第24話 胃痛
リナは七つの秘剣が一つ──〈空蝉〉を放った。だが、それは神域の抜刀術。人の感覚が捉えられる領域を超えている。
試験官も例外ではなく。
この場にいる誰一人として、視ることも知覚することもできない。
「ん?」
「なんだ?」
「今、何かしたか?」
「いや……してない、よな?」
「た、多分……? なんか、凄い圧だけあったけど……」
空気だけが震え、結果だけが残る。
音はない。衝撃もない。
ただ──丸太は、すでに完璧に切断されていた。にもかかわらず、上半分は崩れない。一見すれば、何も起きていないように思える。
先ほどまでリナを嘲笑していた受験生たちも、戸惑い顔をしている。試験官でさえ首を傾げ、状況を測りかねていた。
「あっ……」
そこでようやく、リナは気づく。
(や、やり過ぎた……)
完全に無意識だった。
セラフィーヌの剣に感化されてしまい、思わず本気を出してしまった。
(ふ、普通にしないと……!)
慌てて首から下げたペンダントに触れる。
魔法を使っているように見せかけ、魔力を流す素振りを作る。身体強化を発動している演出だ。
そして今度は、意識的に力を落とし──誰の目にも追える速度で、丸太を一閃する。乾いた音。遅れて、綺麗な断面が現れる。これなら誰もが理解できた。
「ふぅん」
「まぁ、普通だな」
「あぁ。悪くはないが、この程度か」
丸太はすでに〈空蝉〉で斬れていた。リナはただ、その見えない斬痕をなぞったに過ぎないのだが。
その中でセラフィーヌだけは、リナの先ほどの動きを思い返していた。
(一度目の態勢、みなさんは何もしていないと思っている。試験官でさえも。けれど、彼女は刀を振っていたような──気がしますわ。あの身体能力と言い、彼女は一体……)
それから、試験は滞りなく進んでいき──ついに最後の試験になった。
「では、最終試験に入る。最終試験は模擬実戦だが、相手は私ではない。今回は特別に高名な騎士の方をお呼びした。おっと……もう騎士ではないか。しかし、素晴らしい剣士に変わりはない。では──お願いします」
試験官が丁寧に一礼する。その直後、硬い足音が響いた。一定の歩幅、無駄のない重心。ただ歩いてくるだけで、空気が静まる。
現れた男は軽装で一本の剣を差しているだけ。
だが、纏う圧だけが異様だった。
受験生たちがその姿を見て、ざわめきが一気に広がっていく。
「おい……!」
「あれって……!」
「あぁ。マジか……!」
「こんなことってあるの!?」
リナを除く全員が驚愕する。
ただ、リナは彼のことを誰よりもよく知っていた。なぜならば──
「あ……。レオニスだ」
そう。今回の模擬実戦を担当する人物──それはレオニス=アルトレインだった。かつて王国騎士団の頂点にいた男。団長の座を退いた今は、アルトレイン家当主をしながら、次代の戦力育成にも関わっている。今回もその一環だったのだが。
「模擬実戦担当の──レオニス=アルトレインだ。ん?」
レオニスは受験生たちの前に立って簡潔に名乗るが、視線がふと止まる。
自然体で立つ、長身の少女。
見覚えがある気がする。
(……いや、流石にあり得ないだろう)
少し前に死闘を繰り広げた相手。自分を本気で追い詰めて上回った、規格外の天才。世界最強の少女が──なぜか受験生に混ざっていると、ハッキリと認識する。
「──はっ!?」
「レオニス……。やっほー」
リナは店ではないからか、妙に軽い調子で手をひらひら振っている。
緊張感の欠片もない。
まるで近所で偶然会った顔見知りに挨拶するかのよう。その温度差に、レオニスのこめかみがわずかに引きつった。
レオニスは額を押さえ、小さく息を吐いた。
「す、すまない。少しだけ時間を貰っていいだろうか……」
「? はい。構いませんが」
彼は試験官の了承を得ると、一直線にリナの前まで歩み寄る。
「リナ。少し顔を貸せ」
「……うん」
ざわ、と受験生たちが騒ぐ。
王国最強格の元団長が、なぜ一受験生に声をかけるのか。理解できない視線が集中する。
だが、レオニスに無視という選択肢はなかった。少し離れた位置に移動すると、彼は声を潜めながらリナに詰め寄った。
「──おい! どういうつもりだ!? なぜ、お前が受験生の中にいる! 騎士になる気か!? いや、だとしても学生など不要だろう! 私に話を通せば即刻推薦するぞ!」
彼は一気にまくし立てる。
珍しく動揺が隠れていない。
「あ、えっと……騎士にはならない」
「では、なぜだ? リナの実力で受験にいる意味が分からん」
「うっ……その……」
言葉に詰まる。
事情を説明していいのか判断できない。
リナはただ視線を泳がせるしかなかった。
レオニスはしばらく睨み、やがて諦めたように息を吐く。
「はぁ……訳アリか?」
「うん……そう。理解が早くて助かる。流石はレオニス」
「全く、お前と言うやつは……。いいか、試験では手を抜けよ。俺もいま死ぬ訳にはいかないからな。他の者にも、リナの本気を見せる訳にはいかんしな」
「うん……。手を抜く。ちゃんと手を抜く」
本当に分かっているのか怪しい返事。
レオニスは深く頭痛を覚えながら持ち場へ戻る。二人が離れたあとも、周囲の視線はリナに刺さったままだ。
彼は軽く咳払いをする。
「では──模擬実戦を開始する。今回はこの私が担当だ。騎士とは何か、その意味を体で理解してもらう」
何事もなかったかのように、レオニスは淡々と試験説明を再開した。
試験は進んでいく。
レオニスの前に立った瞬間──多くの受験生の動きが鈍る。剣を構えただけ。ただ一歩踏み込んだだけ。それだけで、圧が叩きつけられる。
「うっ……ぐうっ……」
「どうした? それで終わりか?」
呼吸が浅くなる。
足がすくむ。
本能が理解してしまうのだ。
──勝てない、と。
技量差は当然ある。
だが、それ以上に大きいのはレオニスの格だった。
「ふむ。やはり、剣が鈍る者が多いな」
王国騎士団長を務めた男。実戦を潜り抜け続けた本物の剣士。王国でも最大の公爵家当主。
その肩書きと存在感そのものが、受験生の心を折る。
レオニスが見ているのは、単なる剣の上手さではない。格上を前にしても踏み込めるか。恐怖の中で剣を振れるか。技量だけではなく──その心を問う試験だった。
「よろしくお願いしますわ。騎士団長……いえ、元騎士団長ですわね。レオニス様と剣を交えることができるとは、光栄ですわ」
「セラフィーヌか。お前の実力は耳にしている」
「それは嬉しいですわね。しかし、別に──倒してしまっても構わないのでしょう?」
「ふっ。あぁ、その通りだ。自信のある者は嫌いではない」
レオニスとセラフィーヌの剣が交わる。
鋼がぶつかり、火花が散る。一合で分かる。
技量も間合いも、すべてが一枚上。
純粋な剣の腕では、レオニスが明確に格上だった。
「ぐっ……!」
「どうした。その程度か?」
弾かれ、崩され、防戦に追い込まれる。
それでも、セラフィーヌは下がらない。
体勢を立て直し、何度でも踏み込む。
最後まで──その瞳だけは、決して折れていなかった。
「ここまでだな」
「はぁ……はぁ……はい。参りましたわ。先ほどは無礼なお言葉、大変失礼いたしました。身の程を知りましたわ」
「いや、いいさ。そのくらいの気概がなくてはな。精進しろ」
「はい!」
試験は進み──やがて、リナに順番が回ってくる。自然と全員の視線が集まった。
「次、27番」
「……はい」
番号を呼ばれ、リナは静かに前へ出た。
そして、レオニスと相対する。
向かい合った瞬間。脳裏に蘇るのは、あの夜の荒野。血と土の匂い。本気で殺し合った死闘の記憶。
互いに無言で剣を構える。
開始の合図。踏み込みは同時だった。
鋼がぶつかり、鍔迫り合いになる。
至近距離。刃を押し合ったまま、レオニスが低く囁く。
『タイミングを見て、後ろに倒れろ。いいな?』
『了解』
模擬実戦という名の茶番が始まった。
剣戟は続く。だが──軽い。
踏み込みも、斬撃も、受けも、どれも抑えられている。本気のぶつかり合いではない。
先ほどのセラフィーヌとの一戦の方が、よほど緊張感があった。
「……普通だな」
「あぁ。でも、なんで知り合いなんだ?」
「さぁな。だが、団長を辞めた件も、色々と噂があるしな。訳アリかもな」
「目をかけてるとか?」
「でも、相手は平民だぞ」
「もしかして──ヤバい関係とか……?」
「ヤバいって?」
「愛人……とか?」
「いやいや。流石にないだろ!」
流石に二人の関係を怪しんでいる他の受験生は、さまざまな憶測を話していた。
その中でセラフィーヌだけが、黙って目を細めていた。何かがおかしい、と見抜くように。
そして──次の瞬間。
リナがわざとらしく弾き飛ばされ、大げさな軌道で後方へ転がっていく。
「う、うわあああ。やられた……がくっ……」
棒読み。
芝居丸出しの倒れ方。
あまりに露骨だった。
場が、一瞬しんと静まる。
(……下手すぎるだろう)
誰もが戸惑う中。
レオニスはこめかみを押さえ、深くため息をついた。
試験は滞りなく終了した。
受験生たちは疲労と安堵を滲ませながら、帰路につく。その中で──リナだけは、どこか満足げだった。
「ふふ……。きっと、普通の受験生だった」
小さく呟き、軽い足取りで去っていく。
完全にうまく誤魔化せたと思い込んでいる顔だった。
ただ一人、セラフィーヌだけがその背をじっと見送っていた。やがて、彼女はレオニスへ歩み寄る。
「レオニス様」
「なんだ?」
「あの……リナという庶民とは、知り合いなのでしょうか?」
「……まぁな」
短い肯定。レオニスは眉間を押さえる。
思い出すだけで頭が痛い、と言わんばかりに。
「もしかして──彼女、かなり強いのでは?」
その言葉に、レオニスは声を低くして応じる。
「なぜ、そう思う?」
「最後の試験は、あまりにも不自然でした。それに……丸太の試験で見た斬撃もどこか不可解。まるで、人間の知覚を超越した剣のような──」
次の瞬間、レオニスの肩が露骨に落ちた。
「あのバカ……。まさか、あの時の剣技を使ったのか? はぁ、また問いただす必要があるな。どうしてリナは、毎度毎度私の胃を痛めさせる……」
誰にも聞こえない声で、そう吐き捨てる。
「? 今、何と」
「いや、何でもない」
表情を消し、アルトレイン家当主としての顔に戻る。
「一つだけ言っておく」
「は、はい」
「この世界には──知らない方がいいこともある」
「彼女を、知るべきではないと?」
「選ぶのはお前だ。ただ……深入りは勧めない」
それだけ告げ、レオニスは踵を返した。もうその背中は見えなくなっていた。残されたセラフィーヌは、その言葉の重さだけが胸に残っていた。
「彼女は一体、何者なのですか……?」




