契約
◇◇◇
一年前のクリスマス、白田から貰ったお高い手帳も残すところ見開き一ページ……、もう一ヶ月を切っている。
今日は久し振りのオフ。学校も仕事もない。学校の方は先日卒業式を終えたばかりだ。一年しか通わなかったけれど、やはりそれなりに感慨深い物がある。紙谷も、柊も、伊吹さんも、委員長も卒業式を終えている。
何となく不思議な感じだ。もう春からは高校生ではないんだな。
大学に進学したり、専門学校に通ったり、就職したり。進路は様々。……で、俺はと言うと残念ながらもう一年大学を目指して戦う事になった。白田は『わたしのせいで』と言いかけたが、いつかした『せいで、は止めよう』との約束を覚えていたようで、ぐっとその言葉を飲み込んだ。
俺も白田もこの一年と少しの間、沢山の人に迷惑を掛けてきたと思う。皆に少しずつ迷惑を掛けてしまう代わりに、少しでもそれ以上の物を返す。そんな事が、本当に出来ただろうか?
須藤さんと新堂さんは少しずつ、十年と言う時間を取り戻しているようだ。元々、彼女を楽しませる為に書き始めたのがあの人の原点だったらしく、十年ちょっと振りに目的を取り戻した須藤さんの筆は止まることを知らない様子。多分、次に書くのはハッピーエンドだろう。
白田のテレビCMは十三社流れており、それ以外にも幾つもの商品のイメージキャラクターを務めている。それらは三月末を以て契約満了となり他のタレントに切り替わる。それだけ沢山のものが一気に消えると、勝手ながら少し寂しい。別に白田桐香が消えるわけではないのは分かっているけど。
で、今後のスケジュール。意外なことにスケジュール帳は余り埋まっていない。週に一度、レギュラーを務めているバラエティーの収録と、他に一本ゲストのものがあるくらい。基本的に社長は白田が嫌がる仕事や無理のあるスケジュールを入れることは無く、最後までそれは徹底されていた。
◇◇◇
そして、撮影。最後の週刊少年漫画誌の巻頭グラビア。撮影者は言わずともがな、加賀美さん。今日はその打ち合わせ。
「桐香さん、最後何か撮りたいテーマある?」
「えっ、決めていいんですか!?」
「うん。よっぽど公序良俗に反するものでなければね」
加賀美さんが幾つか取り出した資料と真剣な顔でにらめっこを始める白田。
白田が選んでいると、加賀美さんはチラリと俺を見て缶コーヒーを差し出してくる。
「雨野マネージャー、これ先日のお礼ね。須藤の件はありがとう」
「須藤さんの件って。俺頼んだだけで実働ゼロっすよ」
「ゼロを一に変えるのが大変なんだよ。少なくとも俺と須藤じゃ玲奈に連絡を取れなかったんだから。ま、そう高いものでもないし遠慮なく飲んじゃって」
確かに一本百円ちょい。
「……飲んでから実はくそ高いとかないですよね?」
「あはは、ないない」
「そんじゃ頂きます」
プシッと開けてコーヒーを飲む。
「そうそう。写真、見る?」
言われてパソコンをのぞき込むと撮影の時の写真。
「因みに、これ映画のキービジュアルね。ポスターとか、もしかしたらジャケットにもなるかも」
と言って画面に映し出されたのは、残月の下ベンチに座る二人の後ろ姿。美乃梨と佐久間……、白田と俺だ。加賀美さんの顔を見ると、悪戯っぽい笑みを浮かべている。
「……本気ですか?」
「勿論。仕事は楽しんでいるけど、遊びでしているつもりはないからね。この一枚がベスト、それ以外の理由は無いよ」
「加賀美さんが言うなら……。つーか、御影さん的には問題ないんですかね」
「あぁ、自己管理も出来ない奴にとやかく言う資格が有るわけ無いだろ。自己責任だよそんなの」
「加賀美さん!これ、いいですか!?」
不意に元気な白田の声が響く。
白田の開く資料に目をやるとそこには真っ白なウェディングドレス。
「わたし、これが良いです」
瞳はきらきらと宝石を映すかのように輝いているが、加賀美さんは困り顔で首を捻る。
「ん~、好きなのでいいとは言ったけど……、本番の時に取っておいた方がいいんじゃない?ねぇ、雨野マネージャー?」
「本番は本番でまた別のドレスを着るからいいんですよ!」
こんなに楽しそうな白田を止める理由など無い。教会、ウェディングドレス。きっと、今までのどのグラビアより楽しそうな白田が見られるはずだ。
あぁ、そうか。ウェディングドレスも『白』か。白田はやっぱり白が似合う。
――そして、週明け。教会の土日は何かと忙しいので、平日の日中に撮影に向かう。
ドレスに合わせて髪型もウェディング仕様に変わる。いつもより少し華やかなメイク。ステンドグラスから差し込む陽光が白田を幻想の住人の様に映し出す。
「ねぇ、五月くん」
ブーケを手に持ち、白田はニコリと微笑む。今更俺が言うことではないけれど、白田桐香は本当に綺麗だと思う。
「何すか、白田さん」
ウェディングドレスの白田とビジネススーツの俺。『雨野マネージャーの衣装もあるよ?』と、加賀美さんに言われたが、そんなの公私混同も甚だしい。
「今月末で、事務所とか……、お仕事とか、全部契約終わっちゃうでしょ?」
「あぁ、そうだな」
白田は周りをきょろきょろと見渡し、小声で申し訳無さそうに呟く。
「……本当は、少しだけ寂しいなぁって思うんだ。だから――」
鮮やかな陽の光が差し込む聖堂。祭壇に向かう赤い道の途中で白田は俺に手を差し出す。
「わたしと契約しない?」
「契約?」
聞き返してからその意図に気付く。
「楽しいときも、辛いときも、元気なときも、悲しいときも、ずっと一番近くにいる契約。苗字を貰う代わりに、沢山の愛情をあげるから」
言い終えて、恥ずかしそうに白田は笑う。俺も思わず笑みが漏れる。
「お前それってさぁ」
言いながら俺は白田の手を取る。どんな理由があっても、何より先に手は伸ばすと決めているから。
「俺、浪人生なんだけど」
「関係ねぇ」
クスクスと笑いながら白田は言う。どこかで最近聞いたような言い回し。
「稼ぎだってまだ無いし」
「知らん」
須藤さんを真似たような口調に聖堂の端で加賀美さんの笑い声が聞こえる。
手を取り、じっと白田を見る。答えなんか、とっくの昔にもう決まっている。
俺はにこりと微笑む。
「今の契約終わったらな」
「もうっ!意地悪!今すぐ契約して!い~まっ!」
「お前それ詐欺師の手口だぞ」
白田桐香、最後のグラビア。題名は、『白』。