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あたしに霊が見える!?
いや、見えてないけど。
そんなの今まで見た事ない。
見えるどころか、子供の頃、お盆にやってた「あなたの知らない世界」特集を見て、震え上がってた側の人間だ。
見たとすれば、クリスマスイブに現われた孝之くらいだけど、あれは幽霊というには微妙な感じだ。
寧ろ、見えないから、こんなとこまで800円のカフェオレ飲む覚悟で来たんじゃない。
何を言われているのか分からず、あたしは眉間に皺寄せて執事を見た。
あたしの反応を見て、彼は可笑しそうに笑う。
「あなたはにきっと人間か幽霊かの判別つかない位にハッキリ見えているんですよ。今まで会った人の中には、本物の霊もいたはずです。霊だと気が付かなかっただけで。会った人が実は亡くなってたなんて体験、今までありませんでしたか?」
「あ、ある……かも」
それは、確かにある。
会ったどころかエッチまでした、3年前から死んでる孝之の顔がすぐに頭に浮かんで、執事の言葉の意味をあたしはやっと理解した。
リアル過ぎたあのクリスマスイブの夜。
電話で呼び出し、エッチまでした孝之がまさか死んでるなんて夢にも思わなかった。
いや、寧ろ、夢だったんだと思っていた。
執事の言う事が本当なら、やっぱり孝之はリアルな幽霊だったのか?
人間x幽霊の奇跡の異種交配は、霊感の強いあたしだから実現したケースなんだろうか?
「でも、昨日のあの心霊体験は!?アレ、完全に悪霊入ってたし!あたし、生まれて初めて金縛りとか体験しちゃったんですけど」
「それは、その霊があなたより強くて、意図的に攻撃してきたんでしょう。悪意のない浮幽霊は素通りしていきますからね。その場合、普通の人には見えない霊が、あなたにはハッキリ見え過ぎて、人か霊か区別がつかないんですよ」
「はあ。じゃ、昨日のはやっぱり、あたしを恨んでる孝之だったって事?」
「違うと思います。孝之さんが誰かは知りませんが、その霊は今、ここにいますから」
その言葉に、あたしはギョっとして執事の視線の先を見た。
鷹揚な口調とは裏腹に、カウンター越しに立っている執事の表情は険しくなっていた。
筆で描いた様なキリっとした眉の下で、細められていた切れ長の目が更に鋭くなり、形のいい薄い唇がギュっと噛み締められる。
彼が見据えるその方向から、冷凍庫を開いた時のような冷気がスーっと漂ってくるのを肌で感じた。
尋常でない執事の形相と得体の知れない冷気に、あたしの背中がゾっと寒くなる。
「な、何ですか?執事さん、何、見てんのよ?」
「昨日からあなたに憑いている霊ですよ。今、そこにいます。昨日は大人しくしてくれましたが、今日はそういう訳にもいかないみたいですよ。あなた、なんか男を泣かす事しました?」
「しっ失礼ね!人聞き悪い事言わないで下さい!泣かすどころか、最近、男の子と話なんてした事ありません。ナンパもされてません!」
「でも、あなたに弄ばれたって言ってますよ?」
「ブっ!な、何ですか、それ!?そんな事できたのは20代までです!30代になってからは、声も掛けてもらえません!」
あたし達が掛け合い漫才をしている間に、執事の視線の先の壁からうっすらと白い靄のようなものが湧き上がってきた。
靄は次第に濃くなり、煙のように立ち昇りながら、自らを形作っていく。
あたしは驚異の現象に口をあんぐり開けて、硬直していた。
やがて、白い煙は天井に向かって巻き上がると、そこには立ち尽くす一人の男性の姿が現われた。
小柄で地味な顔立ちの30代くらいの男だ。
トレンチコートを着たサラリーマン風の、これといった特徴のない、街ですれ違っても気が付かない感じの人。
見覚えはないけど、あたしの友達ではないことは断言できる。
でも、どこかで見たような・・・?
硬直している脳味噌をフル回転させて、あたしは必死に思い出そうと試みた。
その時、男の霊は俯いていた顔をゆっくりと上げた。
あたしを真っ直ぐに見つめる一重瞼の奥の瞳がギラリと光って、細長いフォームの顔が歪んでニヤリと笑った。
途端に、笑った唇の端からボタボタっと血が滴る。
「ひ、ひえぇええ!!!」
あたしは恐ろしさのあまり、悲鳴を上げながらカウンターの上によじ登って、執事が立っている内側に飛び込んだ。
「執事さん!あ、あんな人、知り合いにいませんけど!? 誰なの?ってか、何、あの無駄にリアルなゾンビ顔は!」
執事にしがみ付きながら、あたしはパニックになってキンキン声で叫んだ。
「僕が知る筈ないでしょう。でも、彼はあなたを知っていますよ。弄ばれたって怒ってますからね。」
執事は目の前で起った超現象に驚いた様子もなく、淡々と話をする。
一応、拝み屋やってるんだから、こんなの見るのに慣れているんだろうか。
霊とは思えないリアルな動きで、地味男はゆっくりと歩いてカウンターの方に近付いて来る。
足は両方ついてて左右交互に動かしているが、足音は昨日と同じく全くしない。
唇から滴る血だけがリアリティを持って、歩く度にポタッポタッと滴り落ちた。
「し、執事さん! 御祓いお願いします! 通常料金3万円から30%オフで! 支払いはバイトの給料日の25日でいいですか!? もしくは失業保険の下りる来月15日で!ってか、早く何とかしてください!!!」
パニックになったあたしは支離滅裂な事を喚きながら、執事に抱きついてガクガクと揺さぶった。
なのに、彼は前を見つめたまま返事もしない。
「ちょっと!? 執事さん、聞いてんの!? ねえってば!?」
彼は返事をすることなく、揺さぶるあたしの力に押されるようにグラリと傾き、カウンターの下に崩れ落ちた。
「きゃあああ! ちょっとお! どーしちゃったの!??」
びっくりしたあたしは、ぐったりと蹲るような姿勢で倒れている執事の背中に追い縋った。
その時を待っていたかのように、彼の両手があたしの両足をグっと掴んだ。
その勢いであたしはひっくり返され、カウンターの下で尻餅をつく。
「キャ!な、執事さん!?」
そこまで言いかけて、あたしは息を呑んで手で口を押さえた。
蹲ってあたしの両足首を掴んだ執事の顔がゆっくりと上がる。
切れ長の目が大きく見開かれ、その唇から血がボタボタ滴り落ちる。
「オ・レ・ヲ・モ・テ・ア・ソ・ビ・ヤ・ガ・ッテ…」
さっきまでの執事のテノールとは全く別人の声が、その唇から発せられた。