下りた幕の向こう側
◇◇◇
『……ばか』
画面の中で美乃梨は佐久間に顔を近づけて、立ち上がる。背後からなので顔を近づけて何をしているのかは分からない。だがどう考えてもキスしているのだろう。
実際に隣にいるはずの俺が見てもドキドキするし、胸が締め付けられる。俺が見ても俺が座っている様にはこれっぽっちも見えない。プロの仕事ってすごい。気が付くと涙腺が緩みそうになるが一人で見ている訳ではないので泣く訳にはいかない。
正直に言って、今までの白田桐香の演技の中で群を抜いていると感じる。真に迫る、とでも言えばいいのだろうか。俺以外のスタッフの反応を見てもきっとそれが身内びいきでは無いことが分かる。
白田の出演シーンは全て撮り終わっており、後は現場で他の撮影を眺めたり世間話をしたり、とにかくそんな風に最後の撮影日を過ごした。
「なぁ、白田。要らぬ心配だと思うんだけど、一応言っておくな?」
「ふふ、何?急に改まって」
遠目で濱屋さんと滝川さんのラストシーンを眺めながら問うと、白田は上機嫌に笑う。
「うちの隣の一〇四号室が引っ越して空いたんだけど、絶対に借りるなよ?くどいようだけどフリじゃないからな」
「む」
短く一言そう答えると、少し眉を寄せて急に口を噤む。さっきまでの上機嫌が嘘のようだ。
「む、じゃなくて。返事は?」
「……嫌と言ったら?」
「怒る」
「やだ」
「じゃあ止めろよな」
「む」
「む、じゃなくて」
「はい、もうその話は終わり」
一方的に話は打ち切られたので、また白田のご両親に根回ししておかなければなるまい。幸いにしてまだ未成年なので、賃貸にはきっと保護者の同意とかが必要なはずだ。
それはさておき、今日は最終日。だから出番を問わずいつもよりたくさんの人がいる気がするし、メディアも多く来ている。なので普段の撮影の時より白田との距離感は気を付けなければいけない。
「おう。お二人さん」
いつもより小ぎれいな格好をしているので一瞬誰かと思ったが、須藤さんだ。お高そうなスーツを着て髪も整えられている。
「あ、須藤さんっすか。どこのお金持ちかと思ったっす」
「いやぁ、ちゃんとした格好で来てくれって言われたんだけどよ。どんなのがちゃんとした格好か分からないわけよ。で、思い切って金額聞かないでお勧めのを買ったらこれだった。怖くて今でも金額見てねぇ」
「……怖い買い方するなぁ」
「ふふ。でも似合ってますよ」
「サンキュー、桐香ちゃん。そう言や監督から聞いたぞ?……最後のシーン雨野と撮ったんだって?」
白田は思い出して頬を少し染め、コクコクと頷く。
「わはは、流石持ってるやつは違うねぇ。映画館で見るのが楽しみだな」
「わたし、十回は見ますから!」
本当に見るだろうなと思って、でも普通の映画館で見るのは少し無理があるかもなと首を捻りつつも、初日の舞台挨拶とかを見に行くのも面白いかもなと思ってしまう。
そんな風に話をしているうちに濱屋さん達の撮影も終わり、御影さんの後撮りを除く全撮影は終了となる。
テレビカメラが何台か回る中、キャストそれぞれが挨拶とお礼の言葉を述べる。今日は御影さんもちゃんと来ていて、右手には包帯が巻かれている。表向きには自分で切ったことになっているらしい。
「素晴らしい原作と素敵なスタッフさん達、そして頼りになる共演者の皆さんの力でとんでもないものを作ってしまったなぁと反省しています♪またこの皆で仕事が出来たら嬉しいですね。まぁ――」
濱屋さんはチラリと隣に立つ白田に挑発的な視線を送る。
「これで最後の人もいますけど」
視線に遅れてマイクを手渡す。
「ん~……」
マイクを受け取った白田は困惑した表情で首を傾げる。
そのまま少し沈黙が続く。ラジオなら確実に放送事故扱いの沈黙の後で、白田は淋しそうに微笑む。
「ごめんなさい。何て言えばいいんだろう」
多くの人に望まれながら、自身の我が儘で芸能界を辞めると思っている白田は、きっと『淋しい』と言う言葉を使えないのだろう。
一年間限定だから頑張れたと白田は言う。きっとそれは真実だ。
まだ芸能活動の終わりまではひと月ある。でも、この映画が終わったら終わりなぐらいの気持ちでやってきた。
白田は左手で目を拭う。そのまま俯くかと誰もが思ったが、両目に涙をにじませながら真っ直ぐに顔を上げる。
「……とっても楽しい撮影でした。最高の物が作れたと思います!皆さん、是非映画館でお待ちしています!」
力強く言い切って、ぺこりと頭を下げる。
ぱちぱちと拍手が聞こえる中、マイクを須藤さんに渡してまた目を擦る。隣に立つ濱屋さんがトンと肩をぶつけるのが見えた。
そして、原作者の須藤さんが外行きの格好で外行きの挨拶をする。
挨拶を終え、拍手やフラッシュが降り注ぐ中、マイクは司会の女性に渡る。
「最後に、原作者の須藤先生へ旧友の加賀美恭也さんから花束が贈呈されます」
加賀美さんは花束を持ち、須藤さんの前に立つ。
「もしかして、期待した?」
「しねぇよ、バーカ」
マイクが拾っている音声。恐らくこの場のほとんどの人には意味の分からないやり取り。
盛大な拍手に包まれながら、映画『残月』の撮影は幕を下ろす。
◇◇◇
祭りの後。報道陣も去り、犬飼組スタッフもほとんど撤収作業を終えた中、須藤拓馬は一人煙草の煙を揺らす。この後は関係者の打ち上げがある。だが正直人の多いのは好きではない。年齢を重ね、十代の頃より上手くごまかせるようになっただけで、苦手な事には変わりない。子供がピーマンを飲み込むように。
「一本くれよ」
後ろから声を掛けられて、振り向かずに煙草とライターを差し出す。
「ん」
「どうも」
声の主は加賀美恭也。振り返らずとも声でわかる。かつての親友。
「俺はお前が嫌いだからさ、テレビカメラの前で恥をかかせてやっても良かったんだよ」
「はぁ?何だよ急に。喧嘩売ってんのか、この野郎」
振り向くと、加賀美の隣にはもう一人いた。少し背の高めで、明るめの髪色をした同年代の女性だ。
「……や、やぁ。久し振り、須藤……先生」
反応を伺いながら、ぎこちなく手をあげる。
「新堂……。っはは、変わらねぇなぁ」
その女性は新堂玲奈。須藤の幼馴染であり、『愛花』のモデルにもなった。
「えーっとさ、厚かましいし、どの面下げてとも思ったんだけど、今会わなかったらもう会えないと思って、……来ちゃった」
「雨野くんの提案通りエキストラでワンシーンだけ出てるんだよ。秘密だけど」
「まじかよ、どのシーンだよ」
「それは秘密かなぁ~。あはは、でも本当にちょっとだから、探せるかなぁ」
十年振り。高校の頃が嘘みたいに何事もなかった様に話せてしまうかつての親友と幼馴染。
今にして思えば、すぐ謝ってすむ話だったかもしれない。ただのすれ違い、意地の張り合いだ。
「新堂は今何やってんの?」
「あんたらと比べないでよ?別に普通の社会人。勤続四年目、バツイチ」
「バツイチ?」
須藤は加賀美を見るが、加賀美は手を横に振る。
「いやいや、俺じゃない。俺と玲奈は高校出てすぐ別れたから」
「そうそう。普通に会社の同僚と。結婚を前提にお付き合いして、結婚して、二年で別れちゃった。恭也は?」
「俺が結婚したらテレビでわかるでしょ」
「うわ、芸能人~」
喫煙スペースで、まるで放課後の高校生の様に三人の話は弾む。
「でも、叶っちゃったね。ちょっと形は違うけど」
「はぁ?何の話だ?」
当然知っていて須藤はとぼける。須藤の小説が映画になって、新堂が主演女優で、加賀美が主題歌。真面目に人に言うには少し照れくさい荒唐無稽な夢想だ。
「須藤の本が映画になって、私がエキストラで出て、恭也が写真を撮る。あ、須藤だけ変わってないね」
「わはは。俺はお前らと違ってブレないからなぁ」
「ほら、覚えてんじゃん」
「変わってないよ」
加賀美恭也は商売道具を肩から下げたまま、二人を見て懐かしそうにクスリと笑う。
「見ればわかる。二人とも、高校の時と全然変わってないよ」
「全然って、それはそれでどうかと思うけど」
トン、と加賀美は須藤の胸に拳を当てる。
「玲奈の事、まだ好きなんだろ?」
いつか聞いた様な問答。
須藤は間を置かずコクリと頷く。今度は間を置かず。意地も張らず。
「あぁ。ガキの頃から、中学高校大学社会人……三十になった今でもずっと。おかげで未だに誰とも付き合えやしねぇ」
突然の告白に新堂は目を丸くする。
「え……?一度も?」
「そうだよ、悪いか」
そう言うと須藤は勢いよく新堂に頭を下げる。
「金はバンバン稼ぐ。毎日バリバリ書く。見たこともねぇ話を毎日見せてやる。絶対に退屈はさせない。だから俺と一緒になってくれ」
「えぇ……、だってさ、最後に会ったの十年以上前だけど……」
「関係ねぇ」
「ほら、私バツイチだし」
「知らん」
「売れてから近付いてきたお金目当ての女って思われるよ」
「そんなの俺が黙らせる」
新堂は言葉に詰まる。そんな新堂を須藤はまっすぐに見る。数秒経ち、ぐいぐい攻めすぎた己を省みる。
「っと、悪い。答えは今じゃなくてもいい。ただ伝えたかっただけだ」
引きつった笑いを浮かべて、新堂と距離を取る。気が付けば加賀美の姿も既にない。
「ははは、折角久し振りに会ったんだし、皆で飯でも――」
新堂は歩き出そうとした須藤の服を掴む。
「待って」
そして、言い辛そうに、照れくさそうに、伏し目がちに言葉を続ける。
「すぐは無理だから。もうちょっと、待って。私だってさ、十年間……色々あったから。でも、答えはもう決まってるから」
下りた幕の裏側で、もう一つの恋物語も生まれる。