11話_受け入れる_
ふと、声がした。
(カリン……リント……ライカ……)
——その名前を、俺は知っている。
目の前で死んだ、あの家族の名前だ。
「……誰だ」
声の主に視線を向けた。
そこには白い白衣を着た男がいた。
(50歳前後...か)
男は書類から目を離さず、足早に廊下を進む。
「どうしてその名前を...」
気になって、その男の後をつける。
(どこに向かってるんだ?)
白衣のおじさんは人気の少ない病室へと向かっていく。
長い廊下の途中にあった、機械に身分証のようなものをかざす。
ピピッ、という音と共に、ガラスの自動ドアが横に開く。
不意に、声が飛んだ。
「和文先生~!またあの子が抜け出しました~!」
若い女の看護師が、男を呼び止めた。
白衣の男は、困ったような顔で、頭を抱えた。
「安静にしてなさいと言ったのに!....まぁいつもみたいに、戻ってくるか」
和文先生は振り向いた。
「いずれ、戻ってくるだろうから、気にしなくていいぞ!
今は少し忙しいんだ!あと先生ってつけなくてもいいぞ!名前呼びでも」
和文先生は焦っているように、手元を素早く動かす。
何かの書類を自分の後ろに隠す。
「分かりました~!
……あ、そういえば先生の下の名前知らないから、やっぱり先生呼びでいいですか?
あと、あの子が戻ってきたら、首をちょっと叩いてベッドに寝かせますね~」
「悟〇か!別に首叩いても気絶しないだろう!絶対丁重にベッドに運べ!また怪我が増えて帰ってくるかもしれん!」
「分かりました~...なんか先生、ちょっと前から、この時間帯になると忙しそうですよね」
看護師はどこか楽しそうに言う。
興味を隠しきれない、といった様子を残して、その場を去っていく。
和文先生...か。
……少なくとも、悪人には見えない。
あの子に、冗談を言われていたし。
「舐められてるな」
当の本人は舐められていると思ってるみたいだ。
「私の事を把握してる暇があったら、仕事をしろ...」
そう言ったが、女の看護師はもう居なくなっていた。
「...はぁ....急がなくては」
和文先生は心細そうに手を握り締めた。
女の看護師は、そそくさと、その場を離れていった。
「……リント……どこにいる」
それは怒り等ではない。
——祈るような声だった。
手に持った書類が、くしゃりと歪んだ。
おそらく、カリン達の話なはずだ。
やっぱり気になる。
引き続き、後を追いかけよう。
(ここは部屋?病室?)
この人の部屋なのだろうか。
和文先生は、部屋のパソコン前の席に着く。
「神谷家か....カイト達に何かするとしたら..」
神谷家……?
何の話だ。
そう言って、和文先生がパソコンを触ろうとする瞬間だった。
「ピピピピ!ピピピ!」
っとアラームの音がした。
和文先生の携帯から鳴る音だった。
「何...もうこんな時間なのか..仕方ない..一旦行くしかないか」
そう言って書類をすべて置く。
まだ時刻は14時頃だった。
(こんな時間にタイマー?)
そして周りを見渡し、大きなバッグに目を向ける。
「よし全部入っているな」
何が入っているかはわからなかったが、大きなバッグを持って和文先生は走っていく。
急いでいるようだった。
(……会議? いや、それにしては——バッグが大きいな)
和文先生は重そうに、背負っている。
俺はひたすらについていった。
復讐は優しそうなあの子が望むとは思えない。
(誰だったか...)
それを知ったら...俺は止まらないかもしれない。
そんな気がする。
だって、俺にはそれをすることが出来る、呪いがある。
「はぁ...はぁ...」
和文先生の息が荒い。
「ゲホッ...はぁ...はぁ」
少し走った所だろう。
体力はあまり無いようだ。
和文先生は車に荷物を載せる。
その後に運転席に座って、出発をした。
俺はその車の後部に、気づかれないように忍び込んだ。
”気づかれないから”簡単に乗り込めた。
「..この道は...」
俺はこの道に見覚えがあった。
昨日、歩いた場所だった。
(和文先生は、一体この道の先に、何の用事があるんだ?)
あの子供たちの住まいだったはずだ。
そう思って、俺は目的地に着くまで、静かに待った。
「よし...時間がかかりすぎたな」
和文先生が車を、人目のつかない建物の影に止めると、やや小走りで走り出す。
(こんな人の住み着いていない場所に何の用だ?白衣のまま飛び出すほど?あの子たち以外に人が住み着いているのか?)
人のほとんどいないその場所を、和文先生は歩いていた。
(……行き場のない者…)
そこには、相変わらず、少数だが、決して裕福ではない人たちが居た。
人間に限らず様々な者がいた。
まだ年もあまりいってない子供や、しっぽや角の生えた子供たち。
やっぱり、関戸美術館を中心に、住み着いているようだ。
そんな時、和文先生がそんな子たちに話しかける。
「大丈夫?」
優しそうな笑顔で、子供たち一人一人に、安否を確認していた。
スラム街のようなこの場所では、汚れた服を着て、痩せ細っていた。
「おじさんいいのぉ?」
「おじさんは殴らないの?」
色んな子供が寄ってきた。
和文先生はバックから一つずつ、パンや缶詰を取って渡す。
そして隣に偶然いる、爺さんや婆さんにもパンをあげていた。
「殴らないよ、皆?お水、飲みたくない?」
そう言ってペットボトルの飲料水も渡す。
皆が嬉しそうな声を出す。
それを聞いて和文先生は嬉しそうだった。
(……偽善か?)
……いや、違う。
この人は——偽善なんかじゃない。
そんな気がする。
そのまま、道すがらに食事と水を大きなバックから渡していく。
少しずつ、荷物が少なくなっていく。
関戸美術館の方へと歩き続ける。
「ふぅ...やっと着いた」
和文先生はそう呟いた。
予想通り、場所は関戸美術館の入り口だった。
和文先生は慣れた手つきで関戸美術館の中に入っていく。
俺はそれに、昨日のようについていく。
(痛っ)
和文先生は、俺に気遣う素振りもなく入口の扉を閉めた。
その所為で扉とぶつかってしまった。
関戸美術館の中を進んでいく。
進む途中に、多くの人に挨拶を和文先生はされた。
笑顔で手を振り返しながら、ある一つの部屋に入ってく。
「孝之さん、久しぶりです」
和文先生は部屋に入ってすぐに、一人のお爺さんに話しかけた。
和文先生よりも歳をとっているように見えた。
そんな時、手が翼の男が話しかけてくる。
「和文先生..今日もありがとうございます..毎度のことながら、歓迎が出来ずにすみません」
軽く頭を下げる。
「ははっ、気にしないで..私の為でもあるし」
「そう言ってくれると、ありがたい」
翼の男は、孝之という爺さんの周りにいる、子供たちを連れて少し離れる。
そして、和文先生に話しかける。
「和文先生...一昨日も来たのに、すまないね」
翼の男は申し訳なさそうな顔をする。
「孝之さん...和文先生が来てくれたよ..久しぶりじゃないよ....一昨日も来てくれたんだよ?」
冗談でも言うようにカルチャードは言った。
「カルチャードさん..大丈夫ですよ....気遣いありがとうございます。
だって孝之さん、多分覚えてないですよ..だから久しぶりでいいんですよ...」
「いや...本当...すみません....色々、ありがとうございます...」
そんな不思議な距離感の会話が続く。
子供の声で騒がしいはずなのに、静かな時間が続く。
「カルチャードさん...今日はこれだけで、すみません」
和文先生はバックから全ての、食べ物と飲み物と衣服を少し出す。
「和文先生?謝らなくてもいいんですよ?」
「ははっ...すまないね...癖なんだ」
そう言いながら、和文先生はそっと孝之の爺さんに目を向ける。
瞬きを忘れるほどに。
「孝之さん...これどうしますか?」
そうやって、震えた声で聞く。
そんな時、孝之の爺さんは口を開いた。
「そこの者....もし..わしの分もあるなら...この子たちに分けてくれ...」
孝之の爺さんが弱弱しい動きで、子供たちを指さす。
そんな言葉に、和文先生は笑顔で答える。
「大丈夫ですよ...いっぱいあるから...」
こういう場所では、生きる為には和文先生のような人は襲われる。
なんて話を聞くが、ここにいる人たちは皆、やっぱり優しそうだった。
「何処の誰かも分からんが...ありがとう...でもね、私の分は要らないから..この子たちに..私のような汚い者に、無理しなくてもいいんだよ...」
頬をあげて嬉しそうにお爺さんは言った。
その言葉を聞いて、和文先生は唇を噛む。
バックにある書類のような紙を取り出そうとして、やめる。
「大丈夫...無理してるんじゃないですよ...気にしないで大丈夫ですよ」
「だけどね...」
お爺さんは慈愛に満ちた瞳で言う。
まるで愛し子をみるように。
「...私の分があるならこの子たちに分けてくれないか?」
お爺さんは繰り返して言う。
ただただその言葉を言い続ける。
「大丈夫ですよ..知ってます...子供や施設の子たちがいるから、俺は俺で無理はしてませんから」
「ほほ..そうかぁ...皆が君のような人だったら...キミに早く出会って、頑張ったら..この子たちも救えた気がするよ...」
その瞳から、生気が抜けていく。
——今、この場で何かが終わると、直感した。
会話はどこか噛み合っていない。
だが、それが当たり前のように続いていた。
「……もう、時間ですか」
下唇を噛みながら和文先生が言う。
「時間?...あぁ....この子たちに私の分が.....」
「今日なのか...孝之さん...もう大丈夫ですよ....」
和文先生は震えた口で言った。
「無理しちゃダメだろ..」
和文先生は呟く。
瞼が閉じていく。
眠っていくように。
「本当...孝之さん、俺はアンタを尊敬してるんだ....生まれてすぐに出会ってるんだよ?...」
和文先生の口調が少し、荒くなる。
横になっている体から力が抜けていく。
「……やっぱり、覚えてないよな。
……父さん」
和文先生は涙を流す。
「.....」
お爺さんはうっすらと目を開きなおす。
そして和文先生を見つめる。
「....迷惑かけたな...晶太...」
和文 晶太の頭をお爺さんが撫でる。
和文 晶太は必死に呼吸をする。
過呼吸になりながら口を開く。
その身を、抱きしめながら。
「俺たちは、失ってばかりだな?」
必死に笑顔を取り繕う。
後悔が溢れる。
和文先生は、生気を感じないお爺さんの体を抱きしめて続ける。
——思い出す。
母と、妹を失った日のことを。
「俺さ……母さんも、妹も……もういないんだよ」
それからだ。
和文 晶太と和文 孝之が二人で、世界中の苦しんでいる子供を救おうと決めたのは。
そんな先生のバックから、一枚の資料が落ちる。
『和文 孝之
病状:認知症 パーキンソン病 脳梗塞
~~~~~~~~~~
専門治療室の使用許可
——延命処置、可能。』
そう記されていた。
お爺さんの写真が付いた診断書だった。
下の方には、最新技術による延命処置が出来ると書いてあった。
孝之を生かすための許可証だった。
俺は胸のあたりを握り締めた。
この人は今、父親を失ったんだ。
どんな生活を送って、苦労したかなんて、今の姿を見ても想像できない。
どれだけ頑張って、ここで瞳を閉じたのかも。
建物の陰で、何人かの子供が泣いている。
「おじちゃん……なんで、食べないの?」
——答えが返ってこないことを、まだ理解していない。
「...あぁ大丈夫だよ...それは君たちで分けていいんだよ」
和文先生は必死に、上ずった声で言う。
後ろで泣いていた子供たちと、カルチャードがその子の肩を持って、その場を離れようとする。
その陰には、カイトとカナも涙を嚙みしめていた。
「やぁ!おじいちゃんと一緒に食べるの!」
少年はそう言って、振りほどこうとする。
その少年から、うっすら涙が溢れる。
「おじいちゃん!一緒に食べようよ!なんで喋らないの?」
そんな少年を力づくで捕まえて、子供たちはその場から離れていく。
他の大人の人たちは、瞳を抑えて、子供たちを抱きしめていた。
それから和文先生は肩を揺らしながら、唇をかみしめて泣き続けた。
時間がたつにつれ、徐々に涙は無くなった。
「...行かなくちゃ」
和文先生はそんな言葉を呟いて、和文 孝之の体を持って歩き出す。
「なぁ..俺さ...あんたの息子でよかったよ」
そう言って、人気のない商店街から、ちょっとした広場に出る。
そこには緑色の自然があった。
「ごめんな..立派な墓石を立てられなくて...こんなに立派な父親だったのに..」
あらかじめ用意されていた、土の中に和文 孝之の遺体を入れていく。
「……いっぱい泣いたよ...心配させたかな」
涙ぐんでいた瞳を拭きとった。
「...まだ、子供だな」
和文先生は無理やり、笑って見せた。
その場にいた和文 孝之 の知り合いと思われる、破れた服の男性や、お爺さんが和文 晶太の後ろに立つ。
皆がそっと土の中に入った和文 孝之に向かって手を合わせる。
「「「おやすみなさい」」」
亡くなった父の体を見る。
和文先生は思う。
(ここはな……捨て子ばっかりの場所なんだ....しっかりしなくちゃ)
和文 孝之はこの場所を救う為、募金やいろんなことをした。
和文先生を筆頭に、偽善団体として人が集まり、食べ物を分け合い、ただ、生き延びるための場所には出来た。
『どうにか!平等の世の中を!』
謡うように、その言葉を叫び続けた。
だがそれが限界だった。
目立つようなことをすれば、誰かの力あるものに触れ、壊されてしまうから。
そんな人が....今眠った。
皆が噛みしめ...人の死に慣れていく。
戦争や争いと、何が違う?
「皆さん..父さんを支えてくれてありがとうございます」
和文先生のその一言を聞いて、
「こちらこそ...ありがとう」
そう言って皆が解散してく。
この人たちは、誰かの為に頑張っているんだ。
(ならば俺は?自分の力で何ができる?この子たちや、この人の気持ちを救えるのか?)
俺はそう思った。
そんな俺を置いていくように和文先生は、関戸美術館の中にある、違う部屋に向かって歩いてく。
その途中で力強く頬を叩く。
暗い顔を振り払った。
その背中は——もう、迷っていなかった。
晶太は、関戸美術館の階段を上っていく。
5階ほどの階段を上った。
和文先生は心の整理を無理やりに終わらせる。
(この大きな建物の中に何かあるのだろうか)
そう思っていると、小さな歌声が聞こえてくる。
≪ふ~ふ~ふふ~≫
誰かが歌っている?それに楽器のような音も聞こえる。
晶太が安心したように、その歌声が聞こえうるから遠くの扉で止まる。
音の鳴る部屋はまだ向こう側で、部屋が続く中で一番、手前の近い扉に手をかけようとしている。
(何だろうこの匂い...工事現場のような)
人が住み着かず、掃除もされず、関戸美術館の周りの匂いは、決していい匂いとは言えないものだった。
だがこの部屋の前は、工事現場のような匂いが強くあった。
(油..塗装...絵具?)
インクや絵の具、そんな匂いだった。
そう思っていると、和文先生はは扉をノックした。
「...入ってもいいか?お昼ごはんをもってきたんだが..」
もう声は震えてはいない。
中から返事は無い。
だが少し時間がたつと、扉が開いた。
中にいる人が開けてくれたようだ。
次の瞬間、俺は、驚きに体が固まった。
和文先生もまた、慣れているはずなのに、わずかに息をのんだ。
その光景を、俺は一生忘れないと思う........
光景が、焼き付いて、——消えない。




