第12話 冒険者
「リナ……! 待て、待て……。はぁ……はぁ……」
慌てて駆け込んできたアレクは、肩で大きく息をしていた。そこまで焦る理由が、リナには分からない。彼女はただ、敵を斬ろうとしただけだから。
「……どうかした? アレク」
「彼は──僕の後輩なんだ」
「後輩?」
「あぁ。無礼なことをしたのなら、僕が謝罪する。申し訳なかった」
そう言って、アレクは深く頭を下げた。
「どうしてアレクが謝るの……?」
「それが先輩の役目だからだ」
「……先輩の役目」
リナはまだ人間関係に疎い。特に組織や立場が絡む関係など、これまで知る機会はなかった。それでも、アレクが真正面から向き合っていることだけは、なんとなく分かった。
「彼にはよく言い聞かせておく。では、今日はこれで失礼する」
「……うん」
アレクは後輩騎士の肩を軽く叩き、その場を去っていった。残されたリナの耳に、人々の声が届く。
「おいおい、すごいな、お嬢ちゃん!」
「あぁ! 速すぎて見えなかったぞ!」
「痛快だねぇ。騎士が頭を下げるなんて!」
「見たか? 斬られかけた騎士、顔が真っ青だったぞ!」
その様子を見てリナはぼんやりと思う。
騎士という存在は、少なくともこの街では無条件に受け入れられているわけではないのだと。
「リナさん」
「ん? あ、フィア。ごめん、置いて行って」
「いえ、大丈夫ですよ。だって、リナさんは正しいことをしましたから」
「……正しいのかな」
敵と、敵ではない存在。
正しさと、正しくない行い。
王都に来てから、リナは今まで出会うことのなかった人々と関わってきた。その分だけ、胸の奥に説明できない感覚が積もっていく。
「さ、気を取り直して次のお店に行きましょう。そろそろお昼ですし、美味しいお店をご紹介しますよ」
「美味しいお店……! うん。行こう……!」
食の話題が出た瞬間、リナの意識は切り替わる。けれど──胸に残った違和感は、消えることはなかった。
夕暮れ時。黄昏の光が、並んで歩くリナとフィアを包み込む。
「とても美味しかった」
「えぇ。リナさんは本当にお食事が好きなんですね」
「……うん。好き」
「ふふ」
柔らかな笑みを浮かべるフィアを見て、リナは意を決したように口を開いた。
「……フィア。ごめんなさい」
「? 急にどうされたんですか?」
「その……訊いちゃいけないことだったから……」
あの時のフィアの表情が、リナの脳裏には強く残っていた。ちゃんと謝らないといけない。リナはずっとそう思っていたのだ。
「……いえ、いいんです。リナさんに悪気がないことは分かっていますから。でも、いつか──リナさんにはお話ししたいと思っています」
「……そうなの?」
「はい。人はやはり、その血統に縛られている。決して因果を断ち切ることはできません。私も今は平穏に過ごしていますが……それも、きっと永遠ではないのでしょうね」
「……」
リナは黙って、その言葉を受け取った。
理解はできない。けれど、軽く扱ってはいけないものだということだけは、確かだった。
「では、私はこちらですので」
「……うん。今日は楽しかった。バイバイ」
「はい。さようなら、リナさん。またお店で」
静かな挨拶をして二人は別れた。
歩き出してから、リナは気づく。
胸の奥に、名づけられない感覚が残っていることに。
嬉しいとも、寂しいとも違う。
剣を振るう時の高揚とも、仕事を終えた後の達成感とも違う。
──人と話すというのは、こういうものなのだろうか。
リナは、自分が人を知り始めているのだと、ぼんやり理解する。それはまだ輪郭の曖昧な感覚で、言葉にはできない。確かに、それは剣だけを握っていた頃にはなかったものだ。
いつか、師が残したあの言葉の意味も、こうして少しずつ分かっていくのかもしれない。そんな予感を胸に、リナは静かな足取りで帰路につくのだった。
†
「リナ。今日は外に出るのか?」
「……うん」
「そうか。今日は新作の試食会でもしようと思ったが、仕方ねぇな」
「新作!?」
今日はアルの店は休み。
アルは何気なくそう言っただけだが、その言葉はリナの胸に強く刺さった。
試食。新作。魅力的すぎる条件が、いくつも並ぶ。一瞬、足が止まりかける。
が──行くと、約束した。
リナはぐっと拳を握りしめる。名残惜しさを振り切るように、小さく息を吐いた。
「……行ってきます」
「おう。あんまり遅くなるなよー」
リナが向かう先は──王都の冒険者ギルドだった。
重厚な扉を押し開いた瞬間、空気が変わる。
酒と汗、鉄の匂いが混じった、濃密な空気。広い室内には、数えきれないほどの冒険者たちがいた。鎧に身を包んだ者。巨大な武器を壁に立てかける者。傷だらけの腕を無造作にさらし、豪快に笑う者。
ここの雰囲気はリナに合うものだった。
「……いい場所」
そのまま立って待っていると、視界の端で誰かがこちらへ駆けてくる。
「リナ! 来たのね!」
弾むような声。そこにいたのはカレンだった。
いつもなら不機嫌そうな表情を浮かべている彼女だが、今日は違う。その声音だけで、上機嫌なのがはっきりと分かった。
「うん。今日はよろしく」
「ふふん。私は先輩だからね! 冒険者のことはこの私に任せなさい!」
「……助かる」
リナは、ついに冒険者になることを決めた。
王都の求人情報を眺める中で、冒険者でなければ受けられない依頼がいくつもあることに気づいたからだ。そこに、カレンの誘いも重なったからだ。
「まずは受付で手続きをしなさい。一人で出来る?」
「……うん。大丈夫」
リナは頷き、ギルドの受付へと向かう。
「……冒険者になりたい」
「はい。新規冒険者の登録ですね」
受付嬢の問いに、リナは淡々と答えていく。
名前。年齢。武器の有無。
滞りなく進んでいた手続きは、ひとつの項目で止まった。
「では、魔力測定を行います。こちらの水晶に手を置いてください」
「……私に魔力は無いから、大丈夫」
何気ない調子で言った言葉に受付嬢が一瞬、言葉を失う。
「えっ……? そ、その……魔力無しで冒険者を?」
「うん」
「……非常に危険ですよ? それでも……登録自体は可能ですが」
「大丈夫」
短く、迷いのない返答。
受付嬢は困惑しながらも、それ以上は踏み込まなかった。
「……分かりました。では、手続きを進めますね」
こうして手続きは完了し、リナは冒険者であることを示す一枚のカードを受け取る。それは、これまでとは違う世界への──小さな証だった。
「終わった?」
「うん」
「じゃあ、早速ダンジョンに潜るわよ! 今日はクエストを受注せずに探索をメインにしましょうか」
「了解」
よく分からないが、リナはとりあえず了承することにした。
「で、ランクは──まぁFよね」
「……Fランクが一番下。ということは、カレンのAランクは上の方……?」
「そう! そうなのよ!!」
カレンが待ってましたと言わんばかりに、声を発する。
「Aランク冒険者になることができるのは、本当に限られた人間だけよ!」
「つまり──カレンは割と凄い?」
「割とじゃないわ! 凄いのよ!」
「でも小さくて可愛い……」
「頭を撫でるなぁ──! でも……なんか撫でるの上手くなってない?」
「……ちょっと慣れてきた」
「でも、私の方が大人のお姉さんなんだからね! 撫でるのはまぁ……程々にしておきなさい」
どうやら、カレンもまんざらではなさそうだった。
そんなやりとりを二人でしていると、不意に視界を塞ぐほどの大きな影が現れる。
「──フハハハハ! カレン! まさかキミに後輩が出来るとはな!」
腹の底から響くような豪快な笑い声。そこには背に巨大な大斧を背負った大男が立っていた。身長は優に190を超え、鎧の上からでも分かるほど隆起した筋肉。太い首に広い肩幅。使い込まれた鎧には、無数の傷跡が刻まれている。
「げっ……ガルムじゃない……」
「いつもソロで潜っているキミが、新人の育成か? 珍しいこともあるものだな! ハハハ!」
「別に教育じゃないわよ。リナは私よりも強いし……」
ボソリとこぼれた言葉。
だが、それをガルムは聞き逃さなかった。
「……何?」
彼の快活な笑みが止まる。
「新人が──キミよりも強いと?」
「やばっ……。リナ、早く行くわよ」
「? うん」
カレンに促され、リナは素直に歩き出す。
しかし、その瞬間。がしっ、リナは強い力で肩を掴まれた。
「新人くん。少し、いいだろうか」
「新人じゃない。リナ」
「リナ、か。いい名前だ」
ガルムは興味深そうに、リナを見下ろした。
彼は常に強者を求めているのだ。
「まさか、あのカレンが認めるほどの新人とはな。この俺も見過ごすわけにはいかん」
口の端を吊り上げ、豪快に笑う。
「少々、手合わせを願おう。そうだな、腕相撲でどうだ?」
「……別にいいよ」
リナは即答する。
手合わせはリナも嫌いではない。
「ちょっ……!? はあ……もう知らないからね」
カレンが慌てるが、もう遅い。
周囲の空気が変わる。
ざわざわと、人だかりができていく。
「賭けだ、賭けだ! Sランクのガルムと新人の女だ!」
「どう考えてもガルムだろ。賭けにならねぇぞ」
「筋肉ダルマと華奢な女か。話にならねぇな」
「いいや、俺はあの子に賭けるね。スラっとしていて美人だからな!」
「ハハハ! お前、いつもそれでスッてるだろ!」
「うるせぇ! 金は美人に使うもんなんだよ!」
好き勝手な声が飛び交う中、リナは一切気に留めていなかった。
差し出されたガルムの腕を見る。
太く、硬く、岩のような筋肉。
普通なら、それだけで勝負は決まったも同然だ。誰もがそう思っている。
リナの強さを知っているカレンでさえ、リナの勝利を確信していない。それだけガルムという冒険者は強い。伊達にSランクではない。
「凄い……鍛えてるね」
「ハハハ! 筋肉こそが冒険者の全てだからな! リナは細いな。もっと肉を食え、肉を! まあ骨は折らない程度に加減はするさ」
「うん。私も……骨は折らないようにするね」
「ハハハ! そちらからの気遣いか! 感謝するぞ、リナ!」
「うん」
この場にいる全員が、リナが冗談を言ったと思っていた。しかし、リナの内側に秘められた祝福を、この場にいる誰一人として理解していない。
彼女の肉体は、剣を振るうためだけに磨き上げられてきた。
無駄は削がれ、全ては収束する。
斬るために。ただ、その一点のためにだけに。
剣を握ってきた年月は、魂にまで深く刻まれている。
そして──その肉体にも。
「準備はいいか?」
「……うん」
「では──スタートだ!」
次の瞬間、冒険者ギルドに──激震が走った。




