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季節限定で書きました短編『クリスマス・プレゼント』の続編です。
宜しければ、そちらもご覧下さいませ。
「いらっしゃいませ~!恋人にチョコレートはいかがですか~!?」
時は寒さ本番の1月末。
地元の百貨店の入り口で、あたしは寒さに震えながらワゴンに入ったチョコレートを売りつけようと、声を枯らしていた。
たった2ヶ月前まで大阪で出版社でバリバリ働いていたあたしが、何故、田舎の百貨店でバレンタイン商戦のアルバイトをしているのか。
答えは簡単。
会社が倒産したからだ。
仕事が失業した今、大阪で一人暮らしをしている理由がなくなったあたしは、実家に帰ってくる羽目になってしまった。
失業保険が出ている間は、定職に就く訳にはいかないので、こうやってスポット的なアルバイトを職安で斡旋してもらっては日当を稼いでいる毎日だった。
今までの貯金があるのと、実家にいるのとで、差し迫って生活費に困るわけではないが、35歳の独身女性がいつまでもこの状況ではマズイと自覚はしていた。
だからと言って、この年になっていきなり正社員の仕事は見つかる筈もない。
今の所は就職活動をしながら、遊んでいるよりはマシなこのアルバイトを2月14日まで続けることにしていた。
「松本さ~ん、メチャクチャ寒いですね~!あたし、もう凍え死ぬかも~」
一緒にバイトに入っている女子大生の鈴木裕香ちゃんがガタガタ震えながら、手を擦り合わせて泣き声を上げた。
「頑張るのよ!今日は6時まででいいって、チーフも言ってたし」
「え~、まだ3時なのにですか~?まだ3時間もここにいろって事~……ってか、バレンタインまでまだ2週間もあるのに、売れるわけないですよ~」
「売れないとは思うけど、他の店が売り始めてる以上、やらない訳にはいかないんでしょ。そのお陰で雇ってもらってるんだから、文句言えないじゃない」
「そりゃ~そ~ですけど~・・・外でやる必要は全くないですよね~」
それにはあたしも同感だった。
ただでさえ風の強い海沿いのこの街で、真冬に外でチョコレートを売るなんて狂気の沙汰だ。
激安家電店にいるネット回線会社のキャッチ部隊のような、ペラペラのウィンドブレーカーが制服として配給されているが、この強風の中ではあまり意味をなしていない。
道行く客も、ワゴンの中をチラリと一瞥するだけで、さっさと歩き去っていく。
何時間もここに立っているのに、あたしから買ってくれた人はまだ一人しかいなかった。
思い出すのも困難な冴えない風貌の中年男だったが、あたしがあまりにしつこく押し付けたものだから、同情で買ってくれたようなものだ。
あたし達は、あたかも『マッチ売りの少女』のように、「チョコはいりませんか~」とか細い声で叫び続けた。
長い間、一人暮らしだったあたしが、この街に戻ってきたのには、ちょっとした理由があった。
収入が無くなって生活できなくなったのは勿論なのだが、クリスマスに起こった不思議な体験が、あたしをこの街に留まらせていたのだ。
クリスマスイブの夜、コタツの中で酒を飲んで酔っ払っていたあたしは、突然、10年前に別れた(厳密に言えばあたしが捨てた)元カレ、井沢孝之に電話する事を思いついた。
10年も前のケータイ番号がまさか繋がるとは思っていなかったのだが、なんと孝之は電話に出た。
その時、家に誰もいなかったのをいいことに、あたしは彼を呼び出し、話をして、そして10年ぶりに体を重ねた。
問題はその後だった。
彼に再び逢おうと目論んで出かけた同窓会で、孝之は3年前に交通事故で死んでいる事を聞かされたのだ。
悲しむどころではなかった。
驚きのあまり、あたしは只々、呆然としていた。
あれは幽霊だったのか。
もしくは、酔っ払ったあたしが見ていた夢だったのか・・・。
でも、あたしは確かに彼とやる事はやったのだ。
彼の滑らかな筋肉質の肌の感触まで、まだはっきりと思い出せる。
真相は分からないまま、あたしは何度も彼に再会しようとケータイに電話をしてみた。
だが、一度は繋がった筈のケータイからは、「お掛けになった電話番号は現在使われておりません」という、お馴染みのアナウンスが流れるのみだった。
それから、彼の事が気になって、あたしは仕事が決まるまでは、彼が生きていたこの街に留まる決意をした。
何故って……。
あたしは気付いてしまったのだ。
彼と別れて後悔していた事を……。
天然の茶髪に色素の薄い琥珀色の瞳。
陸上部で鍛えた長い筋肉質の手足。
スラリとした長身は完全にモデル体型で、遠くからでも人目を引いた。
そんなイケメンをあたしは10年前、つまり25才に時にフッてしまったのだ。
彼はチャライ外見に似合わず、真面目で几帳面で、しかも口が悪くて、乱暴で、融通が利かなかった。
昭和のオヤジかというくらい、頑固一徹、そして、優しい人だったのだ。
そして、あたしは彼に反して、いい加減で移り気で、所謂、八方美人な人間だった。
今、思えば、相反するあたし達だったから、お互い好きになったのかもしれない。
人は自分にないものを求めるのだから。
でも、一途な彼は、時にあたしを束縛した。
まだ、若さを持て余していたあたしは、彼とこの街で一生を終える事は考えられなくって、彼が結婚を口にし出した時、別れを告げたのだ。
結婚ってホントにタイミングの問題なんだと思う。
今、35歳で切羽詰ってるあたしなら、二つ返事でOKしただろうに。
今更、後悔しても遅過ぎる。
何と言っても、彼は3年前にもう死んでいるのだ。
あのクリスマスイブの不思議体験は、神様がくれたトキメキのプレゼントだったんだろう。
でなけでば、実はあたしを恨んでる孝之の幽霊だ。
どちらでもいい。
あたしはもう少しの間、彼との思い出が残るこの街に留まりたかった。
「ねえ、松本さん、幽霊って信じます~!?」
ぼんやりと孝之の事を回想していたあたしは、突然、タイムリーな質問をされて飛び上がった。
まさか、あたしが霊の事を考えていたとは思わない裕香ちゃんが、ワゴンの反対側から手に息をハーハー掛けながらこっちを見ている。
「な、なんで!? ヘンな事言わないでよ。気持ち悪いじゃん」
「でしょ~!? でも、この百貨店の裏に商店街のアーケードがあるじゃないですか~? そこに怪しげなカフェができたんですよ~。占いカフェって言って、死んだ人ともお話させてくれるんだって~。メチャ、胡散臭くないですか~?」
……確かに胡散臭い。
でも、その時、藁をも掴む心境だったあたしの胸は、ドキン!と鳴ったのだ。