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この世界では勇者は必ず魔王を倒す なぜなら俺たちが物語を調整しているからだ  作者: もりのなか
第1章 外注された殺し

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第8話:魔物

 森という場所は、本来ならもっと騒がしいはずだった。

 風が葉を揺らす音、鳥が縄張りを主張する声、あるいは何かが何かを捕食する際の、あのみっともない断末魔。

 そういった「生命のやり取り」が、森の環境音であるはずだ。

 しかし、旧・北街道を抜けた先にある「沈黙の森」は、驚くほど静まり返っていた。

 静かすぎて、自分の心臓の音が、誰かが遠くで叩いている太鼓のように聞こえる。


「なあ、アルトさん。さっきから一匹も魔物を見てないんだが、これって逆にヤバい兆候じゃないのか?」


 カイトが、短剣の柄を握りしめながら、周囲をキョロキョロと見渡した。


「ヤバい兆候?」

「ああ。嵐の前の静けさってやつだ。あるいは、もっとデカい何かが近くにいて、雑魚どもが全員逃げ出したか」

「逃げ出す、ね。魔物にそんな高度な判断力があると思うか?」

「判断力っていうより、本能だろ。ほら、地震の前にナマズが暴れるとか、そういうやつだよ」


 私は、足元の湿った土に刻まれた足跡を指差した。

 それは、大人の男の胴体ほどもある巨大な熊、キラーベアのものだった。

 しかも、刻まれたばかりだ。まだ土が湿っている。


「逃げてはいないらしい。むしろ、すぐそこにいる」

「……冗談だろ。キラーベアって言えば、冒険者の新人が真っ先に全滅する原因ランキング一位の魔物じゃないか」

「そのランキングに信憑性があるなら、私たちは今ごろ全滅していなきゃおかしい」


 私たちは、巨大なシダの葉をかき分けた。

 その先に、そいつはいた。


 全長三メートルを超える巨体。

 鋼のような剛毛に覆われた背中。

 そして、獲物を一撃で粉砕するであろう巨大な爪。

 キラーベアは、陽だまりの中で、信じられないことに寝転んでいた。

 それも、ただ寝ているのではない。

 腹を出し、四肢を投げ出し、まるで休日の昼下がりにくつろいでいるような、無防備きわまる格好で。


「……おい。あれ、死んでるのか?」

「いや、呼吸をしている。ただ、寝ているだけだ」

「魔王城のすぐ近くで、あんな無防備に? 警備の仕事はどうしたんだよ。給料泥棒か?」

「魔物に給料という概念があるならな」


 私は、そっとキラーベアに近づいた。


「おい、アルトさん! 自殺志願か?」


 カイトの制止を無視して、私はキラーベアの耳元まで歩み寄った。

 熊は一度だけ薄目を開け、私を視界に入れた。

 だが、すぐに鼻を鳴らすと、寝返りを打って再び眠りについてしまった。

 そこには、人間に対する敵意も、食欲も、警戒心すらも存在しなかった。


 私は、その熊の首筋に光るものを見つけた。

 境界の街で見た狼と同じ、銀色のタグだ。

『管理番号:0892。魔王軍・森林警備部門』


「カイト、これを見てくれ」


 カイトが恐る恐る近づき、タグの文字を読んだ。


「……森林警備部門? 魔物ってのは、本能で暴れる破壊の化身じゃないのか?」

「かつてはそうだったのかもしれない。だが、今のこいつらは、明らかに雇用されている」


 私たちは、その場を離れ、さらに森の奥へと進んだ。

 進むにつれ、奇妙な光景は加速していった。

 毒蜘蛛のグレートスパイダーが、木々の間に整然と巣を張り、森のゴミを掃除していた。

 火を吐くサラマンダーが、決められた区域で焚き火の火種を守っていた。

 どれもが、自らの殺傷能力を「業務」のために使い、それ以外の時間はひどく穏やかに過ごしている。


「なあ、アルトさん。魔物が攻撃してこない世界なんて、そんなのファンタジーだろ」

「私たちは今、そのファンタジーの中にいるんだ」

「いや、俺が言いたいのは、物語としての整合性の話だよ。魔物が襲ってこないなら、勇者のレベル上げはどうなるんだ? 冒険者ギルドの存在意義は? 世界の経済が破綻しちまうぜ」


 カイトは、立ち止まって空を仰いだ。


「魔物は襲ってくる。人間はそれを倒す。その循環があるから、世界は回っているんだ。なのに、こいつらはそのルールを完全に無視している。……これじゃ、俺たちの仕事、ただの嫌がらせじゃないか」

「嫌がらせ、か。面白い表現だな」

「だろ? 平和に寝てる熊を殺しに行くなんて、動物愛護団体に訴えられても文句言えないぜ」


 私は、懐のコインを取り出した。

 コインは、森の奥に進むほどに微かな振動を繰り返している。

 それは、何らかのシステムエラーを知らせるアラートのように感じられた。


「正義っていうのは、多数決だって言ったな、カイト」

「ああ。百対一なら、一の方が悪だ」

「じゃあ、この森にいる何千、何万という魔物が、誰一人として人間を襲っていないとしたら……。その魔物たちを皆殺しにしようとしている人間の方は、果たして正義と言えるのか?」


 カイトは、言葉に詰まった。


「……それは……。でも、魔王は世界を滅ぼそうとしてるんだろ?」

「誰がそう言った?」

「依頼書に書いてあった。勇者もそう言ってる。ギルドの受付嬢だって……」

「彼女は言ったよ。調整が必要だとな。魔王が世界を滅ぼそうとしているから殺すのではない。魔王が魔王としての仕事をしないから、物語が成立しなくて困っているんだ」


 森の開けた場所に、不自然な建造物があった。

 それは、魔法仕掛けの補給ステーションだった。

 魔物たちが列を作り、自分のタグをかざして、決まった量の魔力餌を受け取っている。

 そこには、弱肉強食という自然界のルールは微塵もなく、あるのは徹底された管理と分配だった。


「管理番号、供給システム、そして非攻撃性のプログラム。……カイト、これは軍隊じゃない。……インフラだ」

「インフラ? 魔王城が、役所だって言いたいのか?」

「あるいは、巨大なサーバーだな。この森の生態系を、暴力というノイズを除去して運営している」


 その時、草むらから一匹の小さな魔物が現れた。

 それは、本来なら猛毒を持つはずのポイズンラットだった。

 そいつは、私の靴の上に乗り、まるで何かを強請るように鼻を動かした。

 私が持っていた携帯食料のパンの欠片を差し出すと、ラットは器用に両手で受け取り、その場で食べ始めた。


「毒がない……?」

「いや、毒はあるだろう。だが、そいつを使う必要がないと判断しているんだ。腹が満たされ、生存が保証されているからな」


 カイトは、その光景を信じられないものを見るような目で見つめていた。


「……もし、魔王が本当に魔物を支配しているなら、そいつは世界で一番強力な抑止力ってことになる。そいつがいなくなったら、管理を解かれた魔物たちが一斉に野生に戻って、それこそ世界は地獄になるぞ」

「だから、外注なんだ」


 私は、依頼書の文面を思い出した。


「勇者が魔王を倒すのは、感動的な大団円だ。だが、その後の管理の崩壊については誰も責任を取らない。王国は、魔王というシステムを破壊し、その混乱に乗じて自分たちの権益を拡大したいだけなのかもしれない」

「……ろくでもないな。世界を救う仕事だと思ってたのに、世界の不便を増やす手伝いをしてる気分だ」

「不便、ね。それこそが、この世界という物語を長引かせる秘訣なんだろうよ」


 私たちは、森を抜けた。

 視界が開け、そこには天を衝くような魔王城の威容が立っていた。

 城の周囲には、無数の守護魔物が配置されているのが見える。

 だが、彼らは城を守っているというよりは、城から溢れ出す平和を、外の世界へ逃さないように堰き止めている壁のように見えた。


 私は、城門の前に立ち、重厚な石造りの壁に触れた。

 冷たいはずの石壁が、なぜか微かな熱を持っている。

 それは、生命の鼓動というよりは、稼働し続ける機械の排熱に近いものだった。


「アルトさん、見てくれ。あそこに……」


 カイトが指差した先。

 城門の脇に、小さな、本当に小さな文字で書かれた看板があった。


『本日の魔物被害:0件。平和維持活動、継続中』


 私は、短剣の柄に置いた手の力を少しだけ緩めた。

 目の前に広がるのは、禍々しい魔界の風景ではない。

 あまりにも完璧に管理された、異常なまでの静寂だった。


「なあ、カイト。お前はさっき、魔王は世界を滅ぼそうとしているのかと聞いたな」

「……ああ。聞いたよ」

「私の目には、その逆に見える」

「逆?」

「魔王が、この世界の崩壊を一人で食い止めている。……そんな気がしてならないんだ」


 私は城門を見上げ、最後の一文を飲み込むように呟いた。


「魔王が守っているのは、魔物なのか? ……それとも、この世界そのものなのか?」

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