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あたしと執事さんが握手を交わすのを見て、裕香ちゃんが手を叩いて喜んだ。
「良かったじゃないですかあ!これでしばらく食い繋げますね」
「うん、ありがと!って、何、その低レベルな幸せ!?取り合えず、お世話になりますけど、いつまでいるかは分かりませんからね!?でも、社会保険だけは入れて下さいよ!」
「それでいいですよ。でも、僕はあなたとは長い付き合いになる気がしてるんですけどねぇ。さて、裕香ちゃん?」
白い手をヒラヒラ振ってウィンクしてから、彼はキャッキャとはしゃいでいる裕香ちゃんに向き直った。
冷たい風に長い前髪がサラサラと揺れて、物憂げな雰囲気は確かに霊能力者っぽく見える。
切れ長の黒い瞳を伏せて、彼はジッと裕香ちゃんを見下ろした。
急に真面目な顔になった執事さんに、正面から見つめられた裕香ちゃんは、悪戯を隠していた子供みたいにソワソワと落ち着きなく視線を泳がせた。
その二人の様子をあたしは首を左右に振りながら、バカみたいに見比べていた。
執事さんが、このお気楽女子大生に何の用だ??
まさか、本当に交際申し込むつもりじゃないでしょ!?
ってか、裕香ちゃんのこのモジモジした態度は何!?
「僕は裕香ちゃんに言わなきゃならない事があるんですよ。彼女は、もう分かってるとは思いますが……」
「なっ、何それ!? 二人はもうデキちゃってるの!?」
途端、コーン!と音がして、あたしの頭にチョコの箱が命中した。
箱の角が頭に刺さって、あたしは思わず後頭部を抱えて座り込む。
振り返ると、眉間に眉を寄せてイヤそ~な顔した孝之が腕組みして立っていた。
「何すんのよ! 痛いじゃないの、バカ!」
「お前なあ、オバサン丸出しなんだよ。その下世話な表現、何とかなんねえのか? そんなんだから、男いない歴35年に見られんだよ」
「ほっといてよ! あんただっていい年して、何、そのヤンキー口調? 執事さん! いつの間にこの女子大生とデキちゃったんですか!?」
芸能レポーターみたいに食いついていくあたしを、執事さんは苦笑して見下ろした。
「残念ながら、デキちゃった訳ではありません。あなたは本当に面白い人ですね。『見える』能力もここまでくると大したものだ。この裕香ちゃんが生きてる人間ではない事に、全然、気付かないんですか?」
へっ!?
生きてない?
あたしはその言葉にギョっとして、バイトの同僚の顔を凝視する。
悪戯っぽい大きな瞳をクルクルさせて、裕香ちゃんは肩を竦めるとペロっと舌を出した。
「松本さんって、ホントに天然ですよね~。女子大生なのに大学行かずに毎日ここに来てるし、変だと思わなかったんですかぁ?」
「そ、そりゃ、心配はしてたけど。あたしはてっきりテストが終わって単位が取れたのかと……」
シドロモドロに言い訳をするあたしを見て、裕香ちゃんはアハハと口を開けて笑った。
「あたし、高校で死んじゃったから、大学行ってないです。花の女子高生、享年17歳ですよ。彼氏は募集中でした!」
「きょ、享年って……」
そんな合コンの自己紹介みたいに享年言われたって。
どこにツッ込めばいいの、その自虐的プロフィール!
もう沈黙するしかないあたしを見て、執事さんが笑いながらフォローに入る。
「あなたに彼らが見えるように、彼らも『見える』人間は分かるんです。裕香ちゃんや、あなたの彼氏、そして通りすがりのこの彼までここに集まってしまったのは、ある意味、あなたが呼んだからなんですよ」
「そうそう!言ったじゃないですかぁ!松本さんの周りって、なんか、温かくて明るいカンジがするんですよ~。あたし達って、灯りに集まる蛾みたいに、そういう人のとこに飛んで行っちゃうんです」
あたしに集まるのは非モテ男だけじゃなくて、幽霊もってコト!?
集まって来られても嬉しいメンバーでないことは間違いない。
どうせなら、年収一千万以上の独身男性が集まる灯りになりたいものだ。
「そーなの? 孝之。だから、あんたも来てくれたの?」
チラリと背後にいる彼を振り返って、あたしは聞いてみた。
肩を竦めて、孝之は苦笑する。
「そこは愛の力だと思っとけよ」
「……バカ」
微妙な空気が流れた場をブチ壊すように、裕香ちゃんが大きく伸びをして空に向かって怒鳴った。
「あーあ! つまんないの! あたしだけいい事何にもないんだもん! 執事さん、あたし成仏なんてしませんからねー!」
「あなたの心残りは彼氏でしょう? それなら成仏できるかもしれませんよ?」
執事さんは器用にウィンクして、ワゴンの後ろで突っ立っていたあの男に向かってサっと手を差し伸べた。
くたびれた会社員のようなコートに身を包んだオタク男は、執事さんに呼ばれるまま、真っ直ぐにこちらに向かってくる。
人を使い古しの年増女みたいに言ったクセに、まだ未練がましくやって来るとはいい度胸だ。
今度こそこっちからお断りしてやろうと、胸を張って待ち構えたあたしの横を、彼はスっと素通りした。
そして、裕香ちゃんの前でピタリと停まると、ポケットから見慣れたチョコレートの箱を取り出した。
それは紛れもなく、バイト初日にあたしが無理矢理買わせたあのチョコだった!
彼は真面目な顔で裕香ちゃんを見つめると、その手を取って、グっとチョコの箱を握らせた。
パっと見は何の特徴もない中年男性だと思ったのが、こうやって間近で見ると、それほど年はいってなさそうだ。
細い小さな目に、スっと通った小さい鼻。
意外と形のいい唇はキリっとしていて、日露戦争時代の軍人みたいだ。
確かに、地味で目立たないけど、よく見りゃ凛々しいお顔立ちをしている。
かわいいのに年齢詐称の為、意外と経験値の低かった裕香ちゃんは、真剣な表情で無言の求愛をされて、ポワンと顔を赤らめた。
「あ、あたしでいいんですかぁ……?」
チョコの箱を抱き締めて、裕香ちゃんは困ったような、嬉しいような乙女の表情で、執事さんとあたしに助けを求めた。
ここは微妙に悔しいけど、姉御分としては後押ししてやらねばなるまい。
こいつも、裕香ちゃんがバージンなのを見越して求愛してくるとは、オタクのクセしてなかなか食えないヤツだ。
初体験にキョドってる裕香ちゃんに、執事さんが笑って応えた。
「裕香ちゃんは、以前、僕にどーやったら彼氏ができますかって聞きましたよね?」
「うん」
「それは妥協です。人生、何事も諦めが肝心! 妥協すれば、おのずと自分の丈に合った幸せがやって来るものです。それができない人は、仕事も男もいない状態で35歳になっちゃうんですよ。あなたを求めてくれる人と一緒に逝くのが一番だと僕は思いますけど?」
「そーよ! 女は思われてこそ、ナンボよ!」
……って、オイ!
何か、今、人の悪口言わなかった!?
聞き捨てならない言葉に、あたしの耳がビクっと反応した。
隣で聞いていた孝之はブっと噴き出し、ゲタゲタ笑い転げる。
裕香ちゃんは恥ずかしそうに彼を見上げて、花が綻ぶ様にニッコリと笑った。
そして、地味だけど誠実そうな彼にそっと寄り添うと、彼の腕は優しく裕香ちゃんを抱き締めた。
二人は一つに重なって、だんだん影が薄くなっていく。
「ありがと……松本さん……」
彼の腕の隙間から、悪戯っぽく笑う裕香ちゃんの目がウィンクして、それから二人の姿は完全に見えなくなった。
次回最終回です。