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閑話 空に残る月

◇◇◇

 ――子供の頃から不思議と何だって出来た。


 足はいつだって学校で一番早かったし、勉強も大体一番。小学校の時はミニバスをやっていたけど、中学では水泳にした。別になんだってよかった。どうせそんなに熱くなれないから。幸い顔が良く、女の子達にはモテたから、特にやりたいことは無かったけど毎日楽しくやっていた。


 ミニバスも水泳も途中で辞めた。別に本気でやっているわけでもない俺なんかに真面目にやっているやつらが勝てないのを見るのが嫌だったから。打ち方も、蹴り方も、見ればわかるのに何故か皆には分からないのだから。


 運動だけじゃない、楽器も、絵も、見れば大体見たままできる。できてしまう。何となく生きるにはとても丁度良い才能だと思う。


 高校一年の終わり頃、隣のクラスの男子が全校朝礼で表彰された。何か小説で賞を取ったらしく、何故か校長が我が事のように誇らしげに話していたのが印象的だった。まぁ、最初の感想は『へぇ』だ。本を読む事は嫌いとまでは行かないが特別好きでもない。故にそれほどの関心もない。


 何にも熱くなれやしないくせに、妙なプライドだけはあるようで、自分にも出来るだろうと思い、帰りに彼の書いた作品が載っていると言う雑誌を買って帰る。


 で、衝撃を受けた。


 一目で自分には無理だと思った。見れば大体何でも出来ると思っていた自分は、要するに井の中の蛙だったというわけだ。

 

 学校の中と言う狭い井戸の中では一番高く跳べたのかもしれないが、彼は明らかにそれより遥か上空にいた。蛙が見上げた空に浮かぶ月のように。


 どんな人が書いているのだろう?作者に興味を持つのは自然な事だったと思う。ましてや同じ歳、同じ学校。隣のクラス。


 須藤拓馬。文芸部に入っていると聞いて初めてこの学校にそんな部活がある事を知った。部員は須藤拓馬ともう一人、新堂玲奈。三年生が引退すると部員は二人しか残らないそうだ。本来五人いないと部として活動は出来ないが、今回の受賞に気をよくした校長が特別に許可をしてくれるらしい。ただ、男女二人きりと言うのはどうにも体裁が悪いので、最低三人は必要との事だった。


「俺、入ろうか?お邪魔でなければだけど」


 須藤拓馬と新堂玲奈は小学校から一緒の所謂幼馴染らしく、放課後二人の時間の邪魔をしてしまうのでは?との邪推もしたが、俺の申し出に意外にも二人は目を輝かせて食いついた。

「マジで!?新堂、入部届!早く、加賀美の気が変わる前に!」

「オッケ~。んじゃ恭也くんここに記入お願いね~」


 部長、須藤拓馬。副部長、新堂玲奈。部員、加賀美恭也。結局二年、三年時にも新入部員は入らなかったので、彼らの卒業まで文芸部はこの三人での活動となり、彼らの卒業を以て廃部となる。


 ――だが、実際には卒業を待たず活動は停止することになる。


◇◇◇


 三人は不思議と馬が合った。元々コミュニケーション能力の高い加賀美と新堂は別として、天の邪鬼でひねくれ者で排他的な須藤と加賀美も意外なほどに上手くいった。


 一度だけ、加賀美も見真似で文章を書いてみた。だが、絵画よりも音楽よりも直接的に自分を表現する文章に気恥ずかしさを覚えてしまい、どうしても気取った体裁の整った文体になってしまった。それ以降書くことはなかった。


 対して須藤は子供の頃から自作の物語を新堂に見せ続けているので、今更どうという事もない。そして賞を取ったことで自信は確信に変わった。


 何でも出来る加賀美恭也と、文を書くことしかできない須藤拓馬。互いに自分の持ってない物への羨望があったのだろう。


 須藤のように、何か一つ自分にしか出来ない物を見つけたいとも思い、今までよりも色々な事に手を出した。部活の助っ人もその一環だ。


 それなり以上にこなせるが、そこから先へと踏み出す熱量は持っていない。損得計算が無意識に働いてしまう。時間と労力をかけて、物にならなかったら、と。好きであればそんな事は思いもしない事。


 正直須藤が羨ましいと思う。文章を書くことが好きで、才能がある。好きと才能がマッチしてしるというのはどれだけ素晴らしいことだろうか。どれどけ恵まれていることだろうか。


 きっと、自分は目が良いのだろうと加賀美は思う。視力の話でなく、洞察力なのか分析力なのか、とにかくそういう話。だから、きっとこの学校で多分自分が一番須藤のすごさがわかっているだろうと思う。或いは、須藤の文章だけが読めると言う新堂も無意識に分かっているのかもしれない。


 高校二年の内に、須藤の短編がもう一度文芸誌に載る。彼ならきっと、高校在学中に書籍デビューも果たすのだろうと二人は思っていた。


 三人は馬が合い、毎日では無いものの文芸部の部室に集まり、時折出掛けたりもした。


 そんな日々の中で加賀美は新堂に惹かれてしまうが、その気持ちを表に出すつもりはなく、寧ろ何ら進展のない二人を応援したいと思っていた。須藤も新堂も親友だったし、二人は自分と会うよりずっと昔から一緒にいたのだから。そこに自分の入る隙なんてありはしないと分かっていた。


「須藤。玲奈がいない今だから言うけど、玲奈に告白しないの?」

 

 珍しく部室には須藤と加賀美の二人。メールで言う話でもないので、好機とばかりに加賀美は問う。勿論これっぽっちの悪意もない。卒業も近づき、須藤は東京の大学を受ける。学力的に新堂とは同じ学校にはならない。だから告白をするなら今のうちに、と彼は思う。その親切心は余計なお節介だっただろうか?


「何で俺があいつに告白しなきゃいけないんだよ」

 珍しく明確に不機嫌さを露わにして須藤が答える。


 新堂玲奈は加賀美恭也の事が好きだと須藤は思っている。大事な幼馴染。付き合いが長すぎて、抱いている特別な感情が恋心なのかどうかもう自分でも分からない。その大切な人の想い人の口から出た無神経な言葉に彼は苛立ちを隠せなかった。


 単純なボタンの掛け違い。よくある話かもしれない。


「……何でって、だって須藤お前――」

 須藤の雰囲気に少し気圧されながらも、言葉を続ける。

「玲奈の事好きなんだろ?」

「そんな訳ねぇだろ。別に好きでも何でも無い。あいつはただの幼馴染の腐れ縁だ。大体前から言ってる様に俺の好みは黒髪ロングの清楚系だ。俺にもあいつにも当然に選ぶ権利ってもんがある」

 

 キィ、と扉が開く音がして、悲しそうな顔をした新堂は次の瞬間いつも通りの笑顔を作る。入り口に背を向けていた須藤からは見えなかったが、加賀美にはそれが見えた。

「ごめ。聞こえた~。そうだねぇ、あたしもタイプは恭也みたいな王子様系かな~」


 本当は、卒業式までに告白をするつもりだった。そこで意地を張らずに心の内を吐き出せればよかったのだろう。だが、今はそれが出来ない。泣かないように笑顔を作るだけで精一杯だった。


「今日は帰るよ」


 足早に踵を返して新堂は部屋を出る。

「須藤!」

 加賀美は須藤に後を追うように促すが、須藤はため息をついて椅子に座り原稿用紙を広げる。

「知るか。行くならお前が行けば?」


 バタンと怒りに任せて力強くドアが閉まる。


 この日が三人集まる最後の日になった。


 別になんて事のないよくあるただのすれ違い。三人とも悪いかもしれないし、三人とも悪くないかもしれない。須藤だけが、加賀美だけが、新堂だけが悪いかもしれない。でももう今更それを決める理由も利益もない。


 その日から須藤と二人は全く会話をしなくなった。二人が付き合い始めたとクラスメイトの会話で聞いたのはそれからすぐの事。


 何故か文章が書けなくなった。


 当たり前すぎて自覚していなかった。自分が物語を書くようになったきっかけは、新堂を楽しませる為だったのだ。その相手が居なくなった途端に、書きたいものも、書けるものも無くなってしまった。


 年内に予定されていた文芸賞にも間に合わず、それ以降も何も書けずに何も送れず、いつしか担当編集からも見限られたのか連絡は途絶えた。


 誰もいなくなり、何もなくなり、明け方までペンを持ったまま机の前にただ座る。


 夜が明けて、日が昇っても、空にはまだ未練がましく月が残っていた。


 何て事はない、ただの思春期のすれ違いの話だ――。


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