第26話 入学
無事に合格したリナは、入学に向けた準備を着実に進めていた。ただその中でも──フィアとリリエルの二人だけは、明らかに熱量が違っていた。
「リナさん。制服の採寸をしましょう!」
「……うん」
「リナ様の制服、楽しみにしてますよ!」
「リリエル。様はいらないよ」
「いいえ! リナ様は私の人生の光……! ぜひ、この呼び方をお許しください!」
「……そう。リリエルがいいなら、いいよ」
「はい!」
場所はリナの自室。今は即席の採寸場になっていた。フィアは迷いなく布製のメジャーを取り出すと、リナの前に立つ。
その表情はいつもの柔らかさを失い、職人のそれへと切り替わっていた。
「姿勢はそのままで。肩、少し力を抜いてください」
「……こう?」
「はい、完璧です」
肩幅、腕の長さ、胴回り。
一つ一つ、数値を確かめるたびに、フィアは小さく頷く。布の感触、体の線、重心の位置──すべてを逃さないよう、視線が鋭く動いていた。
「では、少し調整に入ります」
やがて、フィアは用意していた制服の仮縫いをリナに当てる。
それは白を基調とした制服。
清廉な白地に、胸元から裾へと流れるように走る深い青のライン。装飾は控えめだが、計算し尽くされた直線と曲線が、気品を際立たせている。
「ふぅ。よし、次は……」
フィアは小さく息を吐く。
「動きやすさも重視します。リナさんが剣を振った時、布が邪魔をしないように」
「……うん。ありがとう」
フィアは最後に裾を整え、満足そうに微笑む。
「出来ました。試着してみてください」
「……うん」
リナは真新しい制服に袖を通した。
袖丈は正確に手首で収まり、スカートも動きを妨げない長さに整えられている。
その姿は、スラッとした長身と相まって異様な完成度を帯びていた。白と青の制服は自然に馴染み、静かに立っているだけで視線を引き寄せる。
腰に下げている刀も完全に馴染んでいた。
「リナさん、素敵過ぎます……! ふふふ。可愛い、カッコいい、最高です。うふふふ」
「うひょー! リナ様こそがこの世界の神です!!」
「……二人とも、褒めてくれてありがとう」
フィアは満足そうにニヤリと不敵に笑い、リリエルは喜びを全身で表現していた。そのまま三人で店へ下りていくと、全員の視線が一斉に集まる。
「おぉ、似合ってるな!」
「うん。フィアのおかげ。アルも、いろいろありがとう」
「いいってことよ」
今日は店の休みで、試食会が開かれていた。
常連を招いたこの催しは、時折行われる恒例行事だ。また入学にあたり、アルは正式にリナの保護者となっていた。
「う……ぐ……」
「カレン。どうしたの?」
その場にいたカレンはリナの姿を見た瞬間、がくりと肩を落とした。
「あんた……美人すぎでしょ! その身長、少しでいいから分けなさいよ!」
「ふふ。それはできない。でも……カレンは小さくて可愛いね。よしよし」
「ムキー! 私のほうがお姉さんなんだからー!」
騒がしいやり取りの中、次に声をかけてきたのはアレクだった。
「リナ。実に様になっている! まさに騎士そのものだ」
「……ありがとう。騎士にはならないけど」
「何だと? 僕のような立派な騎士を志して、アカデミーに入ったのでは? というか、ではなぜ騎士学科に?」
「あっ……そ、それは──」
リナが戸惑いで口を開いた、その瞬間。
間に割って入ったのは、レオニスだった。
「アレク。それ以上の詮索は許されない」
「だ、団長……」
「元団長だ。リナは、そうだな。学問に興味があって入学した。騎士学科なのは自らの剣を見つめ直すため。それだけだ」
「なるほど。しかし──元団長はリナと懇意なのですね」
「う……ぐ……」
アレクは知っている。
リナとレオニスが決闘し、そしてリナが勝利したことを。
本来なら犬猿の仲になっていても不思議ではない。むしろ、どちらかが死ぬ可能性すらあった──世界最強格の剣士同士なのだから。
だが、目の前の二人からは、そこまでの険悪さは感じられなかった。
「うん……レオニスは、友だちだから」
「はっ!? 馴れ馴れしいと思っていたが、友人と思っていたのか!? 俺はアルトレイン家当主だぞ!」
「えっ……友だちじゃないの?」
リナはしゅんと視線を落とす。
その表情は、はっきりと寂しさを帯びていた。
「お兄様。リナさんが悲しんでいますよ」
「う……ぐっ……俺は当主。当主だというのに、貴族の威厳が……公爵家の威厳が……」
「それも大切だと思います。しかし、リナさんは本当にお兄様のことをご友人だと思っているのですよ。その気持ちを、蔑ろにしてもいいのでしょうか?」
「……フィアリス。お前も言うようになったな」
「えぇ。お兄様もお変わりになられたようなので。ふふ」
妹のフィアからの言葉が、容赦なく突き刺さる。レオニスはぎゅっと拳を握りしめ、わずかに身体を震わせた。
「まぁ……いい。特例として、リナは〈友人〉という事にしておいてやる」
「うん。ありがとう……レオニス」
「ふん」
リナは満足そうにうんうんと頷く。
まるで、その姿は年相応の少女のようだった。
それから試食会をすることになった。
その作業をしているのは──アルとフィアだった。
「なぁ、フィア」
「何でしょうか?」
「この店も気がつけば、賑やかになったな」
「そうですね。リナさんが来てからは特に」
キッチンの向こう側では、なぜかリナとレオニスが腕相撲をしていた。結果は明白で、次の瞬間には派手な音を立ててレオニスが床に叩きつけられる。
『ぐはっ……! 何という馬鹿力なんだッ!』
『よし。では次は僕がいきましょう!』
『ふふ。私は……強いよ』
それを見て、別の者が挑み──
また一人、床へ。さらにもう一人、また床へ。
気がつけば、リナの周囲には転がる敗者たちが増えていた。
「リナは……不思議なやつだな。人と話すのが得意そうには見えない。だが、不思議と人を惹きつける」
「ええ。きっとそれは、リナさんがとても純粋で優しいからでしょうね」
フィアはどこか遠くを見つめ、感慨深そうにつぶやく。
「私はリナさんのお師匠様を存じ上げませんが──きっと、天国で笑ってくれていると思います」
「ふ。あぁ、間違いないな」
二人は視線を戻す。
そこではリナが微かに笑い、また次の勝負を受けていた。
『次は勝つ! アルトレイン家に敗北は許されない!』
『? もう、私に二回負けてるよね?』
『うるさい! 席につけ! 勝つまでやればいいだけだ!』
『元団長! 頑張ってください!』
『はぁ……男って、ホント馬鹿』
その姿を改めて見て、二人は心からそう思うのだった。
†
「よし……今日から学校だ」
リナはついに〈グランヴェール王立魔導学院〉通い始めることになる。実はアカデミー生はバイトや副業が禁止されているが、リナは特別に許可されている。もちろんそれは、レオニスの手腕(苦悩)があってこそだ。
リナはふと、レオニスとの会話を思い出す。
『リナ。いいか。目立つなよ、普通の学生として過ごせ』
『うん……普通。任せて』
『……本当に分かっているのか?』
『うん』
『あまり目立つと私も庇うことはできない。アルトレイン家も、全知全能ではないからな』
『そんなに心配しなくても……いいよ。なんか、お父さんみたい』
『貴様の親になった覚えはないわ!! まあいい。気をつけろよ』
『うん』
リナは制服に袖を通し、腰に刀を差す。
白と青の装いに刀の重みが加わり、学生としての輪郭が整う。
「よし。行ってきます」
そう告げて、リナは〈グランヴェール王立魔導学院〉へと向かった。
「……人が多い」
無事に到着したリナは、思わずそう零す。
もっとも、一般的な学院と比べれば生徒数は少ない。
世界各地から選ばれた者しか入学できない以上、それも当然だ。それでも、リナにとっては十分すぎる人の波だった。
「やはり──合格していましたのね」
背後からかけられた声に、リナは振り返る。
そこに立っていたのは──セラフィーヌだった。
彼女もまた真新しい制服に身を包み、螺旋状の黄金のツインテールを揺らしている。立ち姿一つで、周囲の空気が変わるのが分かる。
「うん。えっと……セラフィーヌ、さん?」
「セラで構いませんわ。同じ学院の生徒なのですから」
「うん。よろしく……セラ」
「ええ。こちらこそ、リナ」
上品な微笑み。だが、セラの瞳は一切笑っていなかった。
二人は並んで歩き出す。すると、周囲からの視線が否応なく突き刺さる。
「見て、セラフィーヌ様よ」
「首席合格だろ?」
「流石よね」
「……でも隣は?」
「確か、平民らしいぞ」
「えっ。平民で学院に?」
「あぁ。何でもかなり動けるとか」
囁きは、すぐに広がっていく。
ここ〈グランヴェール王立魔導学院〉に平民が入学することは、ほとんどない。
貴族、名門騎士家、著名な魔法使いの血統──それが当たり前の世界だ。その中で、リナはどうしても異質だった。
「おい、見ろよアレ」
「あの時の平民か」
「合格してたのか」
「でも剣は普通だったな」
「体力だけが取り柄の、田舎者だからな!」
『アハハハハ!』
嘲笑が混じる。
だが、リナはそれをまったく気に留めていなかった。
(学校……)
本来は潜入する立場だというのに、そんな意識は今は薄い。
ただ──学院という場所がどんな世界なのか。
それを知れることへの、素直な期待で胸が満たされていた。
その時だった。
リナの耳を、切り裂くような悲鳴が貫いた。
『キャアアアアアアア──!! ヒッポグリフがッ──!!』
この場は一気にざわめきに呑み込まれる。
視線の先。そこにいたのは──学院で飼育されている魔獣、ヒッポグリフ。
本来であれば、入学式の演出として披露されるはずの存在。だが今、その首輪は引き千切られ、鎖は地面に散乱していた。
「ギィアアアアアアアアア──!!」
巨大な翼が打ち鳴らされるたび、突風が走る。
鋭い鉤爪が石畳を削り、魔獣は理性を失った獣の眼で人々を睨めつけていた。
──完全に制御を失っている。
逃げ惑う新入生たちの中で、リナはただ静かにその姿を見据えていた。
「リナ! 逃げますわよ! 流石にヒッポグリフは危険ですわ!」
「ううん。危険じゃないよ」
混乱の渦中で、ただ一人。
リナだけが、吸い寄せられるようにヒッポグリフへと歩みを進めていく。
その瞬間──その魔獣は確かに彼女を敵と認識した。咆哮。地を蹴り、巨体が一直線にリナに突撃していく。
「リナ──! 逃げて──!」
セラの悲鳴が響く。
この場にいる誰もが、リナはもう助からないそう思ったが──
「ちょっと……落ち着かせないとね」
リナは迫るヒッポグリフを避けない。
踏み込み、正面から受ける。
だが、それは真正面からの衝突ではなかった。
肩と腰を僅かにずらし、重心を沈める。
踏み出した足が地面を捉え、突進の力は彼女の身体をすり抜けるように流れていく。次の瞬間、背中が魔獣の胸元に密着した。リナは腕を絡め、腰を切る。
「──よい、しょっと」
あまりにも気の抜けたリナの声と同時に、巨体がふわりと浮いた。
天地が反転し、ヒッポグリフは背負い投げの要領で、石畳へと叩きつけられる。それは力任せではない。あまりにも卓越した体術の結果だった。
轟音。
空気が震え、地面が軋む。
静まり返る空間。
リナは倒れ伏すヒッポグリフの前に立ち、底の見えない瞳を向ける。
そこに感情はなく。
ただ──深淵だけが映っていた。
「……大人しくして。いい?」
諭すような声。
その一言で、ヒッポグリフは完全に沈静化した。生物としての本能が理解してしまったのだ。この少女には逆らってはならない、と。魔獣──それもヒッポグリフほどの高位個体であれば尚更だった。
リナは踵を返し、呆然と立ち尽くすセラの元へ戻る。
「セラ、行こ」
「……え、えぇ」
こうしてリナはまた、無自覚に〈普通〉という枠を軽々と踏み越えていく。
これは──
後に〈アカデミーの伝説〉と呼ばれることになる、リナの自由奔放な学院生活の〈序章〉に過ぎなかった。




