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第28話 規格外


 リナは、ルドルフとの模擬戦を始める。


「オラララアアアア──ッ!!」

「……」


 気合とともに振り下ろされる木剣。

 粗さはあるが、軌道は正確だった。積み重ねてきた鍛錬が、その剣筋に表れている。伊達に貴族として剣を学んできたわけではない。


「どうした!? 防いでばかりかッ!?」

「……」


 返事はない。

 リナは一歩も引かず、ただ淡々と剣戟を受け流していく。


「行け、ルドルフ!」

「田舎者なんて余裕だろ!」

「貴族の力を見せてやれ!」


 周囲の声援が熱を帯びる中で、ルドルフは違和感を覚え始めていた。


 ──攻撃してこない。

 確かに、外から見れば防戦一方だ。

 だが、その守りは堅牢だった。

 無駄がなく、崩れる気配もない。

 リナは剣を攻撃的に振らない。

 ただ静かに、彼の剣だけを見つめ続けていた。



「……やっぱり、貴族の人は剣がちゃんとしてるね」

「なんだ? 諦めたのか? クク……貴族の剣を見て怖気付いたか」



 剣戟は激しさを増していく。

 乾いた打撃音が連なり、木剣が弾かれるたび、空気が震えた。


 その最中で、リナは考えていた。

 世界は自分の知らないことで満ちている。


 学校という場所。

 新しい出会い。

 貴族という立場で磨かれた剣。


 レオニスは、まさにその極地に立つ者だ。

 そして、目の前のルドルフもまた──確かに、その領域の入口に足を踏み入れている。


 ──面白い。


 胸の奥で、素直な感情が弾む。

 純粋に、この人の剣をもう少し見ていたい。

 どう組み立て、どう伸びていくのか。その先を。だが、授業の時間は有限。

 

 リナは──終わらせることにした。


 コン、と鈍い音が鳴る。

 気づいた時には、彼の手にしていた木剣が宙を舞い、遅れて重力に引かれる。


 そして、その喉元に──

 いつの間にか、リナの木剣が突きつけられていた。


 彼女は手加減を覚えていた。

 全力の、ほんの片鱗だけを切り取るという選択。


 それでも実力を示すには──十分すぎる結果だった。



「勝者は──リナさんです」

「……ありがとうございました」



 リナは丁寧に一礼した。

 敗北したルドルフは、信じられないという表情のまま立ち尽くし──やがて、幽霊でも見たかのような顔で仲間のもとへ戻っていく。その貴族たちもまた、同じ表情を浮かべていた。田舎者、と見下していたリナの剣は、彼らの目にも見えなかったからだ。


「偶然さ! たまたま噛み合っただけだ!」

「あぁ。そうに違いない!」

「あいつは魔法剣が使えない。魔法ありなら、負けるはずがないさ」

「……そ、そうだな」


 必死に言い訳を重ねる声が、空虚に響く。


 そんな異様な空気の中でセラは、リナの剣が並のものではないと確信していた。


(確かにあの剣筋は見事ですが、あれくらいであれば私でも再現はできる。ただ特筆すべきは──)


 セラはある一点に思考を集中させる。



(彼女は……一歩も動いていませんでした)



 そう。リナは無意識のうちに、一歩も踏み出すことなくルドルフの剣を受け、そして制したのだ。一歩も動かずに剣を捌き、そこから攻撃へ転じる。セラの疑念は、静かに膨らんでいった。


 やがて、エドワードの授業は再開される。

 基礎的な剣の動きを確認し、生徒たちはそれに従っていった。リナもまた、何事もなかったかのように動きをなぞる。


「では、今日の授業はここまで。各自、しっかり復習しておくように」

『はい!』


 こうして、授業は終わった。

 解散となってそれぞれが校舎へと戻っていくが。


「……ん?」


 そのとき、リナは微かな違和感を覚える。

 誰かに、鋭く見据えられているような感覚。

 だが、その視線は──すぐに消え去った。


「……気のせい。かな?」



 本格的に学院生活が始まった。

 リナは基本的に学業を優先し、帰宅後と休日だけバイトに出る生活を送っている。

 

 ただし、彼女の存在は、学院の中でも異例中の異例だった。貴族が大半を占めるこの学院において、平民の彼女は目立ちすぎていた。


 それは──悪い意味で。



「ん……? 椅子が──ない」


 早朝。

 教室に入ったリナは、自分の席にあるはずの椅子が消えていることに気づく。周囲を見渡すと、数人の貴族生徒が口元を押さえて嘲笑していた。


 だが、リナは特に困った様子も見せず──そのまま腰を下ろした。そこに椅子があるかのように。空気椅子の姿勢で、背筋を伸ばし、机に肘を置く。まるで本当に椅子があるかのように。

 

 椅子が無いのなら仕方がない。

 みんなと同じように授業を受ければいい。


 彼女は本気で、これが普通だと思っていた。

 当然、周囲がざわつく。


「……え?」

「座ってる?」

「いや、座ってない……よな?」

「魔法か……?」

「でも、空気椅子の魔法なんて無いよな……」


 その日、リナは一切動じることなく、その姿勢を保ち続けた。


 別の日。教室に足を踏み入れた瞬間、頭上から水の入ったバケツが落ちてくる。だが、リナはそれを右手で完璧に受け止めた。もちろん、水が飛び散ることもなかった。


「……バケツ? なんでだろ。ま、いっか」


 リナは首を傾げ、バケツを床に置いた。

 そして、何事もなかったかのように自分の席へ向かう。


 背後では、仕掛けた側の貴族たちが顔面蒼白になっていた。


「はっ?」

「どうやって、反応したんだ?」

「さぁ……でも、凄い動きが速かったような」

「あ、あぁ……」


 消える椅子。落とされる水。

 机の中に入れられた石や、靴紐の細工など。


 明確な悪意のこもったイジメを、リナは抗議もせず、怒りもせず──ただ自然に捌いていく。彼女にとっては、悪意に対抗している自覚すらなかった。

 

 ただ、邪魔にならないように。

 ただ、普通に過ごすために。

 そう過ごしているはずだったのに、リナの存在は徐々に目立ち始めていく。


 結果として残るのは──イジメが成立しないという、異様な光景だけだった。



「今日は〈魔法薬〉の授業……楽しみ」


 リナは選択科目として魔法薬学を履修していた。戦闘において治療は極めて重要だ。どれほど剣を振るえても、傷を放置すれば命は持たない。戦う者ほど、回復と処置の知識は欠かせない。


 そのため、リナは魔法薬を学ぶことを選んだ。

 これまでも師匠から最低限の知識は教わっていたが、それは実戦に即した断片的なものだった。理論や体系を理解しているとは言い難い。


 だからこそ、今後のためにも一度きちんと基礎から学び直したい。

 

 リナはそう判断して、この授業を選択していた。


「あら、リナもこの授業を受けますの?」

「セラ……うん。楽しそうだから」

「せっかくなので、一緒にどうでしょうか?」

「いいよ」


 リナはセラと合流して、一緒に授業を受けることになった。



「みなさん、こんにちは。魔法薬の授業を始めます」


 教師は教壇に立ち、ゆっくりと教室を見渡した。


「本日は座学ではなく、実験を行います。内容は基礎的な回復薬の調合です」


 ざわりと教室が小さく揺れる。

 実験と聞いて、期待と緊張が入り混じった空気が広がった。


「回復薬は一見すると安全そうに思えるかもしれませんが──材料の扱いを誤れば、重大な事故につながります」


 教師は机の上に並べられた素材を指し示す。


「動きに反応して暴れる薬草。触れるだけで皮膚を麻痺させる根。適切な処理をしなければ、毒へと変質する液体もあります」


 数名の生徒が息を呑んだ。

 リナはその説明を聞いて、少しだけ目を輝かせていた。その表情は楽しそうと物語っているかのよう。


「必ず、指示された手順を守ってください。魔力制御が不十分なまま触れることは厳禁です。特に、回復薬の素材は回復する力が強すぎるため、逆に人体を傷つけることがあります」


 そう前置きしてから、教師は言葉を続ける。


「今日は安全確保のため、私と補助教員が常に巡回します。焦らず、落ち着いて取り組みましょう。今回は念のためにペア活動としますので、まずはペアを組んでください」


 リナの隣の席には、ちょうどセラがいた。

 自然な流れで、二人はペアになる。


「えっと、まずは調合ですわね。植物に魔力を流して反応を鎮めてから、少しずつすり潰して……細心の注意が必要ですわ」

「それは──任せて」

「えっ……?」


 セラが聞き返すよりも早く、リナは作業台の上の魔法植物へと手を伸ばした。


「よし。まずは粉砕……する」

 

 本来ならば、魔力で拘束し、性質を安定させてから処理すべき危険素材。下手をすれば、成人の骨すら噛み砕く力を秘めている。


 だが、リナは魔力を一切使わない。


 茎を指で押さえ、逃げ道を断つ。

 次の瞬間、魔法植物は激しく暴れた。作業台が軋み、空気が震える。あまりにも危険な状態だったが──


「ふん」


 短い息と同時に、リナの指が閉じる。

 ぐしゃり、と鈍く湿った音が響いた。


 作業台の上に残ったのは、原形を留めない植物の残骸だけ。


「……っ!?」


 セラは思わず息を呑んだ。目の前の光景が、理解出来ないという顔をして。


 リナは砕いた素材を乳鉢に移し、今度はすり棒で均一になるまで丁寧にすり潰していく。


「このくらいまで細かくすれば……大丈夫、だよね」


 そう言って顔を上げるリナに対し、セラはゆっくりと口を開く。


「あ、あの……魔法植物には、事前に魔力を流して沈静化させる必要がありますわよね。人間の力では抑えられないほどに強く暴れますから。ただ、今の動き──魔力を使ったようには、見えなかったのですが」

「……えっ?」


 不意を突かれたように、リナは瞬きをする。


「もしかして……素の力で、粉砕したのですか?」

「い、いや……その、身体強化はちゃんと……した、よ! 私は魔力があんまり多くないけど、でも……魔法は使った!」


 やや早口でそう言い切るリナに、セラは一瞬だけ目を細め──すぐに穏やかな笑みを浮かべた。


「なるほど。そうでしたか」


 嘘である。

 リナは魔法植物に対して、一切の魔力を使っていない。

 

 彼女の肉体は、あらゆる毒物・腐食・侵食に対する耐性を備えている。それは彼女の異能が、常に〈刀剣〉に最適化する過程で、肉体そのものを固定化している──その副産物だった。


 毒は通らず、麻痺は効かず、侵食は起こらない。危険な魔法植物もただの握れる対象に過ぎない。


 リナはその性質と──圧倒的な膂力パワーによって、魔法植物を沈静化させたのではなく、制圧したのだ。



 その後、授業は無事に終了した。

 リナはそれ以降、極力目立たないよう振る舞った。必要以上の力を使わず、あくまで普通の生徒として。

 

「リナ。また明日、お会いしましょう」

「うん……バイバイ、セラ」


 軽く手を振り、リナはそのまま帰路につく。

 背中を見送ったまま、セラは教室を出ずに立ち尽くしていた。


(魔力は……確かにある)


 弱いわけではない。

 だが、彼女が見せた膂力パワーと比べると、あまりにも釣り合わない。


(量の問題ではありませんわね。性質……? いえ、それとも……)


 魔法植物を魔力を使わずに素手で握り潰す。

 理論上は不可能ではない──だが、実例として聞いたことはない。



(……あり得ませんわ。やはり、私の考え過ぎでしょうか)



 幸いにも、リナの行動はあまりにも規格外すぎた。常識の枠から外れすぎていて、逆に異常として認識されなかった。セラが辿り着いた違和感は、まだ疑念でしかなかった。




「ふふ……普通の生徒、出来てる」


 黄昏色に染まる街路を歩きながら、リナは小さく笑った。学院から戻ったら、そのままバイトに入る予定だが、その途中。


「──リナ」

「あ……レオニスだ。こんばんは」


 不意に呼び止められ、リナは足を止めてペコリと頭を下げる。


「あぁ。それで、調査は進んでいるのか? やはり、ロゼだけでは頼りないからな。この私が直々に進捗を聞いてやろうと思ってな」

「調査……? 進捗……?」


 レオニスの眉がぴくりと動いた。

 その反応を見てリナはビクッと反応する。


「貴様──まさかとは思うが、忘れていたとは言うまいな?」

「お、覚えていたよ! う、うん……! じゃ、じゃあ──お店で話をしよう」


 そう言い残し、リナは逃げるように駆け出した。空気が裂け──王都の街中を一陣の風が走り去っていく。


「おい、待て! くそ……どうしてアルトレイン家当主がこんなことをっ……! というか、速すぎるだろッ……!!」


 夕暮れの街を、二人の影が駆け抜けていく。

 どこか憤りを滲ませながら、レオニスはリナの背中を追いかけるのだった。


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