第18話 自分の意志で
「フィア……まだかな」
翌日。リナとフィアの二人は、王都の大噴水の前で待ち合わせていた。水音が絶え間なく響き、白い石畳には朝の光がきらめいている。
リナの服装は、以前フィアに買ってもらった街娘風のものだった。もちろん、帯刀はしているが。
「リナさん! おはようございます!」
「ん。おはよう」
「すみません。待ちましたか?」
「ううん……全然待ってない」
「そうでしたか。それは良かったです」
本当は三十分前には到着していた。基本的にリナは嘘をつかない。それでも──今はそう言ったほうがいいと思った。
「……今日は、まず服屋さんに行く」
「えっ? 喫茶店ではなく?」
「うん」
「はい……分かりました」
フィアは思わずきょとんとした表情を浮かべる。まさかリナのほうから、そんな提案が出るとは思っていなかったからだ。
やがて二人は、以前にも訪れた被服店へと足を運んだ。店の前で立ち止まり、リナは少しだけ言葉を探してから告げる。
「今日は──私が、フィアに服を……買う」
「えっ。リナさんが? お金は大丈夫なのですか?」
「うん。問題はない」
そう。実はリナは──アルに、あらかじめ金を借りていた。どうしても必要になるからと理由だけを告げて、バイト代を前借りした。
アルは深く追及することなくそれを了承し、今のリナの手元には、十分すぎるほどのお金があった。
「今回は……私が選んでもいい?」
「リナさんに選んでもらえるのですか? もちろんです!」
フィアは満面の笑みを浮かべた。
その表情を見て、リナは少しだけ胸の奥が温かくなるのを感じる。
「よし……考える」
リナは真剣な表情でフィアに似合いそうな服を考え始めた。
リナにファッションセンスなどない。
今どのような服が流行しているのかも分からなければ、フィアにどんな色や形が似合うのかも。
「これ……じゃない」
「いいですよ。ゆっくりで」
「……うん」
それでも──リナは懸命に考えた。
剣を振るうときと同じように、視線を巡らせ、一着一着を確かめる。派手すぎるものは違う。高価すぎるものも、きっとフィアは気にしてしまう。
リナが最終的に選んだのは、装飾の少ない簡素なワンピースだった。落ち着いた色合いで、動きやすく、それでいて生地は柔らかい。
決して目立つ服ではないが、フィアの穏やかな雰囲気を邪魔しない──そんな一着だった。
「どうですか? 似合いますか?」
「うん……よく似合ってる」
「ふふ。ありがとうございます。今日はこれを着て過ごしますね」
「それがいい」
フィアの服を購入し、その後は喫茶店へ。
だが、リナの今回の注文は控えめだった。
「あら? 今回あまり注文しないのですね、リナさん」
「う、うん……」
「もしかして、何か理由が?」
「な、ないよ……お腹減ってないだけ……」
「ふふ。そうですか」
フィアは口元に手を持っていき、微笑を浮かべる。明らかに理由があり、リナはそれを誤魔化し切れていない。それでも懸命に隠そうとするリナのことを、フィアは可愛らしいと思った。
「もう……お別れの時は近いですね」
軽食後、ふとフィアが呟く。
「うん」
「リナさんはこれからどうするのですか?」
「私は……たぶん、バイトを続けると思う」
「そうですか。それはとても良いことだと思います」
「フィアは──どうするの?」
気になっていた。
貴族の家に戻ったら、フィアはどうなってしまうのだろうか。
「私は……どうでしょうか。家のためにきっと、やるべきことがあると思います」
「やるべきこと?」
「はい。貴族にはたくさんやることがあるのです」
「たくさん……それは良いことなの?」
「……それは」
フィアは逡巡する。
良いことなのかどうか。
そう問われれば、すぐに肯定は出来なかった。
「きっと、そうですね。良いことになると──私は信じています」
「良いことに……なる? 未来の話?」
「はい。貴族は確かに高い地位や立場、権力などを持ちますが──やはりそれは、国をより良くするために使うべきだと私は思います。だから、きっと未来は良くなると私は信じています」
「……そうなんだ」
フィアはその運命を受け入れているように見えたが、それは覚悟というよりも──どこか強がりでもあるような。そんな些細な機微をリナは感じた。
「今日はありがとうございました」
夕暮れ時。そろそろ解散しようとした時、リナはフィアの袖を引く。
「最後に、来てほしいところがある」
そう言って二人が歩みを進めて行った先は──アルの店だった。
「ここ」
「今日はお休みですよね?」
「ううん。違う」
フィアが疑問に思いながらも、二人が中へ足を踏み入れると──そこには、思わず息をのむほど豪勢な料理が並んでいた。
彩り豊かな皿が所狭しと並び、甘い香りが室内に満ちている。もちろん、その中にはフィアの好物であるケーキもいくつも用意されていて、まさに圧巻の光景だった。
「え……?」
フィアが言葉を失うその場で、ニヤッと笑っているのはアルだった。
「二人ともよく来たな」
「これは……一体?」
「リナの提案でな。フィアのために何かしたいって言ってな。それなら、リナは買い物を一緒にして、俺はフィアの好きな料理でも用意するか、って話になったんだ」
「リナさんのご提案なんですか?」
「うん……そう」
もうフィアはいなくなってしまう。
それならせめて、一緒にここで料理を食べたい。そう思ったリナはアルに相談し、今日のために準備を整えてもらっていたのだ。
その事実を知った瞬間、フィアの瞳から一筋の涙がこぼれ落ちる。
「ぐすっ……」
「フィア? もしかして、嫌だった?」
「いいえ。そんなことは……決してありません」
「じゃあ──どうして泣いているの?」
リナには、分からなかった。
涙とは、悲しいときに流れるものだから。
「……嬉しいからです。リナさん、アルさん。本当に……ありがとうございます」
嬉しいから、泣く。
それはリナが初めて知る言葉であり、初めて触れる感覚だった。
それから三人は、用意された料理を囲んだ。
特別な話題があるわけでもない。
それでも、ささやかな会話がリナには心地よかった。フィアも、アルも、同じように笑っている。
──こんな時間が、永遠に続けばいい。
けれど永遠など存在しないことを、リナはもう知っている。
「お二人とも……本当に、ありがとうございました」
「いいってことよ」
「うん……フィアとデートして、みんなで食事が出来て楽しかった」
フィアはふと夜空を仰ぎ、静かに浮かぶ満月を見つめた。
「私はきっと──今日この日を、一生忘れないと思います」
一生忘れない。
それはリナも同じだった。
剣を握っているときとは違うが、確かに大切な時間だった。そして、その大切さをフィアも同じように感じてくれていることが、リナの胸を静かに温める。
フィアは深く頭を下げ、やがてその場を去っていった。
その後、リナとアルは店に戻って後片付けをする。リナはいつもの服装に着替えると、自室へ戻らずに、そのまま外へ向かおうとした。
「──リナ」
まだ店に残っていたアルが、背中に声を投げかける。
「行くのか?」
「うん」
リナは小さく頷く。
その瞳には、確かな覚悟が宿っていた。
「そうか。それが──お前が選んだ道なんだな」
「そう。これが……私が〈選んだ道〉」
それ以上、アルは何も言わなかった。
問いただすことも、引き止めることもない。
「──死ぬなよ」
「うん。明日もバイトあるから……死なないよ」
「そうか。あと、これを持って行け」
アルが差し出したのは、一枚の純白の手袋だった。それが何を意味するのか、リナは知っている。そして、彼女はそれを静かに受け取った。
「ありがとう」
「あぁ。じゃ、また明日な」
「……うん」
いつもの調子でそう答え、リナは外へ出た。
扉が閉まる音が、やけに遠くに聞こえる。
胸の奥に残っていた温もりは、冷たい夜に晒され、ゆっくりと削ぎ落とされてく。
その身に宿るのは、凍りつくような意志。
それはまさに、研ぎ澄まされた覚悟そのもの。
月明かりがリナを照らす。
一歩、また一歩。足音は静かで、迷いはない。
〈神の剣域〉へ至る少女が、夜の街を進んでいく。
リナはもう、命令に頷くだけの剣士では無い。
誰かに与えられた理由で生きる剣士では無い。
自分で選び、考え、進む。
そして──自らの意志で刀剣を振るう、剣士なのだから。




