第7話 決闘
「おい、リナ」
「何? アル」
決闘の直前、アルが低い声で呼び止める。
「殺すなよ」
「……アレクは敵じゃないの?」
「敵じゃない。あいつはただ、ちょっとリナと遊びたいだけだ。だから――軽く、捻ってやれ」
「了解」
そう言って、リナは静かに一歩前に出る。
そして、剣を構えるアレクと真正面から向き合った。
「負けを認めるならば、今のうちだぞ。平民」
「? 負けるわけがない。だって、あなたは弱いから」
「……ククク。いいだろう。その減らず口、すぐに叩けなくしてやる!!」
アルとフィアは店先に外用の席を並べ、集まった客たちとともに、その決闘の行方を静かに見守っていた。
「黄金律──解放」
刹那。アレクの全身に、黄金の魔力が奔流となって満ち溢れた。空気が軋み、地面の砂利がかすかに跳ねる。彼の握る剣もまた、その魔力に呼応するように輝きを帯びる。刃は淡い金光をまとっていく。
それはオルフェリオ家の血統的な魔法であり、彼の〈魔法剣〉は騎士の中でも唯一無二のものである。
「さて、準備は完了した。お前も魔力を解放しろ」
「私に魔力は無いよ」
「はぁ……? お前、本当に言っているのか」
「うん」
「く、ククク……! アハハハハ! まさか〈魔力無し〉がこの僕にここまで強気の態度を示してくるとは! 平民。勇敢と蛮勇の違いを──このアレクライト=オルフェリオが教えてやろう」
「……お喋りはもういいから、来て」
リナもまた刀を抜いて、真横にそれを構える。
「いいだろう! では、参る──!」
ダンッ――! 地を蹴った瞬間、アレクの身体が黄金の残光を引いて前へと弾ける。
〈黄金律〉──それは使用者のあらゆる身体能力と魔力出力を底上げする、正統派強化魔法だ。アレクは剣術の訓練も積んでいるからこそ、その魔法剣の力は絶大だ。
魔法と剣を融合させた〈魔法剣〉は本来、この世界の秩序を守るための力。だが、多くの騎士がそれを力の誇示に使う。もちろんそこに、大義や正義があるわけが無い。アレクもそんな騎士の一人だった。
「なっ……!?」
黄金の剣閃が走るが──
「──スゥ」
リナはわずかに身をずらし、刃を後方へと受け流す。瞬く間に彼女の刀は、すでにアレクの喉元へと届いていた。アレクは微動だにできない。
ただ、信じられないものを見るような瞳で、リナを見つめるしかなかった。
「私の勝ちでいい?」
「いや、待った!」
「待った?」
リナは突然の提案を疑問に思う。
「今の僕はまだ本気じゃなかった。次こそは本気で行く。次こそが、本当の決闘だ」
「……本当の決闘。うん、分かった」
仕切り直してリナは再び刀を構える。
一方でアレクは思考を巡らせる。
(僕もまだ本気じゃない。さっきのはただの小手調べだ。どうやら、思ったよりもやるようだが──この僕の〈黄金律〉の敵ではない!)
「では、次こそは本気で参る!」
「うん」
しかし、再び先ほどと同じ構図になる。
リナは淡々と剣を受け流して、その喉元に刀を突きつける。彼女にとってそれはただの反復でしかない。
「なあっ……!?」
「私の勝ちでいい?」
「いや、待て。まだ僕の力はこんなもんじゃない! 次に行くぞ!」
「……ん。分かった」
もはやそれは決闘ではなく、ただの稽古だったが、リナは何度も何度もアレクの剣を受けていた。それは師との稽古を思い出して、少しだけ楽しいとリナは思った。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
「もう終わり?」
「……くっ! 今日はここまでにしておいてやる! 次こそは僕が勝つ!」
「えっと……。ご来店、ありがとうございました」
一応、アレクは客だということを思い出して、フィアの真似をしてリナはそう言った。そうしていると、客たちがリナ元に駆け寄ってくる。
「おい、あんた凄いな!」
「あの騎士に勝つとは!」
「剣筋が見えなかったぞ!」
「ふふ。私は剣が得意なの」
剣のことを褒められて、リナは嬉しそうに顔を綻ばせていた。それを見ていたアルとフィアは──リナの実力を正確に理解していた。
「ありゃあ──本物だな」
「えぇ。どのような理屈か知りませんが、彼女は本当に魔力が無い。にもかかわらず、その速度と膂力は魔法剣を優に上回る」
「フィアはどう思う?」
「リナさんはおそらくですが──〈祝福〉持ちでしょう。それは剣に特化した祝福だと私は思いますね」
「ふ。何でそんな化け物がうちでバイトしてるんだよ。まあでも、それもいいか」
「……」
アルはどこか満足そうな顔をしていた。
一方でフィアはなぜか、その表情にわずかな陰りを帯びていた。
それから、リナのバイトの日々が始まった。
毎朝まだ薄暗いうちに起きて仕込みをして、営業が終われば、また翌日のための仕込み。
仕事の大半は食材を切ることだが、時にはホールに立つこともあった。
「おう、リナちゃん。今日はホールか」
「ん。ご注文は?」
「いつもの、頼むよ」
「いつもの。うん。了解」
リナは少しずつだが、ホールの仕事もこなせるようになっていた。
物覚えは早く、動きも無駄がない。相変わらず敬語は使えないが、それを咎める客はいない。不器用ながらも懸命に働く姿を、常連たちは認めていたからだ。
そして、時折――あの金髪の貴族、アレクの姿も店に見えるようになっていた。
「リナ! 今日も僕が来たぞ!」
「アレク。いらっしゃいませ」
リナは軽く頭を下げて、彼を出迎える。
「まずは腹ごしらえからだ。ビーフシチューを頼むぞ」
「ん。その後に稽古する?」
「稽古ではない! 決闘だ!」
「ふふ。分かった」
リナはアレクと稽古をしていた。アレク本人は決闘と言っているが、完全にそれはリナが師となって剣を教えている稽古だった。
「はぁ……はぁ……おい、リナ」
「何?」
「僕の剣は──どこが悪い?」
アレクもまた実力者だからこそ、理解し始めていた。
リナの剣は、常人の剣術ではない。魔法剣など比較にならないほどの、遥か高みにある剣だと。貴族として矜持から決闘と口にしているが、彼もリナに稽古をつけてもらっているのは分かっていた。
「剣を振ることだけを考えすぎてる……と思う。もっと、こう身体を使うといいかも……?」
リナは言語化が上手い方ではない。
彼女の師は剣の理論理屈、その理を完璧に理解していたが、リナにそれを教えることはなかった。ただ、見て覚えろと言うだけだった。
そう。リナは言語化せずとも、感覚的に剣の理を理解できてしまう傑物。けれど今は、アレクのために懸命に言語化しようとしていた。
「なるほど。勉強になった」
「……ごめんなさい」
「何の話だ?」
「……私はその、あんまりお喋りが得意じゃないから。上手く伝えることができない。だから……ごめんなさい」
師匠のように、上手く言葉にできたらいいのに。
あの時──自分の手で師を斬った瞬間、リナの心は微動だにしなかった。けれど今は違う。あの時よりずっと師のことを思い出してしまう。そして、生まれて初めて申し訳ないという感情が、彼女の胸の奥で形を持った。
そんな頭を下げるリナを見て、アレクは真面目に言葉を返す。
「──そんなことを気にする必要はない。リナ、お前の剣は凄まじい研鑽の末に至った剣術だと僕も理解している。リナの剣を見るだけでも、十分すぎるほどだ」
そう言った後、アレクはハッとした表情になる。
「い、いや! 今のは言葉の綾だ! そうに違いない! ただ、やはりキミは僕のライバルだな!」
彼は強引に話を変えるが、一方のリナはその〈ライバル〉という言葉に首を傾げる。
「ライバル?」
「あぁ。好敵手と書いて、ライバルだ」
「敵なの?」
「敵ではあるが、良い敵と言えるのかもしれない」
「良い敵……不思議だけど、うん。分かった」
まだ完璧に理解したわけではない。
けれどリナは、アレクのことを〈好敵手〉と思うようになった。
「朝だ」
リナはぱちっと目を覚ます。アルに用意してもらったベッドの上で、静かに上体を起こした。今日は〈鋼の料亭〉の仕事はない。だからこそ、彼女は新しい仕事を探すつもりだった。
王都の通りにある掲示板。
無数の依頼書と求人票が並ぶその前で、リナはじっと紙の列を眺める。
その時、背後から澄み切った声が響く。
「もしかして──お仕事をお探しでしょうか」
あまりにも凛として、それでいて柔らかな声。
振り向いた瞬間。リナは思わず瞬きをした。
朝の光を受けて、白金の髪がきらりと揺れる。
澄んだ蒼の瞳はまるで祈りそのもののように静かで、優しい。白を基調とした法衣は無駄な装飾がないが、一目で特別と分かる気品を纏っていた。
「私は――リリエル=アルマリアと申します。聖女をしております」
王都に名高い聖女。その名は誰よりも清らかで、誰よりも強い光を宿す者の証だ。ただし、そんなことをリナが知るはずもなく。
「聖女?」
「えぇ。よろしければ、近くの喫茶店で少しお話しをしませんか? お仕事のお話も、きっとお力になれると思いますので。もちろん、お代はこちらで」
「……いいの? お腹減ってるから、嬉しいけど」
「はい。構いませんよ」
リリエルはニコッと人の良さそうな笑みを浮かべる。だが、その裏にある意図などリナが理解できるわけもない。
「実は、私たちの教会では〈志のある方〉を探しておりまして。最初は皆さん、お茶から始めているんですよ」
「……?」
「最初は皆さん不安がられますが、ご安心してください。もし今より少しでも、より良い人生を歩みたいとお思いでしたら──きっと、お役に立てるお話ができるかと」
「ん。分かった。お話ししたい」
「では、こちらへ」
「うん」
「……ふふ」
リリエルはほんの一瞬だけ、唇の端を吊り上げた。
それは、まさに獲物を見つけた捕食者の笑みだった。リナはその意味を深く考えることもなく、ただ言われるがままにリリエルの後ろを歩き出す。
(ふふ。これでまた──〈信者〉を確保できます。彼女は簡単に丸め込めそうですね)
リリエルは完全にリナことを捕まえたと思っていたが、実は捕まえられたのは自分だと言うことを──彼女はまだ理解していない。




