第21話 剣と心
「──空蝉」
リナが有する〈七つの秘剣〉が一つ──空蝉。
神速の抜刀術が、世界に放たれる。
レオニスは確かに、空蝉を目撃した。
それは虚無の先。人の域を踏み越えた──〈神の剣域〉の極地。
どれほどの才能があれば、辿り着けるのか。
どれほどの孤独と、どれほどの研鑽を積めば、極地へ至れるのか。
理解すら及ばない。
あれは──剣の果てだ。
防ぐことは出来ない。
避けることも、抗うことも、許されない。
絶対の一閃。
それでも──
「……ふっ」
レオニスは、笑みを浮かべた。
敗北は必至。
けれど、ただ純粋にその剣が──
美しい、と。
そう思ってしまったからだ。
「ぐッ……!」
レオニスは膝をつき、剣を握ったまま沈んだ。
血の海が広がっていく。
リナはゆっくりと近寄る。
血を踏みしめ、一歩、また一歩と。
「……ごめん。手加減できなかった。生きてる?」
「ごほっ……あぁ。かろうじてな」
「凄い。私の秘剣を受けて……生きてるなんて」
「……最後の最後。俺は魔力を全て防御に回した。そのおかげだな……自己治癒はある程度は出来る。致命傷だが、死ぬことは無いだろう」
「そう。それは……良かった」
彼は空を見つめながら、ボソリと呟く。
「俺に──トドメを刺さないのか。俺を殺した方が……フィアリスにとっても、お前にとっても、都合がいいぞ」
レオニスは完全に敗北を認め、これほどの剣を見ることが出来たのならば──もはや死んでも構わないと、そう思っていたが。
「えっ……それはダメ。フィアは確かにレオニスのことを怖がってたけど、お兄ちゃんでしょ? 兄妹は一緒にいないと……ダメだと思う」
リナの純粋な言葉を聞いて、彼は目を大きく見開き……想いを吐露する。
「……あぁ、そうか。そうだな。お前のような剣士に──俺が勝てるはずもなかったか」
レオニスは、ゆっくりと空を見上げた。
そこには──満天の星。
夜を埋め尽くす無数の光が、静かに瞬いている。世界はあまりにも穏やかだった。
こんな空が、いつもそこに在ったのか。
ずっと同じ夜空を見ていたはずなのに、ただの一度も目に入っていなかった。
勝つこと。
家を背負うこと。
貴族として在ること。
騎士団長として強く在ること。
その全てに視界を奪われ、空を見上げる余裕すら失っていたのだと、今さら気づく。
立場も、肩書きも、捨てることは出来ない。
アルトレインの名を継ぐ以上、それは義務だ。
「……それでも」
守るべきものは、権力や地位だけでいいのか。
誇りとは、勝利だけなのか。
胸の奥に微かな疑問が灯る。
──大切にしたいと思う何かが、あってもいいのではないか。
夜風が頬を撫でた。
氷のようだった心が、ほんの少しだけ溶けた気がした。
「それでも……何?」
「いいや、なんでもないさ。おい、リナ……だったな。肩を貸せ。家に戻る」
「うん」
リナは肩を貸して、レオニスと共に歩み進めていく。
「決闘はお前の勝ちだ。約束は果たす。フィアリスは自由にさせる」
「騎士団長……本当に辞めるの?」
「あぁ」
「そっか……」
リナはそれ以上、深く追及しなかった。
彼の体は裂かれ、血が滲み、満身創痍。
決闘には敗れ、レオニスは騎士団長としての立場すら失った。普通なら、絶望していてもおかしくない。
それなのに──彼は、どこか満足そうな表情をしていた。肩の力が抜けたような。長い間、背負い続けた何かを下ろした者の顔だった。
どうしてそんな表情が出来るのか。
リナには分からない。
敗北は、悔しいはずだ。
失うことは、苦しいはずだ。
けれど──
「……」
分からなくても、いい。
無理に知る必要なんて、ない。
それはきっと、彼だけの答えだから。
やがて二人は歩き出す。
言葉はない。ただ、夜風だけが静かに吹き抜ける。
満天の星の下、二つの影がゆっくりと並び、同じ方向へと伸びていった。
後日談。リナは日常へと戻っていた。
朝になれば仕込みをして、床を掃き、淡々と仕事をこなす。
世界が変わったような決闘を経験しても、日々は何事もなかったかのように流れていく。それからリナはフィアに決闘のことを伝えた。
家にもう縛られないこと。
自由になったこと。
話し終える頃には、フィアの瞳は潤んでいた。
「リナさん。本当に、本当に……ありがとうございます」
胸の前で手を握りしめ、何度も頭を下げる。
「……ううん。私が、そうしたいと思ったから。そうしただけ」
「でも……心苦しいのですが、私は改めて──家に戻ろうと思います」
「そうなの?」
「はい。でも、今度は違います。ちゃんと自分の言葉で、自分の想いを伝えて……その上で、ここで働くことも続けたいと思います。それはリナさんが、教えてくれたことですから。逃げることなく、向き合いたいと」
逃げるのではなく、向き合うために帰る。
その瞳はもう迷っていなかった。
「うん、そうだね。それがいいと……思う」
リナは思う。
フィアもまた、自分の足で歩き出したのだと。
守られるだけの少女では、もうない。
それがなぜか、少しだけ誇らしかった。
窓の外では、今日も穏やかな陽射しが差している。世界は変わらない。けれど確かに、少しだけ前に進んでいた。
そんなある日。
「いらっしゃいませ……ん?」
扉のベルが、からんと小さく鳴った。
いつもと同じ昼下がりの音だったが、来店したのは。
「……レオニスだ。いらっしゃいませ」
「リナ。久しぶりだな」
「うん」
すでに騎士団長の装備はない。
代わりに纏っているのは、質素でありながら一目で上質と分かる装い。装飾を抑えた濃紺のコートに、家紋を刻んだ銀の留め具。
それは、アルトレイン家当主としての装いだった。
「傷は……どう?」
「跡は残ったが、ほぼ完治した」
「そっか。それは良かったね」
「あぁ」
「ご注文は?」
「リナの勧めるものでいい」
「うん……分かった」
リナは注文を受け取り、そして配膳をフィアに任せた。
「フィア。よろしく」
「えっ!? 私ですか……!?」
「うん。その方が……絶対に良い」
「……はい。分かりました」
兄妹のわだかまりが解消されたわけではない。
フィアは家に戻ったが、好きにしろと言われただけ。深く語り合ったわけでもないし、本音を交わしたわけでもないのが現状だった。
「あの……お待たせしました。ビーフシチューになります」
「あぁ」
「……」
何か話した方がいいのだろうか。
フィアはそう考えるが──ふと、レオニスが言葉を発した。
「……美味いな」
「そ、そうでしょうか?」
「あぁ、美味い。この店が繁盛している理由が、よく分かる」
「はい。ここのお店は、とても良いお店なので」
「そのようだな」
それ以上、言葉を交わすことはなかった。
けれど、二人の間に流れる空気は以前とは確かに違っていた。
ぎこちなく、少しずつ。
手探りのままだが、兄妹は互いの距離を縮めていく。
そんな二人の様子を見て、リナは胸の奥がじんわりと熱くなるのを感じる。その光景を見れたことが嬉しくて思ったから。
やがて会計を終えたレオニスは、軽く会釈をして店を出た。リナはそのまま外へ出て、彼を追いかける。
「──レオニス」
「なんだ?」
リナは、胸の奥に引っかかっていた言葉をそのまま口にした。
「今……お仕事してないんでしょ? うちでバイトする? あっ……レオニスは強いから、冒険者の方がいい? 冒険者は稼げるって、カレンが言ってたよ」
それは純粋な心配だった。
レオニスは騎士団長を辞めた。
つまり──今は無職だ。
だったら、仕事を紹介しなければいけない。
リナは本気でそう思っていた。
「……くく」
「ん?」
「あははははははははは!!」
大きな笑い声が街中に響く。
レオニスは涙が出るほど笑っていた。
「いや……心の底から笑ったのは、いつぶりだろうか」
「ん? 別に面白いことは……言ってないけど」
「いいや、最高に面白いさ。リナは世界最強の剣士だというのに、ここまで世間知らずとは。くく……」
「うっ……ご、ごめん」
「謝る必要はない。だからこそ、リナは最強たり得るのだろう」
肩を揺らしながら、レオニスは息を整える。
「俺はアルトレイン家当主だ。当主としてやるべきことが山ほどある」
「……山ほど?」
「ああ。領地経営、税の再編、騎士団の再組織、貴族会議への出席、各家との折衝。今後は剣を振っている時間より、机に向かう時間の方が長くなるだろうな」
「……そ、そう」
あまりにも複雑な言葉の羅列に、リナは素直に顔をしかめた。
「すごく……大変そう」
「大変だ。だが──」
レオニスは空を仰ぎ、静かに言う。
「これが俺の、次の戦場だ」
「戦場?」
「剣で斬る代わりに、言葉と決断で守る。家も、民も、騎士もな。それこそが、当主の仕事だ」
「……そっか」
少し考えてから、リナは頷いた。
「じゃあ、ちゃんとした仕事はあるんだね。よかった」
「心配していたのか」
「うん。だって無職は困るでしょ」
「ふっ……相変わらずだな、お前は」
呆れたように笑いながらも、その声はどこか柔らかい。
「安心しろ。食い扶持には困らん。むしろ、お前の働く店を買い取れるくらいには余裕はある。いっそ買い取って、別の店にでもするか?」
「それはダメ。私の職場だから」
「はは、冗談だ」
レオニスは肩をすくめ、小さく笑った。
彼は踵を返す。
「またな、リナ」
「うん。あと、フィアと仲良くしてね」
「う……ぐ。あ、あぁ……再考に再考を重ねて、前向きに検討しよう」
「再考とか、検討じゃダメ。ちゃんと仲良くして」
「あぁ、分かったさ!」
観念したように言い切ると、レオニスは軽く手を上げた。
「じゃあな!」
「……うん。バイバイ」
リナは小さく手を振る。
そのまま彼は人混みの中へと歩き出す。
背筋を伸ばしたまま、迷いのない足取りで。
やがてその姿は、往来の喧騒に溶けるように消えていった。
リナはしばらくその背中を見送ってから、店へ戻る。何事もなかったかのように、いつもの仕事に戻った。ただ、いつも通りの穏やかな時間が流れていく。
営業後。
店じまいを終えたリナは布巾を片付けると、そのまま奥へと足を向けた。
厨房では、アルが明日の仕込みをしている。
「アル。ちょっとい……いい?」
「なんだ? また、つまみ食いの話か? 謝るなら早い方がいいぞ」
「うっ……! でも、今回は違う……」
小さく首を振る。
「明日、家に戻ってもいい?」
「家に?」
リナの瞳はあまりにも純粋だった。
王都に来てから、いろいろなことがあった。
たくさんの人と出会った。
みんなのことを知り、少しずつ、人の気持ちというものを理解していった。
独りで振るうだけだった剣に、いつの間にか誰かのために振るうという──別の理由が生まれていた。
自分はこれから何をするのか。
何をするべきなのか。
胸の奥にある答えを、ハッキリとリナは形にする。
「お墓参りに──行ってくる」
†
私は、一人で家へ戻っていく。
王都の門を抜け、見慣れた街道を歩く。
道は何も変わっていない。
石畳も、風景も、空の色も、全部同じ。
なのに足取りだけが、少し違った。
同じ場所へ向かっているはずなのに、
前よりもほんの少しだけ、遠くへ進んでいるような。そんな不思議な感覚が、胸の奥にあった。
やがて家に辿り着く。
扉を開けると、懐かしい匂いがした。
変わらない。静かな空気だ。
「まずは──」
私は袖をまくる。
「掃除を……する」
小さく呟いて、ほうきを手に取った。
いつも師匠が全部やってくれていた。
掃除も、洗濯も、食事の支度も。
私はただ、剣を振るうことだけ考えていればよかった。
けれど今は違う。
王都で働いて、店を手伝って、少しずつだけど出来ることが増えた。
床を掃き、棚を拭き、窓を開ける。
差し込む光の中、埃がきらきらと舞う。
二人で過ごした日々が、ふと蘇った。
叱られたこと。無言で隣に座っていた夜。
不器用な優しさ。剣を振り続けた場所。
思い出をなぞるみたいに、私は家を整えていく。やがて掃除を終え、静かになった部屋を見渡した。
「……よし。行こう」
小さく頷く。
向かう先は、決まっている。
師匠のお墓。海の見える丘の上。
あの人が、眠っている場所だ。
「師匠……これ上げる。お店のパン。とても美味しいよ」
返事はない。
さざなみの音だけが響くだけ。
私は師匠へ現状報告をする
「師匠がいなくなって……私は王都に出たよ。途中の村でも、王都でも、たくさんの人に会った。人と会って、喋って、たくさんのことを知ったよ」
私はさらに言葉を続ける。
「みんな得意なことがあって、違う想いを抱いている。〈剣の果てにある心は、自分で掴め〉って師匠は言ったけど……私にはまだ、心はよく分からない。けどたぶん、それは悪いことじゃないと思う」
そう。あくまで感覚的なものだけど、それはきっと分からなくていいものだと私は思っていた。
「どれだけ話しても、どれだけ理解しようとしても、ひとは他人のことなんて分からない。でもだからこそ──理解しようと、寄り添うことが大切なのかなって……思ったよ。師匠」
それが私の得た答えだった。
剣の先には虚無しかない。
虚無の先には、何も無かった。
斬って、斬って、斬り続けて。
残るのは倒れた誰かと、立っている自分だけ。
そこに意味も意義も無い。
ただ、冷たい空白が広がっているだけだった。
だから私はずっと思っていた。
剣とは孤独なものだと。
一人で振るい、
一人で強くなり、
一人で生きていくものだと。
けれど──私は王都で、たくさんの人と出会った。
笑って、怒って、助けられて。
気づけば、私の隣にはいつも誰かが立っていた。
剣を振るう理由も、いつの間にか変わっていた。
勝つためじゃない。
強くなるためだけでもない。
守りたいと思ったから。
失いたくないと思ったから。
誰かのために振るう剣は──
もう、虚無へは続いていなかった。
その先には、ちゃんと人がいる。
手を伸ばせば届く距離に、温もりがある。
「だから──私はもう迷わない。この剣で前に進む。独りじゃなくて、みんなと一緒に生きるために」
私は、もう一つの師匠の遺した言葉に対しては思うところがあった。だって、師匠は勘違いをしていたから。
「〈お前はもう、自由だ〉って師匠は言ったけど──」
私は震える手を……押さえながら、胸の奥に溜め込んでいた想いを吐き出す。
「私は最初から……自由だったよ」
お前はもう、自由だ。
そう言った師匠は、もしかしたらずっと、私を縛り付けていたと思っていたのかもしれない。
自分のもとに置いて。剣だけを教えて。
普通の生き方を奪ってしまったと。
どこかに負い目があったのかもしれない。
だから最後に、あんなふうに言ったのだろう。
自由に生きろ、と。
けど。けどね、師匠。
それは違うよ。
私は師匠の剣に憧れた。
黙って背中で語る、その強さに惹かれた。
振るう一太刀があまりにも綺麗で。
ただ、同じ景色を見たくて、師匠の隣に立ちたくて。
私は自分の足で、自分の意志で、師匠の背中を追いかけたんだ。
命令されたわけじゃない。
強制されたわけでもない。
誰に言われたわけでもなく──
私が、選んだ。
それは私が選び取った自由だった。
あの時。あの瞬間。
師匠の背を追うと誓った日。
私はもう、とっくに……自由な世界へ飛び出していたんだよ。
「私は……ずっと、ずっと、自由だった。だから、師匠は勘違いをしていたよ。師匠でも間違えることは──あるんだね」
胸の奥が、じわりと熱を帯びる。
息がうまく吸えない。何かが込み上げてきて、喉の奥が詰まった。
次の瞬間。
ぽたり、と。
雫が一つ、地面に落ちた。
「……あれ?」
そう思った時には、もう遅かった。
視界が滲む。
胸の奥に押し込めていたものが、堰を切ったみたいに溢れ出す。涙がこぼれていく。
一粒。
また一粒。
拭っても、拭っても、次から次へと溢れてくる。
止まらない。
止め方が分からない。
私は泣かないはずだったのに。
どんなに斬っても、
どんなに傷ついても、
涙なんて出たことはなかったのに。
なのに今は──胸が痛いくらいに熱くて。
どうしようもなく、温かくて。
涙は、ただ静かに流れ続けていた。
まるで今まで流せなかった分を、全部取り戻すみたいに。
「師匠……私は……ぐすっ……。私はちゃんと自由で──ちゃんと、幸せだったよ」
あまりの悲しみに、あまりの慟哭に、私は自分の感情を抑えることが出来なかった。
師匠がいたからこそ、私は剣を振ることが出来た。自分の先に目標があり、隣で寄り添っていてくれた。毎日話し、剣を振り、一緒に食事をする。そんなささやかで当たり前の人生こそが、何よりも大切だったんだ。
そんな当たり前で最も大切なことを、私はやっと気がついた。
「師匠はきっと……分かっていたんだね」
そう。師匠は分かっていたんだ。
自分が居なくなるからこそ、気が付けることがあるのだと。
喪失とは、
大切な人を失うことは、
悲しみに満ちている。
それはひとを絶望させるに相応しい悲しみだと思う。けれど、失うことはそれだけじゃ無い。
失うからこそ、
無くすからこそ、
見える世界が確かに存在している。
私はやっと、それを理解した。
「師匠……そうだったんだね。これが、広い世界なんだね……」
広い世界を知れ。
それは世界中を旅しろという意味じゃ無かった。人と交流するからこそ見える、自分だけでは見えない世界。そのことを師匠は、広い世界と言ったのだ。今になってやっと、師匠の言葉を理解する。
私は理解出来たことを嬉しく思うが、それでこの悲しみが癒えることは決して無い。
もっと話したかった。
もっと剣を見てほしかった。
もっと──同じ時間を過ごしたかった。
けれどそれは、叶わない。
あの在りし日々の思い出は、まるで泡沫のように消え去ってしまう。
「でも、だからきっと……」
ひとは生きていくのだろう。
失うからこそ、きっといつか私も終わりを迎えるからこそ、ひとは今を懸命に生きると……そう思った。
まだ、明確な答えはない。
けれど私は、みんなと生きていくと決めた。
師匠から受け取った、その形見と共に。
「……師匠。また来るね」
そう言って私は背中を向けた。
その時、肩にぽんと人の手の感触を覚える。
振り返る。
誰も居ない。それはきっと幻想かも知れない。でも、師匠が私のこれから先の未来を応援してくれていると──そう思った。
「よし……。明日も元気にバイトしよう」
†
リナは王都に戻り、いつものようにバイトをしていた。店じまいを終え、ゴミ袋を抱えて裏路地へ向かった、その時だった。
薄暗い路地の奥。
一人の女性が、壁に背を預けて崩れ落ちている。
「おえっ……呑み過ぎた……」
「大丈夫? うっ……お酒臭い」
近づいた瞬間、強烈な酒気が鼻を刺す。
顔は赤く、どう見ても完全な酔っ払いだった。
その女性はぼんやりと視線を上げる。
ふと──リナの腰に差した刀に目を止めた。
「ん? お前、それ──〈仇櫻〉か?」
「えっ……そうだけど。よく分かったね」
「もしかして、お前は〈ハクロウ〉の弟子か?」
その名にリナの胸が小さく跳ねる。
それは師の名だった。
「うん、そう。私は弟子のリナ」
「なるほどな。弟子がいることは聞いていたが、どうして妖刀を持っている? アイツはどこで何してる」
「師匠は……もういないから。お墓は家の近くにあるよ」
その言葉に、女性の目がはっきりと見開かれた。
「……そうか。ハクロウでも〈櫻の呪い〉は越えられなかったか」
「最後は病気になって、私が斬った」
「斬った? お前が?」
「うん」
リナの言葉を聞き、彼女はどこか遠くを見つめて呟く。
「──弟子に介錯させたのか。それならきっと、あいつは満足して逝っただろうな。ふ、孤独な〈剣鬼〉だったクセに、最期は独りじゃなかったのか」
その口ぶりで、分かった。
この人は──本当に師匠を知っていると。
「ねぇ。あなたは──誰なの?」
「おっと、自己紹介がまだだったな!」
女性は急に背筋を伸ばし、びしっと親指で自分を指した。
「私は〈剣聖・ロゼット〉だ! 特別にロゼちゃんと呼んでいいぞ!」
「ロゼ? あ。師匠に……聞いたことがある」
「おぉ!? 弟子にまで私の偉業を語っていたのか! いやぁ、参ったな! 照れるな! ハクロウもツンデレだなぁ!」
ロゼはニヤニヤと笑みを浮かべるが。
「──酷い酔っ払いで、酒癖が悪い。お金も酒と賭けにしか使わない。よくせびられるから、あんまり会いたくないって」
「……」
ロゼはすっと目を逸らした。
気まずい沈黙。けれど、リナはじっと見つめる。
「……ま、まあその話はいいさ!」
ロゼは無理やり咳払いをして、話題を変える。
「さて、本題に入ろうか!」
「本題……?」
「リナ。お前、何歳だ?」
「十六歳だけど」
「ふむ。やはり、ちょうどいいな。ここでハクロウの弟子に会ったのも、運命だな!」
「?」
さっきまでの酔いは、どこにもない。
ロゼの濁っていた瞳が、鋭く澄んでいる。
「リナ。頼みがある」
「何?」
真っ直ぐ射抜くように見据えて、ロゼは静かに告げた。
「潜入捜査で〈王立アカデミー〉に入学してくれないか──?」
リナは聞き慣れない言葉に、首を傾げる。
「潜入捜査? アカデミーって、何……?」
第一章〈剣と心〉終
第二章〈剣と学校〉続
第一章、終了です!
いかがでしたでしょうか。
リナの成長を描きたい、という構想から描き始めた物語ですが、少しでも楽しんでいただけたのなら幸いです。二章も書く予定ですが、続けるか実は少し迷っています。ただ毎日追いかけてくれている読者の方もいますし(本当にありがとうございます!)──何よりもこの物語は書いていて楽しいので、おそらくは続けると思います。学校に行くリナは面白そうなので!
二章は〈学校編〉の予定で、さらなるリナの活躍や心情の変化を描いていければいいなと思っています。
またいつもの催促で恐縮ですが、一章が
『面白い!』
『続きが気になる!』
と思った方はぜひ〈★評価〉をいただけると嬉しいです! 本当に〈★評価〉は今後の執筆の大きなモチベーションになるので、まだ評価していない方は何卒よろしくお願いします……!!
(このページ下に評価欄があるので、よろしくお願いします)
それではまた二章で!




