由は分かんないけど、いきなり初対面の人に移ろうとしても上手くいかない。あの人みたいに動きが不自然になる。コントロールし切れないんだ。ま、俺はお前の体の事は、知り尽くしてるしな』
「だからエロオヤジか!?って、どーでもいいから、早く何とかしてよ!」
『喚くな。久々の生きてる体だ。なんか気持ちいいじゃん!?』
孝之の支配下となったあたしの体は、僅か5メートルの所にまで迫っていた執事目掛けてヒラリと躍り掛かかると、その首に強烈なラリアットを喰らわせた。