第5話 ありがとう
リナの手には、血に濡れた刀。
刃の縁からは赤黒い滴がぽたり、ぽたりと地へ落ちていく。その音だけが、夜の静寂をわずかに揺らしていた。
リナの呼吸は乱れず、表情も変わらない。
「おい、村人が中で暴れたようだぞ! 一人やられた!」
「殺せ! 華奢な女一人だけだ!」
「ククク……。この俺様が斬ってやろう」
続々と盗賊たちが姿を現す。
だが、リナにとって人数は関係ない。
彼女はさらに加速する。
一歩踏み出すごとに距離が消え、視界の端に映った敵は、次の瞬間にはもう斬られている。
月光のもとで、刃が走った軌跡だけが──遅れて空気を裂く音を立てた。
「な、なんだこの女……!」
「動きが見えねぇ!」
「魔力を追えばいいだろ!」
「魔力が無ぇんだ! この女!」
「そんなわけねぇだろ!」
怒号が上がる。
盗賊たちは、誰一人としてリナの動きを捉えられなかった。
理由は単純だった。
──リナには、魔力がない。
魔力持ちの人間──剣士、魔法使い、冒険者などは、敵の動きを見る前に感じるのだ。
だが、リナの身体からは何も発せられない。
魔力という観点で見れば、リナはただの一般人となんら変わらない存在。
「──斬る」
だからこそ、気づいた時にはもう遅い。
視界の端に刃が現れ、距離は殺され、首が落ちる。理解が追いつかない。魔力を持たない人間が、なぜこれほど速く動けるのか。
それこそがリナに許された──〈転生した故の唯一の異能〉だと、彼らが知るはずもない。
「ひ、ひいいいいっ!」
「化け物だああああ!」
「逃げろおおおおお!」
リナの冷たい殺意が疾る。
彼女は決して敵を逃さない。
「敵は──斬る」
次の敵へ、次の首へ。
ただ〈斬る〉という動作だけが、正確無比に積み上がっていく。
「──これは、何事だ?」
最後に姿を現したのは、盗賊たちを束ねる男だった。腰には使い込まれた剣。全身には魔力が巡っている。
「ねぇ。あなたは敵?」
血を払ったリナは、そう尋ねる。
「女。お前が殺ったのか」
「うん」
「れなりに猛者を揃えていたが。一人で、全員を斬ったというのか」
「あなたも──敵だね。斬る」
リナはゆらりと刀を真横に構えた。
力みはなく、構えと呼ぶにはあまりに自然な姿勢。
「どんなカラクリか知らねぇが──お前、魔力が無いな。俺様は元騎士だ。〈魔力無し〉に負ける道理はねぇな」
彼の言う〈魔力無し〉とは、魔力が無い人間に対する蔑称である。この世界は魔力があることが、何よりも重要だからだ。普通であれば、〈魔力無し〉が魔力を持つ人間に勝てるわけがない。
そう。普通であれば──
「さて、仲間を殺されたんだ。お前には、その報いを受けて貰おうか。手足を斬り落として、削り取るようにじっくりと殺してやるよ」
「? そんなこと、出来るわけがない」
「ほざけ、ガキ。これを見て、そんな口が叩けるか?」
瞬間。男の剣から、紅蓮の炎が噴き上がった。
現代において〈騎士〉とは、剣の象徴である。
剣術と魔法を融合させた〈魔法剣〉を操る者。
たとえ今は盗賊に身を落としていようとも、元騎士の実力は疑いようがない。
「あなたは〈色付き〉なんだね」
「……色付き?」
「うん。たまに居る人」
リナは魔法剣を操る者と、これまでに何度か刃を交えてきた。しかし、原理原則など彼女にとってはどうでもいい。
「そうか。まぁいい。御託は終わりだ」
互いに剣を構える。
空気が張り詰め、殺気が交差する。
「俺は、お前を──斬るだけだ」
先に動いたのは、男の方だった。
一歩で間合いを詰める。
踏み込みは鋭く、体重移動にも無駄がない。剣に纏った紅蓮の炎が軌跡を引き、熱と殺気が同時に襲いかかる。炎剣が横薙ぎに振るわれた。
――速い。
だが、リナは一切下がらない。
刃が届く寸前。
彼女は半歩だけ踏み込み、炎の内側へと身体を滑り込ませた。熱が頬を掠めるが、構わない。
カンと乾いた音が響く。
リナの刀が男の剣を叩くのではなく、なぞるように受け流す。炎剣の勢いを利用し、刃の軌道をわずかに逸らすだけ。それだけで剣は空を斬った。
「なっ……!?」
男は驚愕する。
リナは〈魔力無し〉――魔力による防御すら持たない存在だ。つまり、彼女にとってはあらゆる一撃が致命傷である。それにもかかわらず、その踏み込みには、微塵の躊躇もなかった。
(こいつ、本当に〈魔力無し〉なのか……!?」
次の瞬間。
リナの体がほんの僅かに回転する。
最小限の動きで最大の膂力を発揮する。男はリナの狙いを察して、咄嗟に体を後ろに引く。リナは首に刃が届かないことを悟る。
(……踏み込みが足りない。それなら──)
――シッ。
刀が確かに振り抜かれた。
男の手首が宙を舞う。
一拍遅れてから炎が霧散し、血が噴き出した。
「……ぁ?」
男は自分の腕を見下ろす。
そこにあるはずの剣も手も、もう存在していない。
「本当は首を落とすつもりだったんだけど……」
「ぐ、ぐアアアアアアッ! こ、こんな……小娘に……! この俺様が……! 俺は元騎士だぞ……! あり得ねぇ、〈魔力無し〉如きに……!」
リナは刀を下げながら、地面に膝をついた男の前へと歩み寄る。
「ま、待て! もう何もしない! 大人しくここを去るから、見逃してくれ!」
「あなたは敵。だから──」
斬るだけ。と言うまでもなく、リナは男の首を斬り落とした。いつものように慣れた動作で血を払って、彼女は納刀する。
「……リナ」
「……お前は、一体」
遅れて駆けつけたのはフェン、ロイ、カロルの三人だった。道中に広がっていたのは、目を背けたくなるほど無惨な光景。
その中心でリナは返り血を浴びたまま、ただ静かに立っている。
その時、リナの脳裏に過去の記憶がよぎった。
『ひっ……』
『人間じゃねぇ……!』
『この化け物……!』
敵を斬ったとき、居合わせた者たちはいつもそう言ってきた。
今回も同じだと思っていたのだが──
「リナ、ありがとう。お前は、この村の英雄だ……!」
「……え?」
フェンが深く頭を下げて、強い力でリナの方を掴む。感謝を告げるその様子に、リナは驚く。
彼女は知っている。
自分の剣は人に恐れられるものだと。それは感情ではなく、経験として理解していた。
けれど──彼らは違う反応を見せる。
「リナ。お前のおかげで、村は救われたよ」
「あぁ……なんて剣だ。凄いよ、リナは」
もちろん、彼らに恐怖がないわけではない。
だがそれ以上に──リナが命を賭して守ったという事実を、彼らは理解していた。あのままなら、最悪の結末を迎えていたことも。
(……感謝、されてる?)
胸の奥にこれまで感じたことのない熱が、かすかに灯る。
(どうして……? 前は、怖がられていたのに。なのに、今は……)
理由は分からない。
けれどそれは、確かに初めて知る感情だった。
かつて師が遺した言葉が、ふと脳裏をよぎる。
〈もっと広い世界を知れ。お前はもう……自由だ〉
(もしかしてそれは……この感情なのかもしれない)
リナはなんとなく──そう思った。
夜がゆっくりと明けていく。
空が淡く白み、群青だった闇は次第に薄れていった。血の匂いも剣の記憶も、柔らかな光に溶かされていくようだった。
「リナ。行くのか?」
「……うん。お世話になりました。ありがとう」
ペコリと小さく頭を下げる。
リナはこの村で感謝というものを知った。
まだ完全に理解できているわけではないが、今はそう言うべきだと自然に思えた。
村人たちに見送られる中、マーシャが小走りで近づいてくる。
「リナさん。これを」
「これは?」
「クッキーです。どうか、旅の途中で食べてください」
「……うん。ありがとう、マーシャ」
「リナさん。本当にあなたはこの村の恩人です。ぜひまた、この村に遊びに来てください」
「うん」
リナはこくりと小さく頷いた。
師以外の人間と初めて結ばれた繋がり。
それは決して、嫌な感覚ではなかった。
むしろ──
(……胸が、少し温かい気がする。なんでだろう)
「リナ、またな!」
「元気でな!」
「ありがとう!」
「さよなら、リナさん!」
「達者でなー!」
声を背に受けながら、リナは歩き出す。
振り返らず、けれど確かに心に何かを残したまま。
「仕事……仕事をしてみたい」
ぽつりと呟く。
村人たちは皆、仕事というものをしていたし、リナもそれを手伝った。
それによって美味しいご飯を食べることができた上に、感謝もされた。斬ることしか知らなかったリナは、誰かの役に立つという在り方に初めて興味を抱いていた。
もっと、その感情を知りたい。
それはごく僅かな変化だったが、確実に彼女を変えていく芽だった。その先に師の言った──〈広い世界〉が待っていると予感して。
剣を通じて、仕事を通じて、この先──リナは〈ひとの在り方〉を学んでいく。
「……よし。王都へ行こう」
リナは前を向く。
足取りは迷いなく、確かだった。
新しい出会いが待っているとも知らずに──
ひとりの少女は王都へと歩みを進めていくのだった。
「……着いた」
グランヴェール王国の〈王都グラン〉にリナはたどり着いた。何度か来たことはあるので、迷うことはなかった。
巨大な城壁に囲まれた石の都である。
白い石で築かれた建造物は整然と並び、陽光を受けて淡く輝く。
通りには商人の呼び声と馬蹄の音が絶えない。貴族の馬車、騎士団、冒険者、そして市井の民が入り混じる。
「……お腹、減った」
ぐぅ、と音が鳴る。
香ばしい匂いに誘われ、リナは近場の店に入った。気がつけば、卓は料理で埋まっていた。
「これと……それも。あと、もう一皿」
運ばれては消え、また運ばれては消える。
リナは無言で食べ続ける。
やがて、皿はすべて空になった。
「……ごちそうさま。美味しかった」
そう言って満足げに立ち上がり、何事もなかった顔で――リナは金を払わず、店を出た。
(これから、どうしよう)
そう考えながら歩いていると、背後から張り裂けるような声が飛ぶ。
「食い逃げだああああ──!」
リナは足を止め、振り返った。
「食い逃げ? 食い逃げは、確か……悪いやつ」
確認するように、リナはそう呟く。
「食い逃げはどこ? 悪いやつは斬る」
そう判断して、即座に刀に手をかけた瞬間。
ごつん、と強い衝撃。
「お前のことだ。バカタレ」
「痛い。……え、私のこと?」
「とりあえず事情聴取だ。中に来い。逃げるなよ?」
「……うん」
良くないことをしたかもしれない。
そんな予感を胸に、リナは素直に店へと戻っていった。
――リナは果たして、無事に仕事にありつけるのだろうか。
序盤終了です!
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