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◇◇◇◇


 時は流れ、今日は二月十四日。


 世間はバレンタインデーだ。

 今まで全く売れる気配がなかったワゴンの中のチョコレートは、雰囲気に呑まれた浮いたか瓢箪どもによって、どんどん姿を消していく。

 この2,3日で激忙しくなってきたあたし達には、この盛況ぶりは嬉しいような悲しいような心境だ。

 閑古鳥の啼くワゴンを挟んで立ち話していた時も辛かったけど、客が休む間もなくやってくる今もやっぱり辛い。

 働くっていずれにしても大変だ。

 ぶーぶー文句を垂れ流す裕香ちゃんをなだめながら、あたし達は最終日のチョコ販売に明け暮れた。


 殺人的に忙しかった夕方を二人でなんとか乗り切り、客足も途絶えた頃、あたし達は揃って溜息をついた。

 会社帰りの男性が多いこの時間帯を乗り越えれば、もう後は楽になる。

 2週間続いたこのバイトは今日が最終日。

 それも後、一時間で終了だ。

 もう、このワゴンの前で裕香ちゃんと世間話する事はないだろう。

 このお気楽女子大生ともお別れかと思うと、少し寂しくなったが、彼女にも学業がある筈だ。

 このバイト中、彼女が一度も大学に行ってないのを、あたしは密かに心配してはいた。


「これで松本さんとお話するのも最後ですね~。結構、楽しかったですぅ。今までありがとうございました」


 底の見えるようになったワゴンの向こうから、突然、裕香ちゃんが泣かせる事を言ってきて、あたしはギョっとする。

 今まで、「イマドキの女子」だと思ってた裕香ちゃんが別れの際にこんな常識人ぽい挨拶をするとは思ってなかったからだ。

 失礼な話だけど。


「あ、いや、こちらこそ。裕香ちゃんのお陰で楽しかった。これで終わっちゃうのは寂しいけど、勉強頑張ってね」


 あたしは慌てて姿勢を正して、彼女に向き合うとペコっと一礼した。

 何だかんだ言っても、この二週間、彼女の明るさと止む事のないお喋りで随分助けられたのだ。

 あたしは改めて、彼女の顔を見た。


 丸い顔つきにポニーテール。

 大きなクリっとした目に寒さで赤くなってるホッペ。

 無邪気なロリ顔のお陰で、今までの無礼千万は全て許してしまっている。

 彼女が「占い喫茶」で彼氏はどうやったらできますか、と聞いていた事を唐突に思い出した。

 こんなにかわいいのに、彼氏がいないのは不思議なくらいだ。


「あ、松本さん、最後のお客様ですよ~、あ!」


 ワゴンの向こうの裕香ちゃんが突然、嬉しそうに声を上げた。

 声に釣られて、あたしもその方向に顔を動かして、思わず硬直する。

 帰路につく人の波から、少し離れてゆっくりとこちらに歩いてくる一団。

 その顔ぶれを見て、あたしはぎょっとした。


 一人はあたしを散々驚かせておいたクセに、処女じゃなかったという理由で勝手に幻滅してくれたあの地味な中年男性。

 最後に見た時と同じように、営業マン風ベージュのコートに身を包んで、立てた襟で顔を隠している。

 もう一人はスラリとした長身のイケメン執事。

 今日はいつもの執事スタイルではなく、オールバックの髪を下ろして色が入った眼鏡をかけている。

 黒いロングコートに緋色のストールをフワリと巻いた姿は、ファッション雑誌のモデルみたいだ。

 そして、二人の後から少し遅れてついて来るもう一人の長身の男性……!

 あたしは息が止まりそうになった。

 柔らかな天然茶髪を風に絡ませ、首を竦めて歩く、姿勢の悪いその姿。

 せっかくのモデル体型も、猫背のせいで台無しだ。

 いつもの黒いパーカーにジーンズが、変わり映えしなくて可哀相なくらい。

 でも、その全てが懐かしくて愛しい、あたしの彼氏。


「孝之!?」


 あたしが驚きであんぐり口を開けている間に、三人はワゴンまでゆっくり近付いてきた。

 これがあたしの『見える』能力なのか、この中の二人が死んでいるなんて信じられない普通さだ。


 英国紳士のような雰囲気の執事さんが、まず、あたし達に会釈した。

 上品で奥ゆかしいその微笑は、先日、吐血しながら床に転がっていた人と同一人物だとは思えない。


「お久し振りです。先日はどうもお世話になりました。今日は、この男性諸君の依頼がありまして、同行してきてます」


「はあ、執事さん、二人と仲良くなったんですか?」


 あんな目に遭わされたのに!?

 彼が思い出さないように、あたしは言葉を濁した。

 執事さんは、穏やかな表情であたしを見ろして言った。


「普通に『見える』体質のあなたには分かり難いかもしれませんが、彼らは見える人間に会うのが嬉しいんですよ。存在を認めてもらった事になりますからね。僕も、そっち側の人間として、彼らの思いを遂げる力になりたいんですよ。勿論、後日、請求は致しますが」


 今、請求って言った?

 途中まで感動すら覚えた彼の言葉の終わりに引っ掛かるモノを感じて、あたしは眉を寄せた。

 怪訝そうなあたしの顔を見て、彼は爽やかに笑う。

 いや、笑うトコじゃないでしょ!?


「僕はね、拝み屋は拝み屋なんですが、専門は降霊なんです。非常に憑依され易い体質でして、御祓いしようとしても、大抵、返り討ちに遭ってしまうんですよね~。先日も見苦しいトコお見せしちゃって、お恥ずかしい限りです。でも、それならその体質を生かそうと始めたのが、あのカフェなんですよ。占いもしつつ、レギュラーイベントとして、これから毎月恒例の降霊会を開催していく予定なんです」

「……あの、それダジャレですか?」


 背筋に寒気を感じながら、あたしは執事さんを冷ややかに眺める。

 面白いでしょ?と一人で手を叩いて笑っている彼を誰も止めなかった。


「で、あなたにお願いがあるんですが、ここのバイト、今日で終わりなんですよね?」


「はあ。そうですけど」


「良かったら、僕のカフェでアシスタント兼ウェイトレスとして働きませんか?あなたみたいに霊感が強くて、面白い人を探してたトコなんですよ。もし次の職場がまだ決まってないようなら、是非にお願いします」


 執事さんは白い手をスっとあたしの前に差し出した。

 突然の展開にあたしはポカンとして彼の顔を見つめる。

 嬉しいというより、明日からまた失業する事をすっかり忘れていた。

 その申し出は確かにありがたい。

 でも、そんなんでいいのか、あたしの人生???

 キャリア志向のこのあたしが、占いカフェのメイドとか有り得ないし!


「どうです?」


「申し訳ないですけど、不安定過ぎる業界はちょっと……」


 どもりながら言葉を濁していくあたしを見て、執事さんはコートのポケットから折り畳まれた薄い紙をスっと取り出した。

 俯いてるあたしの前で、その紙をバサバサ開いて見せる。


「あの、これ?」


「店の修復工事の見積もり書です。破損したカップやグラスなども込みでざっと30万円! こちらに就職していただけるなら、これを請求するのは止めますが、どっちがいいですか?」


 大天使のような悪魔は、爽やかに笑った。

 呆気に取られたあたしは、慌てて紙に目を走らせる。


 うわあああ! ホントに30万円請求されてる!

 でも、何であたしが払うんですか~?

 やったのは孝之なのに???


「いいじゃないですかあ!松本さんにピッタリですよお。どーせ、仕事なんか見つかる訳ないですって~。もう、何でもやっちゃいましょう!」


 裕香ちゃんが横から囃し立てる。

 後ろでクスクスと苦笑している孝之をあたしは睨みつけた。

 確かにコイツの破壊行為だったけど、支払能力は皆無だ。

 という事は、あたしが払うの、やっぱり??


「……今、こんなにお金ないんですけど」


「では、商談成立、ですね?」


「はあ、まあ、宜しくお願いします……?」



 この瞬間、あたしのボスとなった執事さんは、まだ納得できずに渋い顔をしているあたしの手をグっと握りしめた。




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