第13話:勇者の仲間
王都アストラルの中心部に位置する、ガラス張りの巨大なカフェ。
そこは、勇者レオン一行が「休憩」という名のファンサービスを行うための指定拠点だった。
私は、受付嬢から手渡された一人の女性の肖像画――配達員時代に死んだはずの幼馴染の顔を、上着の内ポケットに隠したまま、そのカフェの回転ドアをくぐった。
カイトは、私の三歩後ろを、所在なげに歩いている。
「なあ、アルトさん。勇者に会うのはいいが、俺たちは今、指名手配犯に近い立場だって自覚はあるか?」
「自覚なら、駅前のゴミ箱に捨ててきたよ。あそこは分別が厳しいから、自意識過剰と一緒に捨てると怒られるんだ」
「それは便利なゴミ箱だな。俺の前科も捨てられるかな?」
「前科は粗大ゴミだ。事前にシールを貼って、指定の日に出す必要がある」
カフェの中は、異常な熱気に包まれていた。
アストラル連邦の市民たちが、魔法のカメラを片手に、中央の円形テーブルを遠巻きに囲んでいる。
そこには、白銀の甲冑を脱ぎ捨て、カジュアルなシャツを着た勇者レオンと、彼を支える仲間たちが座っていた。
僧侶のマリア。
剣士のゲイル。
魔導師のリン。
彼らは完璧だった。
美しく、凛々しく、そして何より「それっぽかった」。
勇者という主役を引き立てるための、完璧な三原色のように。
「見てくれよ。あの僧侶のマリア、昨日俺がスった……いや、見かけた役人の奥さんにそっくりだ」
カイトが声を潜めて言った。
「顔のパーツを使い回しているんだろ。エコロジーな世界だな」
「エコロジーっていうより、手抜きだろ、作者の」
私は、テーブルに向かって歩き出した。
周囲の視線が突き刺さる。だが、彼らは私を物語の登場人物として認識していない。
ただの背景、あるいは風景の一部としてしか見ていない。
私は、レオンの正面、マリアの隣の席に、断りもなく腰を下ろした。
「失礼。少し、昔話をしてもいいかな」
勇者レオンは、飲みかけのハーブティーを置き、驚いたように私を見た。
「君は……昨日の門前の。配達員、だったかな?」
「今は、ただの野次馬ですよ。勇者の仲間たちが、どんなパンを食べているのか気になりまして」
剣士のゲイルが、不快そうに腰の剣を鳴らした。
「無礼だぞ。レオン様は今、明日の作戦会議中だ」
「作戦会議? 脚本通りに歩くだけのことに、作戦が必要なのか?」
私の言葉に、ゲイルの動きが止まった。
「脚本? 何の話だ」
「例えば、ゲイルさん。あなたのその右頬の傷。いつ、どこでついたものですか?」
ゲイルは反射的に頬の古傷に触れた。
「これは……三年前、北の荒野で魔物の群れと戦った時の名誉の負傷だ」
「北の荒野の、どこですか? 街の名前は? その時、一緒に戦った兵士の顔を一人でも覚えていますか?」
ゲイルの瞳が、一瞬だけ激しく揺れた。
彼は口を開こうとしたが、言葉が出てこない。
まるで、ハードディスクが壊れたパソコンが、読み込みエラーを繰り返しているようだった。
「……忘れた。激戦だったからな。記憶が混濁しているんだ」
「そうですか。では、僧侶のマリアさん。あなたは、どこでレオンと出会いましたか?」
マリアは、持っていた聖典を胸に抱きしめた。
その聖典の表紙は豪華だが、よく見るとページの中身が真っ白であることを、私は見逃さなかった。
「私は……教会の命を受けて。気づいたら、レオン様のお側にいたのです」
「『気づいたら』。便利な言葉ですね。魔法使いのリンさんは?」
小柄なリンは、眼鏡の奥で無機質な光を放っていた。
「私の魔力供給限界は、現在のチャプターにおいて残り三回分です。非効率な会話は、システムの負荷になります」
カイトが後ろで、ひきつった笑い声を上げた。
「チャプターだってよ。アルトさん、この子たち、自分が何なのか隠す気もなさそうだぜ」
「君たちは、自分が配置されたという感覚はないのか?」
私は、マリアの聖典を指差した。
「その中身のない本を読み、出身地のない過去を語り、同じ顔の市民たちに微笑む。それが、君たちの正義なのか」
マリアが、悲しげに目を伏せた。
「正義かどうかは、私たちが決めることではありません。私たちは、ただ……レオン様が魔王を倒すまで、物語を繋ぐための道具でいいのです」
「道具、ね。道具にも、使い古されたら捨てられるという恐怖はあるんだろう?」
「恐怖、ですか」
マリアは、首にかけているペンダントを触った。
それは以前見たものより、妙に機械的な造形をしていた。
中央で、小さな赤い光が点滅している。
それは祈りの象徴ではなく、位置情報を送信するビーコンに見えた。
「私たちは、レオン様が孤独にならないために存在しています。もし、私がいなくなっても、すぐに代わりのマリアが現れるでしょう。そうなるのが、世界の調和なのです」
「代わりがいる。……それは、救いか? それとも絶望か?」
隣で聞いていたカイトが、マリアのハーブティーに角砂糖を二つ入れた。
「なあ、聖女様。代わりがいるってことはさ、あんたが今ここで勝手にパン屋と駆け落ちしても、物語は進むってことだろ? 自由じゃないか」
「自由。……そんな設定、私のリストには入っていません」
マリアの返答は、どこまでも虚ろだった。
私はレオンに向き直った。
「レオン。君は、彼らがこうなることを知っていたのか?」
「……知っていたさ。俺だって、同じだ」
勇者は自嘲気味に笑った。
「俺の聖剣だって、鞘から抜いた瞬間、あらかじめ決められた分だけの光を放つ。俺が何を斬りたいかじゃない。世界が何を斬ってほしいか、それだけが重要なんだ」
私は、内ポケットの肖像画を指先でなぞった。
受付嬢の依頼。
新しい仲間を、このパーティーに配置しろという命令。
「レオン。もし、ここに新しい仲間が加わるとしたら、君はどうする?」
「仲間? 脚本には、そんな予定はなかったはずだが」
「予定は、書き換えるためにあるんだよ。配達員っていうのは、渋滞があれば裏道を通る。君たちのパーティーに、空きはあるか?」
「空き、か」
レオンは、マリアとゲイルを交互に見た。
「一人、誰かを削れば、新しい椅子はできる。だが、誰を消去するかは、俺が決めることじゃない」
その時、魔導師のリンが、突然私の腕を掴んだ。
小さな、しかし鉄のように硬い握力だった。
「アルト。警告します。……空を見ないでください」
「空を見ないで? なぜだ」
「現在、世界の再構築が進行中です。あなたの未確認の言動により、王都のテクスチャが剥がれ落ちています。……直視すれば、あなたの視神経が未定義エラーを起こします」
私は思わず、窓の外の空を見上げた。
そこには、青い空も、白い雲もなかった。
あったのは、巨大な、黒い文字の羅列だった。
まるで、コンピュータのプログラムコードが空一面を埋め尽くしているような光景。
その文字の隙間から、巨大なペンのような影が、空をなぞっているのが見えた。
「……描いている。今、この瞬間も」
カイトが、腰を抜かして椅子から転げ落ちた。
「嘘だろ。あれ……あれ、神様の手か?」
「いいえ。ただの、納期に追われた作者の右腕です」
リンが淡々と答えた。
カフェの店内の客たちが、一斉にフリーズした。
コーヒーを注ごうとしていた店員の姿勢が止まり、宙で止まった液体が、ガラスの棒のように固まっている。
「処理落ちだ」
レオンが立ち上がった。
「アルト。君が余計なことを聞いたせいで、世界のメモリーがパンクした。……今すぐ、ここを去れ。君が背景に戻らなければ、この世界はフリーズしたまま永遠に目覚めないぞ」
「……去るさ。だが、一つだけ言っておく」
私は、上着から例の肖像画を取り出し、テーブルの上に置いた。
「これが、次の仲間だ。彼女をどう扱うかは、君が決めろ。……脚本ではなく、君自身の意思でな」
私はカイトを引きずりながら、静止したカフェを飛び出した。
外に出ると、空の文字は消え、再び偽物の青空が広がっていた。
だが、私の足元には、先ほどまではなかった黒い染みが広がっていた。
それは影ではなく、地面そのものが消滅した穴だった。
「アルトさん……今の、見たか? あのマリアって子、最後、笑ったんだぜ」
「笑った? ロボットみたいな返答しかしていなかったのにか?」
「ああ。ありがとうございます。やっと消去される理由ができましたって。……あの子たち、最初から、殺されたがってるんじゃないのか?」
私は答えなかった。
懐のコインが、今までにないほどの熱を放ち、私の肌を焼き始めた。
その熱は、一つの音声データとして、私の脳内に直接響いてきた。
『第十四話:死なない勇者。……ターゲットを、勇者パーティーから排除。代わりに、アルトの幼馴染を挿入。……承認を待ちます』
それは受付嬢の声ではなく、もっと高い、幼い子供のような声だった。
そして、私の目の前に、一人の少女が現れた。
肖像画に描かれた、死んだはずの幼馴染。
彼女は、血の通わない瞳で私を見つめ、ゆっくりと口を開いた。
「ねえ、アルト。……私のこと、ちゃんと納品してくれる?」




