月に還る
◇◇◇
――月に還る。
白田桐香ファイナル写真集のタイトルだ。ファイナル写真集と言っても二冊目。白田の写真集はファースト写真集とファイナル写真集の二冊だけだ。発売日は来年の四月を予定しているらしい。
タイトルはかぐや姫を連想するが、当然初主演映画『残月』とも掛けているのだろう。
この所白田は仕事以外は殆ど演技指導とレッスンを受けている。須藤さんの作品を少しでも良いものにする為、濱屋らんに負けない為。
八月。残り半年。でも俺と白田の人生は当然その後も続く。目下、大学受験の為に絶賛勉強中だ。
「白田が行く大学はどんなところがいいんですかねぇ」
都内某所の古びた雑居ビルの一室。参考書を広げながら沢入さんに問う。
「う~ん。模範解答的にはやりたいところ、学びたいことで選ぶべきだとは思うけど、桐香ちゃんの場合あんまり変な所に行くとセキュリティ的な心配はあるよね。芸能人辞めて一般人になるとは言え、辞めてすぐだしこれだけの有名人なんだから」
「そう、そこなんですよ」
そう考えると、割に多くの芸能人がAO入試している某有名私大がいいのだろうか?特段問題が起こっている風にも見えない。ただ問題は、俺の学力と経済力では到底入学できない事だろう。
と、考えて初めて思った。
白田は将来何になりたいんだろう?
俺は、何になりたいんだろう。
白田と再会するまでは正直な話何も考えていなかった。適当に高校を卒業して、適当な大学に通って、多分どこか入れる会社に入社して、結婚……とかは考えていなかったが、大体そんな風に普通に生きていくんだと思った。俺には才能も特別な何かもやりたいこともなかったから。
そして、この一年間。普通に生きていれば出会わなかった『才能』や『特別』に触れた。
光り輝く彼らが太陽だとして、間違い無く俺はそっち側じゃない。何となく、須藤さんの言葉を思い出す。『日の光で照らせないもの』。
今はまだ言葉には出せない、薄ぼんやりとした目標とも言えない願望。
◇◇◇
勉強が一段落したところでこっそり白田のレッスンを覗きに行くと予想外に先客がいた。
「あ、加賀美さん。お疲れさまです」
「おっ、雨野マネージャー。お疲れ様」
明らかに高そうなカメラを傍らに置きながら、腕を組んで白田達のレッスンを眺めている。
「もし聞いてよければ、何やってるんですか?」
「ん?桐香さんを見てるんだよ。おっと、変な意味じゃないから安心してね、ははは」
爽やかな笑顔に男の俺でも少しときめく。
「あ、写真も勿論撮ってないから。そっちも安心して。なんならデータ確認してもいいよ」
そう言ってカメラを俺に差しだそうとするので慌てて手を横に振る。
「いや、そこまではいいですって。信用してますから」
「それはどうも」
加賀美さんは嬉しそうに笑う。
それから俺達は少しの間無言でレッスンの様子を眺める。
「そう言えば、聞いてみたかったんですけど」
「どうぞ」
「白田のデビューグラビアを加賀美さんが撮ったのって、たまたまですか?」
加賀美さんはクスリと笑い首を横に振る。
「まさか。一目見ればわかるだろ、この子は違うって。だからお願いして撮らせてもらったんだ」
何となくそうなのかなとは思っていたが、流石の審美眼と言うほか無い。
「……でも、まさかその子が須藤と知り合いで、あいつの作品の主演をやることになるとは思わなかったけどね。偶然通り越して運命だとすら思うよ」
聞くべきか聞かざるべきか。もしかしなくても後者が正解なのだろう。それでも俺は、卑怯にも十代特有の無遠慮さを装い口を開く。
「須藤さんとは高校の同級生なんですよね?……もしかして『残月』って――」
俺の言葉を遮る様に加賀美さんは首を横に振り、少し困った顔でニコリと微笑む。
「作者を差し置いて俺が何かを言うのはフェアじゃないだろ?」
聞くなら須藤に聞くべきだよ、と彼は続けた。恥ずかしながら全く以てその通りだ。
「すいません」
自分の卑怯さを見透かされた様な気がして、それ以上言葉を継げずにいると、それを見て何故か逆に申し訳無さそうな顔で彼は鼻の辺りをかく。
「俺に出来るとしたら自分の昔話くらいのものだね」
言い訳の様にそう言ってから加賀美さんは口を開く。ギターやサッカー、野球に美術と万能多岐に渡る自身の高校生時代の話。頭も要領も顔もよく、少しの努力ですぐに人並み以上になれてしまったという万能感と無常感。何人にも告白されて、何人かと付き合った。傍から聞けば自慢話。だが、本当に好きだった女子の心には既に別の人がいた。
須藤さんも加賀美さんも元々東京ではなく、学生時代は北関東のとある中核市の出身だそうだ。
言葉を止めてチラリと俺を見る。
「その辺りで止めておこうか。俺には俺の、彼には彼の言い分もあるだろうし。気が向いたら答え合わせでもしてみたら?」
ありがとうございますと礼を言うと、その話はそこで終わり、また暫く白田の様子を眺めてから加賀美さんはスタジオを後にした。
現実とフィクションを混同するなと須藤さんに怒られそうだけど、残月を読む限りきっと彼らは親友だったんだと思う。そして、『美乃梨』と『愛花』を巡り仲違いした……と言うほど単純な話では無いだろうが、とにかく絶縁して今に至る。
ここからは俺の想像なんだけれど、多分須藤さん達の高校時代には『美乃梨』はいなかったんじゃないかと思う。
白田が特に感情移入をして読んでいたように、白田をモデル……と言うかモチーフに作られたのではないか、と勝手に思っている。だから美乃梨のシーンは変更が容易だったのではないだろうか?本人に確かめるほど野暮ではないが。
「あっ!雨野マネージャー、お疲れさまです」
暫くしてレッスンを終えた白田が出てくる。空調の整った屋内にも関わらず、汗だくでレッスンを行っていた。
「桐香さん、お疲れさまです。飲み物どうぞ」
白田は周りをキョロキョロと見渡して、誰もいないことを確認するとにこりと笑う。
「ありがと。五月くん」
にこにこと嬉しそうに俺が手渡したスポーツドリンクを開けて、ゴクゴクと飲む。
「……っおいしぃ~」
まるでCMにでも使えそうなワンカット。
正直な話、この所の白田はとてもいきいきと仕事をしているように見える。残月の主演が決まってからは尚更だ。
俺の視線に気が付いた白田は少し恥ずかしそうな顔をする。
「どうかした?……あっ、もしかして運動した後だから汗とか、臭いとか……」
急に一人慌てだしたので、やっぱり白田は白田だとクスリとしてしまう。
「最近仕事楽しそうだよな」
間を置かずに白田はコクリと頷く。
「うん。楽しいよ?」
言うかどうか少し考えて、口を開く。その位の信頼関係はあるつもりだから。
「仕事、……続けてもいいんだぞ?」
去年、学校での出来事の後、二人で決めた約束。でも、もし仮に白田が望むのならば、来年以降も仕事を続けたっていいと思う。辞める辞める詐欺と言われようとなんと言われようと、そんなの全力で守ってみせる。
答えはわかっている。でも、一応聞いた。
白田はふるふると首を横に振る。
「ありがとう。でも、辞めるね。終わりが分かっているから……、それに五月くんが近くにいてくれるから頑張れてるだけだもん」
「だよな。悪い、一応聞いただけ。ところでさ、白田って……、将来の夢とかやりたいことってあったりする?」
白田はピッと白く長い指を二本立てる。
「うん。二つあるよ」
「へぇ、一つは?」
「五月くんと家族になること」
「なっ……」
自信に満ちた得意げな笑みを浮かべる白田を見て、答えの予測は付いたはずだったのだが、不意をつかれて少し動揺しつつも周囲を見渡し、人のいないことを確認して安堵する。
「ふっ……二つ目は?」
「あっ、ひどい。スルーした。何も言ってくれないの?」
「言うと思ってんのか。TPOを弁えろ!」
結局へそを曲げた白田は二つ目の夢を教えてくれなかったけれど、白田も辞めた先のことを考えていることが少し嬉しかった。
白雪姫は、月に還るのだ。