第13話 推し
「むっ……!」
「……」
腕相撲が始まった。
リナはただ、Sランク冒険者とはどの程度の実力なのか──それが気になっていた。まだ本気は出さず、ガルムの力を静かに受け止めている。
一方のガルムも同様。様子見の段階だ。
だが──彼はリナの腕を、一ミリも動かせずにいた。
「おいおい、ガルム! 遊んでるなよ!」
「さっさと終わらせろ!」
「最初に相手を見るのが、あいつの癖だからな」
「いや、俺はあのお嬢ちゃんを信じてるぜ?」
「ハハ! 勝てるわけねぇだろ。その細腕で!」
周囲は完全に、勝者をガルムだと思い込んでいる。だが、当の本人はそれどころではなかった。
(全く、動かんッ……! どういうことだ、何か特殊な魔法か……? いや、魔力の気配はない。これが、素の身体能力だと……?)
信じ難いが、目の前の少女は表情ひとつ変えず、彼の力を受け止め続けている。
リナは、まっすぐにガルムを見つめて言った。
「──ねぇ。そろそろ……本気で来ていいよ」
その一言で、ガルムは悟った。
自分は完全に彼女を見誤っていた、と。
「いいだろう。リナ、後悔するなよ」
「……うん。たぶん、大丈夫だから」
「ハアアアアアアアアアアアア──!」
ガルムは魔力を解放した。
全身を巡らせ、特に腕へと集中させる。並の相手なら、腕どころか身体の骨ごと砕け散る。それでも、リナの腕は微動だにしない。
「おい……あれって……」
「ガルムのやつ、本気だよな?」
「間違いねぇ。十八番の身体強化を、全力で……」
「じゃあ、なんで動かねぇんだ……?」
「……そりゃあ、あのお嬢ちゃんの力が、ガルムより上だからだろ」
「……あり得るのか? 魔力の気配も無いんだぞ」
誰も信じられない。
だが、目の前の現実がそれを許さなかった。
リナはまだ本気を出していない。
ただ──ガルムの全力を、受け止めているだけ。
「ぐっ……! ウオオオオオオオオッ──!」
「……やっぱり、あなたは強いね。でも」
リナはほんの少しだけ力を込めた。
「──もう、終わりにするね」
ガルムの腕が机に叩きつけられ、そのまま身体ごと床へと吹き飛ばされた。机は粉砕され、床には巨大な凹みが穿たれる。まるで激しい戦闘の痕跡のよう。
──静寂。
ガルムを含む全員が、ただ信じられないものを見る目で、その光景を見つめていた。
「私の勝ち……だよね?」
アレクの時のように〈待った〉というものがあるかもしれない。そう思ってリナはガルムにそう訊くが、彼はまだ放心していた。もちろん、周囲の人間も同じだった。遠目から見ていた受付嬢でさえ、まだ理解出来ていない。
「あ。腕……折れてないよね?」
リナは一応、ガルムにそう確認をする。
彼はその言葉を聞いて、リナはまだ本気では無いことを悟る。
そして──豪快な笑みを浮かべて、立ち上がった。
「ふっ……ハハハハハハハハ!! なんということだ! リナはキミはまだ本気じゃなかったのか!」
「うん」
「ハハハ、世界は広いな! いや、俺も謙虚でいることに努めているつもりだったが──Sランクという肩書きで驕っていたな。リナ、ありがとう」
「……どういたしまして?」
どうして腕相撲で勝っただけなのに、感謝されるんだろう。ただ形式上は、リナはそう返答した。
「リナ……って、どこにそんな力があるのよ」
顔面蒼白になっているカレンが近寄ってくる。
「ん? 分かんない。でも、力には自信がある……」
「はは……全く、アンタは本当に不思議なやつね」
そうして、一気に冒険者ギルド内にざわめきが広がっていく。
「おいおい! マジかよ!」
「あの細腕でどうやって……!?」
「魔力の兆候はなかったぞ!」
「つまり──素の力ってことか……? やばいな!」
「や、やった! ついに賭けに勝ったぞ! これでしばらくは遊んで暮らせるぞ!」
そして、ガルムが再び話しかけてくる。
「リナ。キミはすぐにでもSランクになれるだろう」
「……別にランクに興味はない」
「ハハハ! そうか! リナは大物だな! またいずれ、キミの力を見せてくれ。その時まで俺も、また精進しよう!」
「……うん、頑張って。あっ……でも、机と床が」
自分が壊してしまったことをリナは思い出し、どうしようと思うが。
「そんなものはこちらに任せておけ! いや、リナの栄光を讃えてこのままでもいいか……?」
「リナ。さ、行くわよ。あとはコイツがどうにかしてくれるから」
「うん。バイバイ、ガルム」
「あぁ。リナ、またな!」
一騒動あった後、リナとカレンはダンジョンへと潜っていくのだった。
「ここが……ダンジョン」
リナは周囲を見渡して、ボソリと呟く。
「そうよ。〈グランヴェールダンジョン〉は、世界でも最高難易度を誇るダンジョンの一つだね」
「……なるほど」
「内部は広大かつ不安定で、深く潜るほど地形は歪み、通路や構造さえ変化していくわ。あとは階層が下がるにつれ、魔力濃度は急激に上昇し、方位感覚や時間感覚は容易に狂わされる。地図や目印はほとんど意味を成さ無いし、深く潜れば戻るのも困難になるわ」
「……なんか、大変そう」
「えぇ。でもやっぱり、ダンジョンで一番大変なのは──魔物ね」
そう言った矢先だった。
闇の奥から数体のゴブリンが姿を現す。獲物を見つけた獣のように、リナとカレンを囲い込み、今にも襲いかかってきそうである。
「ここは──先輩の私に任せなさい」
カレンの足元で雷光が弾けた。
地を蹴る音はなく、残ったのは稲妻の残像だけだ。
「さて、やりましょうかね」
双剣が走り、ゴブリンの喉元と胴を正確に断ち切る。カレンは電撃を纏ったまま敵陣を駆け抜け、刃を振るうたびに、鈍い断末魔が闇に消えていった。
「ふぅ。こんなものかしら?」
双剣から雷光が消え、カレンは何事もなかったかのようにそう言った。
「おぉ……。カレンはやっぱり、強いね」
「そ、そうかしら?」
「うん。速くてキラキラして、カッコいい」
「ふふん! そうよ! 私は先輩だからね!」
小さな胸を張ってカレンは自慢げにそう言うが──彼女はそれを後悔することになる。
二人はさらに深部に潜っていくが、相対した魔物はいとも容易くリナに斬られていった。
「いいこと。魔物と戦う際に気をつけることは──」
「斬る」
「……地形も重要よ。周りの環境を深く考慮して──」
「斬る」
「……魔物の特性も理解しないとダメよ。ちゃんと知識がないと──」
「斬る」
「……ぐすっ」
その助言を聞きつつも、リナは強力な魔物を一刀両断していった。それを見てカレンは泣きそうな顔をして、地面に座り込んでしまった。
「カレン……? お腹でも痛いの?」
「違うわよ! アンタ、強すぎでしょ!! なんであっさりとAランクの魔物を倒してんのよ! でも……そうよね。クラーケンだって斬れるんだし、当然か……。もういい、ご飯食べる」
カレンは半ば投げやりに言い切ると、調理の準備を始める。小さな携行鍋を地面に置き、折り畳み式の簡易バーナーに火を点ける。
手慣れた動きで水を注ぎ、乾燥肉と保存野菜を放り込むと、ふつりと湯が音を立て始めた。
「美味しそう……」
「何よ。ご飯だってリナは得意なんでしょ?」
「そんなことない。私が得意なのは……斬ることだけ。料理は難しい」
「そうなの? 意外ね」
「うん。味の調整とか……難しい」
「ふぅん。それなら、ちょっと食べていいわよ」
「ありがとう……ん。美味しい」
カレンが作ったスープを食べたリナは素直にそう言った。
「ホント?」
「……うん。カレンは凄いね。こんなところでも料理ができるなんて」
「ふ、ふふん! そうよ! ダンジョンでの調理も、冒険者には必要なんだから!」
「うん。凄い。本当に……凄いね」
リナは素直にそう口にした。それは心から溢れた言葉だった。
彼女は今、人というものを少しずつ知り始めていた。
人にはそれぞれ、得意なものがある。
自分は斬ることが得意。けれど、これまで出会った人たちは、誰もが自分とは違う何かを持っていた。そのことを、リナは理解したのだった。
そして、無事に冒険者ギルドに戻ってきた二人は別れることになった。
「……冒険者、楽しかった」
「まあ、先輩としてまた色々と教えてあげるわよ!」
「……うん。じゃあ、バイバイ」
「またね!」
リナは帰路へと着くがその途中で──視線を感じた。路地裏から自分のことを窺うような視線。それは敵意ではなく、何か別物だった。気になったリナは即座に相手との距離を詰めたが、そこにいたのは──
「……リリエルだ」
「リナさん。よく、私の場所がお分かりになりましたね。正直……驚きました」
「うん。視線を感じたから」
「そうですか。いえ、別に他意はないのですよ。ただ──〈推し〉の姿を目に焼き付けておきたくて」
「おし……? おしって何? 押す……とは違う?」
全く聞いたことのない言葉にリナは首を傾げる。
「……そうですね。リナさんにはご説明しましょうか。もしよければ、私の部屋に来てくださいませんか?」
「いいよ。行ってみたい」
リナは素直に頷き、リリエルの後について歩き出した。
二人が向かったのは、街の中心に建つ教会だった。重厚な扉をくぐると、外の喧騒が嘘のように遠のく。高い天井から差し込む柔らかな光が、石造りの床に淡く広がっていた。
「……綺麗」
「えぇ。そうでしょう。教会は神聖な場所ですから」
足音が静かに反響する回廊を、リリエルは迷いなく進んでいく。壁際には祈りの像や簡素な装飾が並び、ほのかに香の匂いが漂っていた。
階段を下り、関係者以外立ち入らない地下区画へと入る。扉の一つの前でリリエルは立ち止まり、鍵を取り出した。
「こちらが、私の部屋です」
「ん……?」
中に足を踏み入れた瞬間、リナは疑問に思った。
部屋の壁一面に、絵が貼られていた。
どれも人物画だ。それもただの肖像ではない。
紙の上に描かれた瞳は生きているかのように光を宿し、髪の一本一本、指先の力の入り方、呼吸の癖までもが正確に写し取られている。
それらすべてが、同一人物だった。
「これって……」
言葉を探すリナの背後でガチャ、と乾いた音が響く。振り返ると、リリエルが扉に鍵を掛けていた。
彼女はいつもと変わらない、穏やかな笑みを浮かべている。だが、その笑顔はこの部屋の静けさと相まって、どこか現実から浮いて見えた。
リナは困惑を溢すように、ボソリと呟いた。
「──私の……絵?」




