第2話:勇者の仕事
朝が来た。
太陽は東から昇り、律儀に世界を照らしている。
太陽には、仕事を選り好みする権利はないらしい。
私はベッドの上で、昨夜受け取った羊皮紙を眺めていた。
昨日のカフェでの出来事が夢ではなかったことを、その紙の感触が証明している。
『魔王暗殺の依頼』
私は起き上がり、キッチンで安物のコーヒーを淹れた。
昨日の冷めたコーヒーよりはマシだが、それでも高級品には程遠い。
私は、依頼書の末尾に記された「報酬」の欄を二度見した。
そこには、私の配達員時代の年収を百倍にしても足りないような、天文学的な数字が踊っていた。
「……勇者の命ってのは、ずいぶん高いんだな」
私は独り言をこぼした。
正確には、勇者が「やらなくていいこと」を買うための代価だ。
それだけの金があれば、一生遊んで暮らせる。
あるいは、世界中のコーヒー豆を買い占めることもできるかもしれない。
もっとも、そんなことをしても胃を壊すだけだが。
私は支度を整え、街の中心部にある「アストラル鉄道」の駅へと向かった。
駅は通勤客で溢れていた。
鎧を着た冒険者もいれば、スーツを着た事務員もいる。
この世界では、魔法と経済が同じ線路の上を走っている。
「おはようございます、アルトさん。決心はつきましたか?」
駅のホームで、彼女は待っていた。
ギルドの受付嬢。名前はまだ聞いていない。
彼女は通勤ラッシュの中でも、まるで静止画のように凛として立っていた。
「決心というよりは、確認だ」
「確認、ですか?」
「ああ。この報酬の出どころだ。これだけの金、ギルドが出せるわけがない」
「お察しの通りです。これは『王国』からの特別予算です」
彼女は、自動販売機で買った缶入りの魔力飲料を私に差し出した。
それを一口飲むと、舌が痺れるような甘さが広がった。
「王国ね。つまり、国が公認で魔王を殺そうとしているわけだ」
「表向きは、勇者が殺すことになっています。あなたは、その『結果』を納品するだけでいい」
「納品。魔王の首を、宅配便で送れと?」
「いえ、証拠があれば十分です。勇者がトドメを刺したように見せかける演出も、報酬に含まれています」
私たちは、到着した列車に乗り込んだ。
魔力で動く列車は、音もなく加速していく。
「なあ、勇者ってのは職業なのか?」
「今の制度では、そうですね。特殊技能職、あるいは、国民の希望を維持するための広告塔です」
「広告塔ね。給料は税金か」
「ええ。だから、彼らが負けることは許されない。負ければ株価が下がる。景気が悪くなる」
「魔王が負けても、株価は上がるのか?」
「爆上がりですよ。復興需要というやつです」
彼女は窓の外を流れる景色を眺めながら、淡々と続けた。
「世界は、物語が必要なんです。勧善懲悪。正義の勝利。でも、現実は物語のように上手くはいかない。だから、調整が必要なんです」
「その調整を、私に外注したわけだ」
「あなたは元配達員で、世界の裏道を知っている。そして、何より『誰にも知られずに届ける』ことに長けている」
列車はトンネルに入った。
車内の照明がオレンジ色に切り替わり、彼女の横顔を奇妙に強調した。
「勇者ってのは、何で一人なんだ?」
「その方が、応援しやすいからです。五人も十人もいたら、ファンが割れるでしょう?」
「アイドルグループみたいな悩みだな」
「物語は、シンプルであるほど強いんです」
彼女はバッグから、昨日の依頼書の「完全版」を取り出した。
そこには、より詳細な「禁止事項」が並んでいた。
「これを読んでください」
「……『魔王には話しかけるな』。またこれか。昨日はハッキングがどうとか言っていたな」
「それもありますが、最大の理由は別にあります」
「何だ?」
「魔王と話すと、あなたが魔王を好きになってしまうからです」
私は思わず、飲んでいた魔力飲料を吹き出しそうになった。
「好きになる? 私が、魔王を?」
「魔王の最大の武器は、暴力ではありません。圧倒的な『正論』です。それこそが、勇者制度を根底から揺るがす毒なんです」
私は、依頼書の最後に小さく書かれた、血のように赤い印を見つけた。
それはギルドの紋章でも、王国の印章でもなかった。
「この赤い印は何だ?」
「……それは、『作者』の承認印です」
彼女は囁くように言った。
列車の騒音にかき消されそうなほど小さな声だったが、私の耳には雷鳴のように響いた。
「作者?」
「ええ。この世界という物語を、書き進めている存在です」
列車がトンネルを抜けた。
強烈な光が車内に差し込み、私たちは思わず目を細めた。
私は、もう一度、依頼書の最後にある「奇妙な注意書き」に目を落とした。
『追伸:魔王には絶対に話しかけるな。彼に、あなたの名前を教えてはならない』




