第12話:鉱山の町と潜む悪意
オーガの死骸に残された、禍々しい紫色の紋様。それは、俺たちが追うべき悪意が、既に広範囲にまでその根を伸ばしているという、紛れもない証拠だった。俺とエラーラは、それ以降、道中の警戒レベルを最大まで引き上げ、最短距離で目的地の町『シルヴァン』へと急いだ。
アステルを出発してから五日後、俺たちはようやくシルヴァンの町に到着した。
シルヴァンは、背後にそびえるグランツ鉱山から採れる豊富な鉱物資源によって栄えた町だと聞いていた。本来であれば、多くの鉱夫や商人、そして富を求める冒険者たちで活気に満ち溢れているはずだった。
だが、俺たちの目の前に広がる光景は、そのイメージとは程遠いものだった。
町の活気は失せ、道行く人々の顔には疲労と不安の影が色濃く浮かんでいる。あちこちに武装した衛兵が立ち、ピリピリとした空気が町全体を支配していた。まるで、見えない脅威に怯える要塞都市のようだ。
「…ひどい有様だな。噂以上だ」
エラーラが、吐き捨てるように呟く。俺も同感だった。この重苦しい雰囲気は、ただのモンスター騒ぎで生まれるものではない。
俺たちはまず、情報収集の拠点となる冒険者ギルドへと向かった。
シルヴァンのギルドは、アステルのそれよりも規模は大きいが、中の空気は淀んでいた。酒を飲む者も少なく、冒険者たちは皆、消耗しきった顔で依頼ボードを眺めている。高ランクの依頼は、そのほとんどが『グランツ鉱山の調査』関連で埋め尽くされているが、その依頼書を剥がそうとする者は誰一人いなかった。
俺たちは、アステルのギルドマスター、ダリウスから預かった紹介状を手に、ギルドマスターの執務室を訪ねた。
「アステルからの紹介だと?…ふん、ダリウスの奴、面倒事を押し付けおって」
シルヴァンのギルドマスター、ボルガンは、その名の通り、岩のように頑強な体躯を持つドワーフだった。彼は、俺たちのような若造を一瞥すると、あからさまに不機嫌な顔をした。
「鉱山の調査依頼なら、間に合っとる。腕利きのBランクパーティーですら、尻尾を巻いて逃げ帰ってくるような場所だ。お前たちのようなCランクのひよっこに、何ができる」
その態度は、かつてのゲイルたちを彷彿とさせ、俺の心に小さな棘が刺さる。だが、エラーラは怯まなかった。
「あたしたちは、ただのCランクじゃない。アステルの『沈黙の森』を浄化した実績を買われて、ここに来たんだ」
「『沈黙の森』だと…?まさか、ブラッド・ドルイドを倒したという、あの…!」
ボルガンの態度が、そこで初めて変わった。彼は俺たち――特に、スライムであるソラを連れた、不遇職テイマーの俺を、値踏みするようにじろじろと見つめる。
「…まあ、いい。ダリウスの紹介だ。話だけは聞いてやる。鉱山の現状は、最悪の一言だ」
ボルガンの話によると、やはり事態は深刻だった。三週間前から、鉱山の最深部で働いていたベテラン鉱夫たちが、次々と正気を失い、仲間に襲いかかるようになったという。その後、鉱山内部から、これまで見たこともないような凶暴化したモンスターが溢れ出し、調査に向かったパーティーはことごとく返り討ちにあった。今では、鉱山は完全に封鎖され、町は生命線を断たれた状態にあるらしかった。
「原因は、分かっているんですか?」
「分からん。だが、生き残った鉱夫たちが、口を揃えてこう言う…『紫の光』を見た、と」
紫の光。それは、俺たちが追う『呪われた水晶核』の存在を強く示唆していた。
ギルドを出た俺たちは、鉱夫たちが集まるという酒場へ向かった。ギルドの情報だけでは、現場の生の声は聞けない。
酒場の中は、昼間だというのに薄暗く、荒くれた鉱夫たちが静かに酒を呷っていた。仕事がなくなり、彼らもまた先の見えない不安の中にいるのだろう。
俺たちは、一番年長に見える鉱夫に声をかけ、一杯奢ることを条件に話を聞いた。
「鉱山には、もう誰も近づきたがらねえ。あそこは、呪われてる」
鉱夫は、震える手で酒を飲み干すと、ぽつり、ぽつりと語り始めた。
「最初にイカれたのは、一番腕利きのワシのダチだ。奴は、鉱山の奥で『とんでもねえ宝石』を見つけたって、そう言って奥へ入っていって…戻ってきた時には、もう人の言葉も通じねえ、獣みてえな目つきになっとった」
「不気味な声も聞こえる。壁の奥から、助けを求めるような、それでいて、こっちを嘲笑うような、気味の悪い声がな…」
他の鉱夫たちからも、似たような証言が次々と出てきた。断片的だが、その全てが、鉱山の奥に潜む邪悪な何かを指し示している。俺たちは、失踪した鉱夫の妻だという女性にも話を聞いた。彼女は、涙ながらに夫の帰りを信じ、俺たちにその捜索を懇願してきた。その姿に、俺は強く胸を打たれた。これは、ただの依頼じゃない。この町の人々の生活と、未来がかかっているんだ。
その夜、宿屋に戻った俺たちは、集めた情報を地図の上に整理した。
「鉱夫たちの証言が本当なら、汚染源は鉱山の最深部、おそらく未踏の古い坑道だろうな」
エラーラは、鉱山の古い地図を広げ、怪しいポイントに印をつけていく。
「問題は、どうやってその場所を特定するか、だ。鉱山は、アリの巣のように入り組んでいる。闇雲に探せば、俺たちもミイラ取りがミイラになる」
「…俺のスキルが、使えるかもしれません」
俺は、自分の考えを口にした。
「《詳細情報閲覧》は、強い魔力や気配を探知できます。鉱山の入り口で、広範囲にスキルを使えば、汚染源である『核』の、おおよその位置が掴めるんじゃないかと」
「…なるほど。試してみる価値はありそうだな」
計画は決まった。明日、俺たちはグランツ鉱山へ向かう。俺が汚染源の位置を特定し、エラーラがそこまでの最短ルートを切り開く。そして、元凶を叩く。
翌朝。俺たちは、夜が明けると共に宿を出た。町外れにあるグランツ鉱山の入り口は、ギルドの命令で幾重にも柵が設けられ、屈強な衛兵たちによって固く封鎖されていた。
俺たちがボルガンから預かった許可証を見せると、衛兵の隊長は驚いたような顔をしたが、すぐに厳粛な表情で道を開けた。
「…ギルドマスターから話は聞いている。健闘を祈る。だが、無理はするな。生きて帰ることだけを考えろ」
「はい。ありがとうございます」
衛兵たちの敬礼に見送られ、俺たちは封鎖線の内側へと足を踏み入れる。
鉱山の入り口は、まるで巨大な獣の口のように、黒々とした闇を広げていた。
そして、その闇の入り口に立った瞬間。
俺は、『沈黙の森』で感じたものとは比較にならないほど、濃密で、冷たく、そして邪悪な瘴気の気配を、全身で感じ取った。それは、魂の芯まで凍りつかせるような、絶対的な悪意の塊。
『ピュイッ…!』
肩のソラが、怯えたように俺のマントの中に完全に潜り込んでしまった。
「…これは、想像以上だな」
隣に立つエラーラの顔からも、いつもの余裕が消えている。彼女は背中の長弓を手に取り、静かに弦を張った。
不気味な静寂に包まれた鉱山の闇が、俺たちを待ち受けている。
俺はバスタードソードの柄を強く握りしめ、覚悟を決めた。この先に何が待っていようと、もう引き返すことはできない。
俺たちは、互いに頷き合うと、その底知れぬ闇へと、確かな一歩を踏み出した。