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この世界では勇者は必ず魔王を倒す なぜなら俺たちが物語を調整しているからだ  作者: もりのなか
第1章 外注された殺し

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第5話:魔王の噂

 アストラル連邦の北端に位置する「境界の街」は、驚くほど静かだった。

 もっとも、静かと言っても墓場のような静寂ではない。

 人々が日常を謳歌し、子供たちが路地裏を駆け抜け、パン屋からは香ばしい匂いが漂っている。

 いわゆる、平和そのものの光景だ。

 太陽は西に傾き、街全体をオレンジ色の絵の具で塗りつぶそうとしていた。別に意味はない。ただ、夕暮れだった。


「なぁ、アルトさん。ここ、本当に魔王領のすぐ近くなのか?」


 カイトが、パンを齧りながら隣で言った。

 彼の指先は相変わらず落ち着きがなく、道行く人々の財布を無意識にカウントしているようだった。


「地図の上ではそうだな。目と鼻の先だ」

「鼻の先にあるのが、巨大な角を生やした怪物じゃなくて、焼きたてのクロワッサンっていうのは、どういう冗談だ?」

「冗談じゃない。これが現実だ。現実っていうのは、だいたい期待を裏切るようにできている」


 私は、広場のベンチに座り、周囲を観察した。

 ギルドの依頼書によれば、魔王は「世界を滅ぼそうとしている存在」のはずだった。

 しかし、この街の人々の顔には、滅亡の影など微塵も感じられない。むしろ、隣町の特売日を心配しているような顔ばかりだ。


「ちょっと、聞いてくる」


 私は立ち上がり、近くで露店を開いている老人に声をかけた。

「おじいさん、少し伺いたい。この先の魔王城についてだ」


 老人は、トマトを磨いていた手を止め、不思議そうな顔で私を見た。

「魔王城? ああ、あの大きな建物か。それがどうしたんだね、旅の若者」

「どうした、も何もない。怖くないのか? 魔王がすぐそこにいるんだぞ」

「怖い? なんでそんなことを。魔王様が何か悪いことをしたとでも言うのかい?」


 私は、カイトと顔を見合わせた。

 カイトは口の中のパンを飲み込み、会話に割り込んできた。

「悪いこと、って。魔王だろ? 世界を支配しようとしたり、村を焼いたり、生贄を求めたり……そういうのが仕事だろ」

「はっはっは、そりゃあ昔の御伽話だ」


 老人は愉快そうに笑った。

「魔王様はね、三年前の洪水の時、真っ先に魔物を寄越して堤防を直してくれたんだ。おかげでこの街は救われた」

「魔物が、堤防を直した?」

「ああ。器用なもんだったよ。角の生えた大男たちが、人間よりずっと手際よく石を積んでいくんだ。見事な仕事ぶりだった」


 私はベンチに座り直し、深く息を吐いた。

 話が、ギルドから受け取った依頼書の内容と根本から食い違っている。


「なあ、おじいさん。魔王が人を殺したっていう話は聞かないのか?」

「殺した? まさか。むしろ、森で迷った子供を魔王城まで送り届けてくれたって話なら聞いたことがある。お礼にクッキーをもらったらしいよ」

「クッキーを?」

「魔王様が焼いたのか、部下の方なのかは知らんがね。とにかく、美味しかったそうだ」


 老人は再びトマトを磨き始めた。

 彼の背後にある平和な空気に、私は言いようのない違和感を覚えた。


「カイト、どう思う」

「どう思うも何も、俺たちが暗殺しに行こうとしている相手は、どうやら聖人君子らしいな」

「聖人君子の魔王か。それはもはや、設定の渋滞だ」


 私たちは広場を離れ、さらに街の奥へと歩いた。

 街の中央には、勇者の功績を称える石碑ではなく、奇妙な記念碑が立っていた。

『北の守護者に感謝を』

 刻まれているのは、不気味な魔王の紋章。

 しかし、その周りには美しい花が供えられ、丁寧に手入れされている。


「アルトさん、この街、何かが変だ」

「何がだ」

「魔物がさ、あそこにいるだろ」


 カイトが指差した先には、大きな狼のような魔物が、パン屋の軒先で昼寝をしていた。

 驚くべきことに、街の住人は誰一人としてそれを気にしていない。


「襲わないのか?」

「さあな。見たところ、ただの毛深い常連客だ」


 私はその狼に近づき、じっと観察した。

 狼は一度だけ目を開け、私をチラリと見たが、すぐに興味を失ったようにあくびをして再び目を閉じた。

 その首には、小さなタグが付いていた。

『管理番号:1042。魔王軍所属』


「……管理されている」

「どういうことだ?」

「魔王は、魔物を野生の獣としてではなく、公務員として管理しているんだ。だから、人を襲わない。いや、襲う必要がないんだ」


 私たちは、その場を離れて静かな裏路地に入った。

 私は、懐の依頼書を取り出した。

 王国が発行した、勇者の代わりに外注された魔王暗殺。

 異常な高額報酬。

 そして、「魔王には話しかけるな」という奇妙な注意書き。


「正義って何だと思う、カイト」

「急に重いな」

「いいから答えろ。泥棒なりの正義でいい」


 カイトは壁に寄りかかり、少し考えた。

「そうだな……『自分の取り分を邪魔されないこと』かな」

「それはエゴだ」

「エゴのない正義なんて、名前だけの透明な水みたいなもんだよ。飲んでも腹は膨れない」


 私は石碑の文字を見つめた。

「もし、魔王がこの街の人々にとっての『善』だとしたら、それを殺そうとする私は何だ?」

「悪役、だろ。人数で決まるって言ったじゃないか。この街の人間にとって、お前はただの通り魔だ」

「だとしたら、王国はどうして魔王を殺したがっている?」

「物語が必要なんだよ。均衡を維持するための、勧善懲悪、正義の勝利。景気を良くするための、復興需要だ」


 私は、依頼書を握りしめた。

 誰かがこの世界の「調和」を維持するために、平和な統治を行っている魔王を無理やり悪役に仕立て上げようとしている。


「アルトさん、どうする? 帰るか?」

「いや。確かめる必要がある。この目でな」


 私は、旧・北街道の方角を向いた。

 地図から消された、魔王城へと続く道。


「カイト、お前は魔王城が『装置』だと言っているな」

「ああ。生活音がしない、スイッチを切った後の誰もいない舞台みたいだってな」

「もし、魔王が人を殺さない理由が、道徳的な善意からではなく、ただの『設定』だとしたら?」

「設定?」

「魔王という役割を演じるための、プログラムのようなものだとしたら……どう思う?」


 カイトは顔をしかめた。

「そんなの、一番笑えない冗談だ。俺たちが生きているこの街も、あのトマト売りのじいさんも、全部脚本通りに動いているなんてさ」


 その時、街の鐘が鳴った。

 夕暮れの合図だ。

 人々は一斉に片付けを始め、笑顔で挨拶を交わしながら家路につく。

 その動きは、あまりにも整然としていて、あまりにも「正しい」。


「……それ、魔王じゃなくて市長じゃない?」


 私の呟きに、カイトは力なく笑った。

「市長を暗殺しに行く暗殺者か。それはもう、ただのテロリストだな」


 私たちは、夜の帳が下りるのを待って、街の外れへと向かった。

 背後にある「平和な街」の灯りが、妙に眩しく感じられた。


 森の入口に差し掛かった時、私の足元で何かが光った。

 カイトが私のポケットに入れた「ERROR」のコインだ。

 コインは、月明かりを反射して、不気味な赤色に明滅していた。


「アルトさん、あそこを見てくれ」


 カイトが指差す先。

 森の奥にある魔王城の城門が、音もなく開いたのが見えた。

 松明の光はない。

 ただ、闇の中で巨大な口が開くように、門が私たちを招いていた。

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