第9話:勇者
魔王城の城門前には、不自然なほど立派なアスファルトの道路が整備されていた。
ついさっきまでの泥だらけの旧街道が嘘のようだ。
道の両脇には、色とりどりの旗がはためき、どこから集まったのか、見物客の群れまでできている。
暗殺に来たつもりが、いつの間にかパレードの観客席に紛れ込んでしまったらしい。
「……アルトさん、これって本当に魔王を殺しに行く雰囲気か?」
カイトが、人混みに押されながら呆れた声を出す。
「さあな。どちらかと言えば、アイドルの出待ちに近いな」
「魔王城の前でアイドルの出待ち? 世界の終わりが近いのか、それとも俺の頭がバグったのか」
「バグったのは世界の方だろう」
私は、群衆の最前列でカメラを構える男たちを見た。
彼らが持っているのは、魔法仕掛けの記録機だ。
アストラル連邦のテレビ局のロゴが入っている。
魔王討伐という命がけのイベントは、この世界では「国民的コンテンツ」として消費されているのだ。
「来たぞ! 勇者レオン様だ!」
誰かが叫んだ。
地響きのような歓声が上がる。
道の向こうから、白銀の甲冑に身を包んだ一団が現れた。
先頭を歩くのは、まばゆいばかりの金髪をなびかせた青年だ。
彼が右手を軽く挙げると、悲鳴のような歓声が一段と大きくなった。
「あれが勇者か。思っていたより、ずっと……」
「キラキラしてるだろ?」
私の言葉をカイトが引き継いだ。
「ああ。直視すると目が潰れそうだ。あんなに光り輝いて、隠密行動なんて言葉は彼の辞書には載っていないんだろうな」
勇者一行は、私たちのすぐ前で足を止めた。
正確には、彼らの行く手を阻むように設置されたインタビュー用バックボードの前で。
「レオン様! 今回の魔王討伐、勝算はいかがでしょうか!」
記者が魔法の拡声器を突き出す。
勇者レオンは、完璧な角度でカメラに笑顔を向けた。
「勝算? そんなものは必要ありません。正義は常に勝つ。それがこの世界のルールですから」
「おおお……!」
聴衆が感極まった声を漏らす。
「勇者ってのは、あんなに偉そうに喋るのが義務なのか?」
私がカイトに耳打ちすると、背後から聞き覚えのある事務的な声が返ってきた。
「義務ではありません。配役です」
振り返ると、そこにはギルドの受付嬢が立っていた。
彼女は相変わらず、戦場とは思えないほど涼しい顔をして、書類の束を抱えている。
「君、どうしてここに?」
「外注の進捗確認です。それと、勇者一行の演出指導の立ち会いですね」
「演出指導? 勇者の戦いには演出家がいるのか」
「当然です。カメラ映りの悪い勝利より、見栄えのいい苦戦の方が、視聴率は稼げますから」
彼女はペンで書類に何かを書き込みながら、ステージ上の勇者を冷ややかに見つめた。
「アルトさん、勇者っていうのは、特別な才能を持った個人のことではないんです。あれは、国家が予算を投じて維持している現象なんですよ」
「現象ね。台風や地震と同じか」
「いいえ。もっと質が悪い。意思を持ったフリをする、巨大な広告看板です」
ステージでは、勇者レオンがさらに饒舌に語っていた。
「魔王は邪悪です! 彼は世界の秩序を乱し、人々の安らぎを奪っている! 私は、神に選ばれし者として、その根源を断つ!」
私は、昨日見た平和な魔王領と寝ているキラーベアを思い出した。
彼の言っていることと、現実の乖離が激しすぎて、頭がクラクラする。
「なあ、レオンさん」
私は、気づけば一歩前に出ていた。
勇者の親衛隊が色めき立ち、槍を向けてくるが、レオンはそれを手で制した。
「何かな、市民。サインなら後にしてもらえるかい? 今は世界を救うので忙しいんだ」
「サインはいらない。ただ、一つ聞きたいんだが。あんた、魔王に会ったことはあるのか?」
一瞬、周囲が静まり返った。
レオンの完璧な笑顔が、一ミリだけピクリと動いた。
「会ったことはない。だが、邪悪であることは明白だ。教典にも、歴史書にも、そう書いてある」
「書いてあるから殺す、のか。それは仕事として合理的すぎるな」
「仕事? 失礼なことを言うな。これは使命だ」
レオンは私に近づき、声を低めた。
カメラには届かない、冷たい声だ。
「いいか、市民。人々は悪を必要としているんだ。倒されるべき悪がいるから、彼らは自分が善であることを実感できる。俺が魔王を殺すのは、彼らの自己満足を守るためでもあるんだよ」
私は、彼の瞳の奥を見た。
そこには、正義の輝きなど微塵もなかった。
あるのは、自分が演じている役割に対する、飽和した退屈と、少しの選民意識だけだ。
「あんた、自分が何人目の勇者か知っているか?」
私の問いに、レオンの眉が跳ねた。
「……何の話だ?」
「いや、独り言だ。気にしないでくれ」
私は引き下がろうとしたが、今度はレオンが私の肩を強く掴んだ。
「お前、さっきから変なことばかり言うな。……どこかで会ったか?」
「いいえ。私はただの配達員です。あなたのような光り輝く方に、お届け物をする機会はありませんでしたから」
レオンは不機嫌そうに手を離し、再びカメラの方を向いた。
「諸君! 雑音は無視しよう! さあ、魔王城へ突入だ! この剣にかけて誓おう!」
彼は腰の聖剣を引き抜いた。
それは、太陽の光を反射して、見る者を盲目にするほどの輝きを放った。
だが、私の目には、その輝きがひどく安っぽいメッキのように見えた。
「魔王は、俺が殺す!」
彼の宣言と共に、重厚な城門がゆっくりと開き始めた。
拍手喝采。
紙吹雪が舞い、勇者一行は誇らしげに、しかしどこか機械的な足取りで、城の中へと消えていった。
「……アルトさん、あれを殺すのが俺たちの仕事じゃないのか?」
カイトが、ポツリと言った。
「いや、私たちの仕事は魔王を殺すことだ。勇者の邪魔をすることじゃない。……もっとも、あいつが先に魔王を殺してしまったら、私たちの報酬はゼロだがな」
「ゼロか。それは死ぬより辛いな」
「同感だ」
私たちは、勇者一行が通り過ぎた後の、ゴミの散らかった道路を見つめた。
受付嬢が、私の隣に来て囁いた。
「アルトさん、今の会話、少し危なかったですよ」
「何がだ?」
「何人目なんて、台本にないセリフを言わないでください。作者が不機嫌になります」
「作者? またそれか」
「ええ。今のシーン、視聴率は好調ですが、あなたの登場で少しノイズが混ざりました。……次は、もっと上手くやってくださいね」
彼女はそう言い残すと、人混みの中へと消えていった。
私は、懐のコインを触った。
コインは、先ほどよりも激しく脈打っている。
まるで、勇者というシステムが近づいたことへの、拒絶反応のように。
「なあ、カイト。勇者は正義だって言ったな」
「ああ。教典にはそう書いてある」
「じゃあ、教典を書いてる奴が、ただの脚本家だとしたら……。その正義には、いくらの価値があると思う?」
カイトは答えず、魔王城の暗い入口を見つめていた。
そこには、華やかなパレードの光すら届かない、底知れぬ真実が口を開けて待っているようだった。




