128番
◇◇◇
須藤さんの著作『残月』の舞台は北関東のとある街。恐らくは須藤さん達の生まれ育った街なのだろうけど、今回原作者の意向でその街での撮影は一切NGとの事だった。『いや、地元にいい思い出が無いもんで。誠勝手で申し訳ないですが』と、クランクイン初日にたくさんの差し入れを持参して須藤さんは申し訳無さそうに言った。
「どの位現場に来るもんなんですか、原作者って」
「知らん。あくまでも俺は題材提供してるだけで、悪い言い方をすれば映画とは関係ないからなぁ。仕事の邪魔しても悪いし、最初と最後だけでいいんじゃね?」
屋外ロケなので喫煙所が設置されており、須藤さんもご満悦だ。
「あんまり無い機会だから聞いてみたいんですけど、映画って須藤さんにどの位お金入るもんなんですか?」
「んー。詳しく聞く?」
「まぁ、分かる範囲で」
「あくまで『今回の場合は』だが、まず原作使用料として三百。後は円盤とかの売れ行きに従って二次使用料だとさ」
つまり、映画がどれだけヒットしようが須藤さんには最初に渡された額のみが入り、その後円盤や配信の収益からは一定%須藤さんに入る、との事だった。映画の興行収入が何億あっても三百万。
俺の表情を見て言いたい事を察した須藤さんはニヤリと口元を上げる。
「少なっ、って思ったろ?でも例えば映画が大爆死して大赤字を出したとしても原作者は痛くも痒くもない訳だろ?それなのに売れたときだけ割合で貰うってのは……なぁ。ちょっと違う気するだろ。まぁとにかくそう言うもんだ。宣伝になって本も売れればWINWINてことだろうな」
「なるほど」
まぁとにかく頷いておく。
撮影の舞台はほとんど市街。街、公園、学校、ファミレス、ショッピングモール。あとは川か。
白田達役者陣が色々やっている間、俺は須藤さんの隣で世間話兼暇潰し役となっている。
「つーか映画って最初から順番に撮るわけじゃないんすね。知らなかったっす」
「そりゃそうだろ。同じロケ地とキャストで撮れるところはまとめて撮るだろ。毎回全員来れるわけでもねぇし。でも順撮りって言って最初から順番に撮る場合もあるみたいだぞ。ネット調べ」
撮影スケジュールを見ると、確かに時系列はバラバラだ。それでも最初のシーンと最後のシーンはやはり最初と最後に撮るようだ。
「雨野マネージャー、三十分後に撮影開始みたいですよ」」
一応外用モードで白田が駆け寄ってくる。
「了解っすー」
冒頭は佐久間と美乃梨のシーンから。脚本を読んだ感じだとおおよそ原作に忠実に作られる様だった。
「桐香ちゃん、雨野マネージャー少し借りてて平気?知ってる人いなくておじさん心細くってさ」
白田が来たので煙草を消しながら須藤さんはそう言って笑う。
「おじさんったって、ここ須藤さんより年上の人一杯いますけど」
「誰が一杯いようが俺がおじさんな事には変わりねぇだろ。おじさんってのは相対評価でなく絶対評価なんだよ」
「はぁ。そう言うもんですか」
無意識にポケットから煙草を取り出そうとして白田の存在に気付いて手を止める。その仕草を見て白田はクスリと笑う。
「別に平気ですよ」
「まぁ気にしなさんな。俺が平気じゃないだけだからさ。雨野もイヤだろ、煙草臭い桐香ちゃん」
女性がよく吸うような細長い煙草を手に、アンニュイに少し疲れた表情で煙を揺らす白田を想像して少し口元がゆるむ。チラリと白田を見ると、何食わぬ顔で俺の反応を伺っているのが分かる。
一度見てみたいとか気軽に口にしようものならきっと白田はマジで吸うだろうから口には出さない。その位の凄みがある。
「そうっすね、うん。イヤっすね」
俺がコクリと頷くと、白田も何度かコクコクと頷いて答える。
「うんうん!須藤さん、ダメですよ!」
◇◇◇
そして、遂に撮影が始まる。
主役の佐久間役の御影篤人と、美乃梨役の白田の下校シーンからこの物語は始まる。舞台はまだ中学校、中学三年の十二月。
御影篤人は二十二歳にして既に演技力が認められている実力派俳優だ。セーラー服姿の白田と学ラン姿の御影篤人。自転車を押しながら歩く二人。よく言えば無造作とも言えるボサボサの髪と気だるそうな御影さんの雰囲気は何となく須藤さんを思わせた。
チラリと隣を見ると、須藤さんは煙草の煙を揺らしながらじっと二人の姿を眺めている。恐らくは、過去の自分をそこに重ねて。
「桐香ちゃんに話したことって聞いたか?」
「昔の話ですか?」
須藤さんはコクリと頷く。
「……手紙、書いてみたんだよ。同級生の連絡先なんて誰一人知らねぇし、加賀美の野郎に聞きたくもねぇし。別に何をするわけでもしたいわけでも無い。現状報告……って言うのかな。お元気ですか?僕は元気です。あれからも懲りずにずっと小説を書いていました。虚仮の一念岩をも通すの言葉通り、縁あって本が出ました。目に届けば幸いです、って」
「返事、来ました?」
「いや?俺の住所書いてねぇもん。言ったろ?別にどうしたいわけでもないって」
もう結婚しているかもしれないし、だとしたら祝福したい気持ちもあるけど素直に喜べないかもしれない。だからそれで良いと須藤さんは言った。
小学校から一緒の、幼馴染。例えば俺と白田のような。
あの日、白田がコンビニに来てくれなかったら、俺も今でも昔の事を悔いながら過ごしていただろう。
多分、余計なお節介。
けれど、何にもしていないのに白田が来てくれた俺が救われて、ずっともがいていた須藤さんがそれで終わりだなんて、何か違う気がしてしまう。
「呼びましょうよ。撮影に」
「……は?」
きょとんとした顔の須藤さんの持つ煙草からポロリと灰が灰皿に落ちる。
「例えばエキストラならすぐ出られるでしょ。んで、加賀美さんにキービジュアル撮って貰う。原作は須藤さん。ほら、ちょっと形は変わるけど、三人とも関わってるじゃないですか!須藤さんの書いた小説に!」
「お前なぁ。もう十年経ってんだぞ?急にそんな事言われても迷惑だろうが」
そう言いながらも須藤さんは動揺している様子で、何度かライターをカチカチするが火がつかない。
「迷惑だっていいんですよ。ただのわがままなんだから。あっ、て言うか俺もう今決めましたよ。呼びます。連絡先とかは加賀美さんに聞けばわかるでしょ。俺の自己満足を満たす為に勝手に呼びますから。須藤さんは聞かなかったことにしてくれてオーケーです」
我ながら勢いでとんでもないことを言った自覚はある。黙って聞いた後で須藤さんは煙草の箱を俺に向ける。
「雨野。何番?」
「128番ですね」
俺と須藤さんの働いた店での須藤さんの吸う煙草の銘柄の番号だ。この現場の中で、おそらく俺と須藤さんにしか伝わらないやり取り。
答えを聞き須藤さんはニヤリと笑う。
「成長したなぁ。一本どうだ?」
「や、遠慮します。金と時間と健康の無駄なんで」
「……無駄とか言うなよ」
結局須藤さんは良いも悪いも言わなかった。でも、この人がノーと言わないという事は、答えは一つなのだろう。