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最後のお仕事

◇◇◇


 三月三十一日、晴れ。今日もいい天気だ。


「おはよ」

「おはよう」


 玄関先まで迎えに行くと白田はクスリと笑い俺のネクタイに触れる。

「ネクタイ曲がってるよ」

「え、まじ」

「ううん、嘘。言ってみたかっただけ」

「……この野郎」


 白田はビジネススーツ姿の俺をジッと見る。

「何だよ」

「格好いいなって」

「そんな訳ねぇだろ」


 結局車は事務所が用意してくれた車を借りて送迎に使っている。白田が助手席に乗り込み、シートベルトを着けるのを確認して出発。

「行くか。最後のお仕事」


 俺の言葉に『うん』と頷いてから、白田は言い辛そうに言葉を続ける。


「わたしの仕事は今日で最後だけどさ」


 続く言葉はもう分かる。そして、それは想像通りだった。


「五月くんは続けたっていいんだよ?」


 すぐには返事を返せなかった。俺は白田を守る為にマネージャーになった。そして白田桐香と言うアイコンを通して、沢山の人を笑顔にしたり、元気や勇気や何かそういう物を少しでも届けられたんじゃないかと思う。それは俺個人なんかでは到底成し遂げられない事だ。


 お金なんかどうだって良い、なんて言うと軽薄で嘘っぽく聞こえるかもしれない。でも、正直な話……今後の人生でこの一年間よりやりがいのある仕事に出会える気がしない。


 白田が辞めるのに俺が続ける。それはもしかすると、とても不義理な裏切り行為に当たるんじゃないか?白田以外の子をマネージメントしたら、白田はイヤな気持ちになるんじゃないか?


 加賀美さんは言った、『やりたい事があるなら遠慮せずやったらいいと思うよ』と。当然ながらあの人には見抜かれていたのだろう。そう長い沈黙ではなかった筈だが、それはもう答えみたいなものだ。運転中、白田の表情は見えないが『ははっ』と乾いた笑いを浮かべてから『何でだよ』とだけ答えた。


◇◇◇


 放送日の関係で収録の仕事はもう無いから、今日の仕事は二つだけ。お昼からの情報バラエティーへの生出演と、夕方からお馴染みラジオの公開放送。つまり、濱屋さんがパーソナリティを務めるラジオへの出演が白田桐香の最後のお仕事になる。


 東京都下から都心のテレビ局まで車で約一時間。俺と白田は特に変わらずいつも通りなんでもない話をした。


 映画の撮影が終わっても濱屋さんは髪の色を戻さなった。というかむしろ髪の色はさらに黒くなり、カラーコンタクトも外している事から正統派美少女と言った雰囲気だ。


「邪魔者が今日でいなくなるので、後釜を狙ってるのです♪んふふ」

 濱屋さんは髪を撫でながらしたたかに笑う。

「邪魔者はひどくない?」

 頬を膨らませて白田が抗議するが、濱屋さんはケラケラと笑う。

「あはは、まぁぶっちゃけ商売敵だからねぇ♪そうそう、ラジオ終わったら少し時間ある?」

 白田は俺をチラリと見て、俺はコクリと頷く。

「あぁ、平気だよ。濱屋さんとのこのラジオが白田の最後の仕事だから」

「えっ……」

 はっとした顔で両手で口元を隠したかと思うと、次の瞬間にはいつも通りの振る舞いに戻る。

「それは光栄ですね♪精一杯頑張りましょ~」


 そして始まる夕方七時からの公開ラジオ『+SIX(プラスシックス)』。白田桐香、最後の仕事。今日は俺だけでなく沢入さんも一緒に来ている。俺も沢入さんも気を抜けば目から涙が出てしまう為、お互いに強張った表情となったまま放送を見守る。


 白田と濱屋さんの三度目の公開ラジオ。二人のやりとりももはや堂に入ったものだ。かと言って新鮮さや初々しさが失われているかと言うとそうでもない。白田が遠慮なく言い返す姿なんて、正にここでしか見られない。思い返せば一度目は敬語だった気がする。


 楽しいひとときはあっと言う間、気が付くと時計の針は午後八時に近付いて、番組終了の時間となる。

「それでは今週もこの辺で。濱屋らんの『+SIX(プラスシックス)』、今日のお相手は――」

「白田桐香でした。皆さん、どうもありがとうございました!」


 席を立ち、観衆の方を向いて大きくお辞儀をする白田は最後まで笑顔だった。濱屋さんが拍手や歓声に紛れて用意した大きな大きな花束を手渡すまでは――。


◇◇◇


「それじゃあひとまず桐香ちゃん、芸能活動お疲れ様でした♪」


 濱屋さんに連れられてやってきた小会議室。俺と白田と濱屋さん。汐崎さんの姿はない。沢入さんは花束と共に車へ戻っている。


「本当はまだ数時間あるけどさ、今日で最後だから言っておこうと思って♪」


 そう言ってにっこりと笑うと、濱屋さんは椅子から立ち上がり俺たちに大きく頭を下げる。

「桐香ちゃん、雨野さん。二人の事を勝手に利用してごめんなさい」


 きょとんとした顔の白田に濱屋さんは言葉を続けた。ずっと白田のファンだったこと、マネージャーの汐崎さんが好きなこと、自分を見つけてくれた彼の為に仕事を頑張ること、恋愛に厳しい彼女の会社で汐崎さんと濱屋さんが付き合うとどうなってしまうのか、そして確実な失恋対象として俺を利用することで、次の恋愛を応援してもらい易い世論を作ろうとしたこと。


「本当に自分勝手な理由なんだけど、そうでもしないと太郎ちゃんとはどうにもならないと思って。……あはは、全部自分の都合です。ごめんなさい」


 俺と白田は顔を見合わせる。正直な話、謝られる理由がどこにも見当たらない。それは白田も同意見のようだ。

「ううん、全然謝らなくっていいよ。それより少しでも役に立てたなら嬉しいな」

 建前でも何でもない。間違いなく白田の本心だ。

「な。使ってくれて全然オッケーだよな。濱屋さんのおかげで映画もめちゃくちゃ良い出来になりそうだし」

「ありがとう」


 照れくさそうに少し頬を染めながら、濱屋さんは微笑む。多分、今まで見た中で一番素顔の彼女なのかもしれない。


「何年掛かっても、うちも二人みたいになるから。……最低でも成人しとかないと太郎ちゃん淫行で捕まっちゃうかもしれないし」

「あぁ、そっか。そんな心配もあんのか」


 濱屋さんは白田に手を伸ばし、白田もその手をぎゅっと握り返す。

「頑張って」

「ん。桐香ちゃんも」


 暫く手を握り合い、離すと濱屋さんはにっこりと笑顔で俺に向かい両手を広げる。

「雨野さんはハグの方がいいですよね♪」

「ダメに決まってるでしょ!」

「んふふふ、独占欲こわ~」


◇◇◇


 俺達が都内某所にある古びた雑居ビルの一室に戻って来たのは午後十時頃の事だった。


「おう、お疲れさん」


 普段はこの時間は誰もいないのだが、今日は珍しく社長がいた。


「社長、もしかして白田の事待ってたんですか?」

「はぁ?随分おめでたい思考してんな、このガキは。年度末だから色々忙しいんだよ」



 そのくせ机にはスポーツ新聞と週刊誌しか置かれていない。俺も白田も沢入さんもクスリと笑う。


「社長。ありがとうございました。あなたのお陰でここまでやって来れました。本当に……、ありがとうございました!」


 白田は深々と頭を下げる。


「こりゃご丁寧に。こちらこそ沢山儲けさせてくれてどうもな」


 社長も椅子に座りながらペコリと頭を下げる。本当ならそんな額でなくこれからもっともっと稼ぐはずだった金の卵、それをあっさりと社長は手放す。もし彼が自身の言うような守銭奴であれば、確実に手放すはずがない。


 ――のちに聞いた話によると、かつて最大手ヴァルプロで辣腕を振るっていた彼は、結果を求めてとある有望なタレントのスケジュールを詰め込み、心を追い込み、彼女の心を壊してしまったらしい。それを悔いて会社を辞め、数年後今の会社を立ち上げたそうだ。タレント本位の会社作りを標榜して。その話はまたの機会に。


「んで、桐香ちゃんは本日を以て我が社との契約満了を以て円満退所する訳だが、そういや聞いてなかったな――」


 加熱式喫煙具の煙を揺らし、社長はジロリと俺を見る。


「お前はどうするんだ?五月」




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