第7話:古い地図
地図というものは、本質的に嘘つきだ。
三次元のデコボコした世界を、無理やり二次元の紙に押し込めている時点で、そこには何らかの「妥協」や「省略」が含まれている。
道があると言いながら、実際には崖崩れで通れなかったり。
川があると言いながら、季節外れの干ばつで干上がっていたり。
結局のところ、地図とは「こうあってほしい」という誰かの願望のスケッチに過ぎない。
私は、旧・北街道の道端にある、崩れかけた休憩所でそんなことを考えていた。
「アルトさん、さっきから難しい顔をして何を睨んでいるんだ? その石っころに何か恨みでもあるのか?」
カイトが、足元の小石を蹴飛ばしながら聞いた。
「地図のことを考えていただけだ」
「地図? 便利な発明じゃないか。俺たち泥棒にとっては、宝のありかを示す聖書みたいなもんだよ。もっとも、偽物の方が多いけどな」
カイトは、道の先を指差した。
そこには、古びた幌馬車が一台、不自然に停車していた。
看板には「万事屋・情報屋・地図屋」と、節操のない文字が並んでいる。
「ちょうどいい。あそこで『本物』の地図でも買っていこうぜ。魔王城の構造がわからなきゃ、裏口から忍び込むこともできないからな」
「魔王城の地図なんて、市販されているものか?」
「普通の店にはないだろうな。だが、ああいう怪しい露店には、たまに流出品が転がっているもんだ」
私たちは、その幌馬車へと近づいた。
中から出てきたのは、シルクハットを深く被り、度の強い眼鏡をかけた、ひどく細長い男だった。
彼は私たちの姿を見ると、まるで長年の友人を迎えるような、大げさな身振りで手招きした。
「いらっしゃい、親愛なる迷子たち。お探しのものは、目的地への近道かな? それとも、過去への帰り道かな?」
「目的地への、正確な道が欲しい。魔王城のな」
私の言葉に、商人の眼鏡がキラリと光った。
「ほう、魔王城。それはまた、ずいぶん物騒な観光地だ。あそこに行くのは、勇者か、死にたがりか、あるいは……外注を受けた不運な男だけだと思っていたが」
商人は、カウンターの下から一本の古びた筒を取り出した。
「これは、百年前に書かれた古い地図だ。魔王城の設計図の草案と言ってもいい」
「草案? 完成品じゃないのか?」
「地図に完成なんてないのさ。世界が常に書き換えられているように、城もまた、住人の都合で形を変える」
私はその地図を広げた。
羊皮紙は、驚くほど滑らかで、どこか人の肌のような質感があった。
描かれている線は繊細で、今の測量技術ではありえないほどの正確さで、城の内部構造が描写されている。
「おいくらだ?」
「金貨三枚。君たちが持っている王国の予算からすれば、端金だろう?」
「……お前、どうして私たちが金を持っていると知っている?」
商人は、肩をすくめた。
「商売人は数字に敏感なだけさ。君たちの足取りからは、金貨の重みが聞こえる。それに、君の隣にいる泥棒くんからは、他人の財布に対する執着心が匂ってくるしね」
「おいおい、俺は今、休業中だぜ」
カイトが不愉快そうに鼻を鳴らした。
私は金貨を払い、その地図を受け取った。
受け取る際、指先が羊皮紙に触れた。その瞬間、頭の中に、かすかなノイズが走った。
それは以前、訓練を受けていた時に感じた、あの奇妙な感覚に似ていた。
「なあ、おじさん。一つ聞きたいんだが」
カイトが商人に詰め寄った。
「本物の地図って、何だと思う?」
「面白い質問だね、若者。本物の地図とは、目的地に辿り着ける地図のことではないよ」
「じゃあ、何だ?」
「その世界を決定する地図のことだ。地図に道が描かれていれば、そこには道ができる。地図に壁が描かれていれば、たとえ空地であっても、君たちはそこを通ることができない」
商人の言葉には、重い余韻があった。
私たちは地図を持って、幌馬車を後にした。
歩きながら、私は地図の隅に書かれた小さなサインに目を留めた。
それは、文字というよりは、何らかの注釈のような、奇妙な記号だった。
「アルト、さっきの商人の話、どう思う? 地図が世界を決めるなんて、まるで俺たちが絵本の中の住人みたいじゃないか」
「あながち、間違いじゃないかもしれないな。誰かが描いた道の上を、私たちは歩かされている」
「それじゃあ、自由がないだろ。俺がパンを盗むのも、誰かが脚本に書いたからなのか?」
「お前がパンを盗むのは、ただの性格の問題だろ。だが、そのパン屋がそこにあり、お前が腹を空かせている状況は、誰かが配置したものかもしれない」
私たちは再び、魔王城へと続く旧街道を歩き始めた。
日差しが強くなり、影が濃くなる。
私はふと、配達員時代のことを思い出した。
あの時、私は地図にない道を何度も通った。
地図に描かれていないということは、そこには設定がないということであり、同時に自由があるということだった。
「カイト、お前は魔王城の隠し入口を知っていると言っていたな」
「ああ。城の西側、巨大な排気口のそばに、崩れた壁がある。そこなら警備のゴーレムも気づかない」
「……この地図を見てくれ」
私は地図を広げ、西側の壁を指差した。
地図上では、西側の壁は完璧な防護結界で覆われており、崩れた箇所など一つも存在しなかった。
それどころか、そこには立ち入り禁止を意味する赤い文字が浮き上がっている。
「変だな。俺の記憶じゃ、あそこは確かに穴が開いていたはずだぜ。半年前、この目で見たんだから」
「半年で修復したのか?」
「魔王軍がそんなに勤勉だとは思えないな。奴ら、普段はクッキー焼いてるんだろ?」
カイトは地図を奪い取り、目を皿のようにして眺めた。
やがて、彼の顔から余裕が消え、眉間に深い皺が刻まれた。
「……アルト、この地図、やっぱりおかしい」
「何がだ?」
「この構造図……よく見てくれ。城の内部と外部が繋がっていない。まるで、別の空間を無理やり繋ぎ合わせたみたいだ」
カイトの指が、ある一点で止まった。
そこは、城の最深部、魔王の間とされる場所だ。
そこには、部屋の図面の代わりに、別の地図が描かれていた。
それは、ここではない別の街。アストラル連邦の、あのカフェがある駅前の地図だった。
「なんで魔王の城の中に、駅前の地図があるんだ?」
「……わからない。だが、この地図を書いた奴は、この世界がどう繋がっているかを正確に知っているらしい」
私は背後に振り返った。
ついさっきまでそこにあったはずの、商人の幌馬車が、影も形もなくなっていた。
ただ、乾いた風が砂を巻き上げているだけだ。
最初から、何もなかったかのように。
「消えた? 魔法か?」
「いや、消去されたんだ」
私は確信を持って言った。
その時、私の懐にあるコインが、肌を焼くほどの熱を発した。
「アルト、急ごう。この地図の通りに歩いていたら、俺たちは魔王に会う前に、世界の側に放り出されるぞ」
カイトが焦った声を出す。
彼は地図の端を指でなぞりながら、叫ぶように言った。
「この地図、間違ってる! 全部だ!」




