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蒼い春

◇◇◇  

 分厚い古木の扉が開き、扉に付いた鈴がカランと音を立てる。

「いらっしゃいませ」


 白田桐香は初老の店主の挨拶にニコリと微笑み、奥の席を指さして小さく囁く。

「います?」

 店主はコクリと頷き、白田を奥の席へと促す。


 五月の元バイト先の程近く。明るいカフェとは大分趣の異なる少し仄暗い喫茶店。その一番奥の観葉植物で隠れた席は言うなればこの店のVIP席だ。この席を使えるのは二人とその連れだけ。小さな喫茶店の小さなルール。


「こんにちは」

 キーボードを打つ手を止めて須藤拓馬が顔を上げる。

「おう、桐香ちゃん。雨野は?」

「別にいつもずっと一緒な訳じゃ無いんですよ」

「へぇ、そりゃ意外なお答えで。じゃああいつに言えない相談ってことか」

「なっ」


 須藤の言葉に白田は短く声を上げてしばし絶句する。その間に須藤は白田用にストレートティーを頼む。


「……なんでわかるんですか?」

 図星を突かれてバツが悪そうにジッと見上げる白田の視線を受けて須藤は得意げに笑う。

「わはは。まぁ物書きの洞察力をなめるなよとだけ言っておこうか。じゃあ早速だけど最初のデートの場所はどうしようか?」

「何の相談だと思ってるんですか!?」

 つい声を上げる白田に須藤はわざとらしくきょとんとした顔を向ける。

「あれ?雨野に内緒で俺と浮気の相談じゃないの?」

 白田は大きくため息をつく。

「冗談だってわかってるからいいですけど」

「そりゃ助かる。んで、相談とは?」


 時計を見るとおやつどきを過ぎているので小腹が空いてくる。メニューからバナナオレとサラダを注文する。


 白田は神妙な面もちで言葉を躊躇う。


 映画の相談なら一人で来る理由はない。まぁ十中八九相談とは五月との事だろうと推測がつく。


 何となく自身の高校生の頃を思い出す。高校三年の秋。奇しくも、無遠慮で強がりな放言一つで幼馴染も親友も才能も失った頃だ。


 自分が世界の中心だと錯覚し、自分の出す答えが正しいと過信していた十代の終わり近くのあの頃。もし自分が同じ様に誰かに相談していたとして、きちんと耳を傾けられたのかなぁと自問する。だからこそ、年長者として、しっかりと答えてあげたいと思う。答えなんて傲慢なものでなくとも、指針となる何かを。


「五月くんがプレゼントを受け取ってくれないんですけど、どうしたらいいですか?」


「んん?」


 質問の意味を理解するのに数秒掛かってしまう。

「えっと、それは痴話喧嘩的な感じ?」

 白田は首を横に振る。

「ケンカはしてないと……思います」

「じゃあそのあげた物が好みじゃないって事か?」

「それは無いです」


 要領を得ないやり取りに須藤は一度ため息をつく。

「じゃあ一応聞くけど物は?」


「車です」

「そんなもん貰うか!」


「だって!格好いいんですよ!?色だって五月くんの好きなオレンジだし、燃費もいいって書いてあるんですから!ほら!」

 スマホで検索画面を出し、身を乗り出しつつ須藤に力説する。


「わかったわかった。わかったから少し落ち着け。まず聞くがな、その車幾らする?どうせ新車だろ?逆に雨野がそんなのプレゼントして来たらどう思う?」


「五月くんはそんなにお金ありません」

「あぁ、そりゃそうだ。普通は無いんだよ。高校生なんだから。じゃあ雨野が『マジ?桐香サンキュー、愛してるぜ』って二つ返事で受け取ったらどう思う?」


 白田はむっと頬を膨らませて不満げにて答える。

「五月くんは『桐香』って呼びません」

 的外れな批判を流しつつ、須藤は懇々と白田を説諭する。

「そんなので喜ばせてたらどんどんエスカレートするぞ?車をあげて、ブランド品をあげて、マンションをあげて?で、君のお金は無限か?今年で辞めるんだろ?お金が無くなったらどうなるか分かるよな?」


 その言葉に存在しない未来を想像してしまったようで、今にも泣きそうな顔で言葉を絞り出す。

「五月くんはそんな人じゃありません」


 その言葉が白田の口から引き出したかった言葉。

「だろ?じゃあ尚更無理やり高い贈り物するのは止めときな。人は変わる、雨野がそんな人間になっちまったらどうするんだ」


 口をへの字に結んだまま、白田はコクリと頷く。


 雨野五月とまた会う為に、その為に己を磨き、あり得ないほどの成功を収めた少女。努力が出来る、と言うことを含めて才能もあったのだろう。運もあったのだろう。初めて雑誌に載ったあの水曜日から、何度も雨野五月の元を訪れる彼女を見てきた。

 そんな彼女に、一つだけ聞いてみたいことがあった。

「桐香ちゃんは――」

 意地悪な質問な事は分かっている。だが、興味本位な質問ではない。


「雨野がいなくなったらどうする?」


 悪ふざけの質問では無い事はすぐにわかった。白田桐香は眉を寄せて少し考えたかと思うと、寂しそうに力無く笑う。


「どうしましょうか?」


 本当に何も思い浮かばない。それは依存と言ってしまえばそれまでなのだが、五月とともにいることが十年近く彼女の行動の中心だったのだから無理もない。


「探します」

「それでも見つからなかったら?」

「見つかるまで探します」

「……彼女が居たら?」


「ま、待ちます」

「もう君の事なんて嫌いだったら?」


 自分でもそこまで言わなくてもと思う。だがもう止まらない。須藤は答えを求める。


 白田は涙目ながらも真っ直ぐに須藤を見て答える。


「もう一度、何度でも好きになってもらえるように頑張ります」


 須藤はズッと一度鼻をすする。


「あのさ、桐香ちゃん。悪いんだけど運賃持つから、ちょっとタイムマシンで過去に行って来てくんないかな」


 頓狂な言葉に何か返す間もなく、須藤は大きな右手で目を覆い、涙声で言葉を振り絞る。


「そんで十年ちょっと前に戻って、バカな小僧にさ、同じ事言ってあげてくれよ。……一人で勝手に諦めてるんじゃねぇよバカ、って」


 欲しかったのは十年前の答え。あの時こうしていれば。でも今更考えてももう遅い。


 少しの間、須藤は目を覆って肩を震わせていた――。


「悪かったな、意地悪な事聞いて」

「いえ、全然大丈夫です。五月くんはいなくならないので」


「あー、言っとくけど雨野には何も秘密にしなくていいからな?ただでさえ男と二人で会ってんだから、秘密まで作られたらいい気しないだろ」


 それを聞いて白田はクスリと笑う。


「じゃあ須藤さんを泣かせちゃったって言いますね」

「……いや、いいとは言ったけどさぁ。もう少しオブラートと言うか文脈ってもんがあんだろうよ」


 そして、須藤は独り言の様に呟く。著作『残月』のモデルになった三人の物語。それは決して真実などではなく、あくまでも須藤の目から見ただけの一面的な物語。

 物語は本の後も続き、以前聞いた話へと繋がる。大学を出て、就職して、ある日加賀美恭也がカメラマンとして大成したことを知る。そして再び筆を執る。


 書いても、書いても、誰にも届くことのない物語。


 そして何年か経ち、加賀美の撮った少女が彼の働く店を訪れた。少女はバイト仲間の高校生に恋をしているようだった。


 運命のような偶然。


 何度か彼らを見送った後、筆を執りながらふと思う。いつか彼らに届くように、と。君たちはこうならないようにとの願いを込めて、自戒を込めて自らの蒼い春を書き綴る。


 ひとしきり話し終えてから、須藤は少し照れくさそうに『君ら二人の秘密にしといてくれよ』と笑った。

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