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「オ・マ・エ・ヲ・ユ・ル・サ・ナ・イ……!」
イケメン執事の美しい顔は恨みに歪んで、形のいい薄い唇の間から血がボタボタ滴ってくる。
その形相は正にステレオタイプのバンパイアだ。
今時、こんなの流行らないよって位に、彼はモンスターと化している。
あたしはその時やっと、彼の豹変振りの訳を理解した。
さっきまでこっちに向かって来てた地味男の霊は、今、執事さんの体に憑依して彼を動かしてるんだ。
人から3万も御祓い代巻き上げようとしてたクセに、自分が憑りつかれてるとは、どんな拝み屋だ。
全然、ダメじゃん!
お金払ってないのがせめてもの救いだ。
恐怖で完全にパニクったあたしは、ぎゃあぎゃあ悲鳴を上げながら、掴まれていた足を夢中で振り上げ、イケメンの顔目掛けて踵落としを喰らわせた。
バカン!と小気味良い音がして、彼はよろけながら顔を両手で覆うと、一瞬、あたしから体を離した。
その隙をついて、あたしはカウンターによじ登って飛び越え、店の出口に向かってダーッと全力疾走する。
あたしに蹴られた顔を抑えながら、執事さんはヨロリとカウンターの中で立ち上がると、ゆっくりとそれによじ登り、落下するように何とか飛び越えた。
体が馴染んでないのか、全ての動きが不自然だ。
ズルッズルッと両足を引き摺るように、彼はゆっくりとこちらに向かって来る。
血に染まった真っ赤な口が大きく開かれ、地獄の底から響いてくるかのような呻き声が発せられる。
その形相はもはや執事でさえない。
バンパイアも通り越して、ジョーズの域までいっちゃってる。
半狂乱になりながら、あたしはアンティークな木造の扉を開けようと、取っ手をガタガタ引っ張った。
が、鍵は開いているのに、扉はビクともしない。
うわああ、オカルト映画でよくある展開だ。
貧困な発想力だが、お約束の行動をしているあたしも、映画みたいに殺されちゃうんだろうか?
あたしの脳裏に浮かぶのは、昔見た映画『バタリアン』。
お願い!
誰か、助けて!
「孝之!」
唐突に頭に浮かんだ孝之の名前を、あたしは思わず口走っていた。
無駄な足掻きと知りながらも、あたしはダウンジャケットのポケットに入れっ放しだったケータイを引っ張りだす。
何度も彼と話そうとチャレンジしてたお陰で、リダイヤルボタン一つで彼のケータイに発信できた。
お願い! お願い、出て! 孝之!!!
目をギュっと瞑ってあたしはケータイを握り締めて、ひたすら祈った。
ルルル…ルルル…ルルル…
……あれ!?
いつものソフトバンクのアナウンスではなく、聞き慣れたコール音が聞こえてきて、あたしはギョっとした。
もしかして繋がる!?
「あなたの知らない世界」にいる幽霊、孝之に!?
この状況を何とかしてくれるなら、もうこの際、どこの誰でもいい。
そう思った時、ケータイから聞き覚えのある懐かしい低い声がしたのだ!
「もしもし? 井沢ですが?」
「たっ、たっ、たっ、孝之!?孝之なの!?」
キターーーーー!!!
なんでか知らないけど、孝之デターーーー!!!
気だるそうな彼の声を聞いて、あたしは安堵でブワっと涙が出てきた。
あたしの置かれた状況を知らない彼は、面倒臭そうに返事をする。
「あんだよ。誰か知らずにかけたのかよ? 相変らずテキトーなヤツだな」
「そっ、それどこじゃないんだって! あたし、殺されそうなの! お願い、助けに来て!」
「はあ? 何だよ、それ? お前、どこにいるの?」
「駅前の百貨店の裏にあるアーケード街! 占い喫茶ロザリオってお店! ねえ、早く来て! 今すぐ来て!」
「早くったって、俺、今、起きたばっかりだし……」
「な、何言ってんのよ! 死んでるクセして! おシャレなんてする必要ないし、てか、生前からしてなかったじゃん! いつも同じ服着てたのに今更何言ってんのよ! そのままでいいから早く来て!」
「いつも同じ服で悪かったな。お前ね、それが人にモノ頼む態度?」
あたしの暴言に、電話の向こうの彼はムっとした様子で反撃してきた。
うあぁ!もおぉぉ!
死んでからも融通が利かない孝之に、あたしはやっぱりイライラさせられる。
そう言えば、生きてる時も、くだらない事でこんな風に言い争っていたんだっけ……。
だからイケメンでも、ウザくなって別れたのを思いだした。
でも、今は……!
血を吐きながらズルズルと音を立てて、執事はどんどんあたしに近付いてくる。
憎悪に染まった真っ赤な瞳があたしを捕らえた。
途端に、体の自由が利かなくなって、あたしはケータイを握り締めたまま硬直する。
昨日と同じ金縛りの感覚だ。
「おい、恵理っぺ? 何とか言えよ。ごめんなさい孝之様って言ったら許してやる」
「子供か!? そっ、それどこじゃないんだって!! 孝之!助けて!!!」
「分かったよ、うるせえな。今行くから、待ってろ」
「も、もう待てないんだって!早く!」
執事は目の前まで来ると、硬直しているあたしを頭からつま先まで舐めるように視線を絡ませ、ニヤリと笑った。
バンパイアスタイルもイケメンがやると、それなりにかっこいいんだから不思議なものだ。
動けないあたしの首に、彼の白い指がかかって爪が肌を引っ掻いた。
その爪の先が皮膚を突き破ろうとしたその時。
パン!!
大きな破裂音が部屋全体に響き渡った。
飾り棚に並べられていたコーヒーカップが一瞬にしてパパパパン!と割れ、破片が部屋中に飛び散る。
あたしの首に手をかけていた執事の顔が驚愕で引き攣った。
その途端に、彼の体は前から大きな力で突き飛ばされたようにドーンと吹っ飛ばされて、カウンターに音を立てて激突した。
自由になったあたしはその場にヘニャヘニャとへたり込み、ゲホゲホとむせ返る。
「来てやったぞ。恵理っぺ。ありがたく思え。……ってか、アレ、誰?」
懐かしい低い声が、あたしの頭の上から響いてきた。