多分、はじめて
◇◇◇
キャスト発表に現れた濱屋らんの髪はトレードマークの銀髪青メッシュではなく、役柄の愛花に合わせた明るめの茶髪だった。カラーコンタクトも外して、綺麗な茶色の瞳。
「原作小説はまだ四回しか読んでいませんが、『濱屋らん』でなく、この素敵な作品をしっかりと表現できるように頑張ります」
いつもより幾分落ち着いた笑みに確かな自信を添えて、濱屋らんはそう言った。
俺と白田がそれを見たのは丁度事務所のテレビだった。
『はまにゃん、ゴリ押しで初主演映画ゲット!』とか『枕全開』とか、そんな面白半分な書き込みがネット界隈を賑わせた。好き嫌いの別れるキャラクターだから、叩く隙を与えるとわっと湧いて出てくるみたいだ。
だが、そんな声はひと月もしないうちに消えた。
映画の主演発表から程なく発表された単発の主演ドラマ。恋愛ドラマで無く、小説原作の医療ものだ。その演技を見てまだコネとか枕とか言ってるやつがいたら多分電柱を見てもそう思うんだろう。素人目に見てもとてもそんなレベルの話ではないと分かる。このドラマでは髪の色はまた変わっていて黒。しかも役回りは童顔の医者。俺達の一つ下だから高校二年だろ?知らなければそうは見えない。
そのドラマは家で両親と見ていた。月曜夜十時。試しに母に『この女医さん俺達の一つ下なんだぜ』と言ってみたら、『大丈夫かしら、この子』というような視線を送られた。
主張しすぎず、埋もれず、溶け合い、引き出す。華がある。難しい事はよくわからない。ただ一言、すげぇって思ってしまった。
白田桐香もドラマには何本か出ているが、勿論そのどれもが実年齢とほぼ同じ高校生役だ。恋愛ものに関してはそれなりの評価を得ているが、写真関連の評価が一段上回るのは間違いない。今はマルチに活動している白田だが、本業となるとやはりグラビア写真なんだと思う。
でも、何となく悔しい。何故か俺が。で、悔しいと思っている事に気が付いて負けていると思っている事に気が付いてまた悔しい。
九十分ドラマが終え、母がいそいそとトイレに向かうとほぼ同時にスマホが揺れる。白田からの着信だ。
「おう、こんばんは。白田も見――」
「ねぇ五月くん」
俺の言葉を遮って響く白田の声は、今までに聞いたことのないくらいはっきりと力強さを感じさせた。
「わたし、絶対に映画に出たい。美乃梨役で」
ビデオ通話では無いので表情はわからない。だけど、声だけで充分伝わった。たぶん、白田も同じ事を思ったに違いない。
真面目で責任感の強い白田は、今までだって本気で真剣に仕事をこなしてきた。そう、『こなしてきた』んだ。
元々のグラビアは俺との接点を持つ為で、以降の仕事は『白田桐香』として求められる役割を全力でこなしてきたんだ。そんな白田が多分初めて純粋に自分の為に仕事がしたいと言った。
不覚にもぶるりと身体が震えてしまう。
「五月もトイレ行くー?」
電話中と知らぬ母に見られてあらぬ誤解を生む。そして、それを聞いた白田がクスリと笑う。悲劇は、連鎖する。
「ふふ、行ってきていいよ」
「いや、別に今行きたくはない。ちょっと待って、部屋に移動する」
「あら。お邪魔しちゃったかしら」
とにかく、俺が使える力なんてほとんどないかもしれないけど、出来ることは何でもする。白田が望み通り須藤さんの映画に出られるように、全力で濱屋さんと戦えるように。
部屋に戻り、しばらく白田と話した後でまた電話を掛ける。
「……あっ、夜分にすいません。雨野です――」
◇◇◇
白田の為に何が出来るか考えた結果、浮かんだのは『特訓』だ。俺と白田は原作者の須藤さんと知り合いなのだ、このコネを使わない手はない。キャスティングについては正直な話社長に任せるとして、役をやる前提でこっちは話を進める。
実際に映画がどの位原作準拠になるのかはわからないけれど、作者である須藤さんの頭の中のイメージとすり合わせを行うことは、決して無意味ではないはず。
そうやって濱屋さんに対してアドバンテージを取る、残念ながらそんなやり方を好む俺と白田では無い。
「おはようございます♪今日はお誘いありがとうございます、雨野さん!」
「いえ、お忙しいところありがとうございます」
「も~♪敬語止めて下さいってば。んふふふ~」
都内某所の貸しスタジオ、俺と白田と須藤さんと、濱屋さんと汐崎マネージャー。須藤さんはあきれ顔というか、ひきつった笑顔で俺と距離を詰める濱屋さんを見る。
「いや、別にいいんだけどよ。……雨野、お前すげぇなぁ。桐香ちゃんと一緒に濱屋さん誘うんだ?もうお前虎雄やれよ」
虎雄、作中で二人のヒロインと関係を持つ万能イケメンモテ男。
「ですよね、須藤さん!あっ、エッチなシーン削ってくれてありがとうございます」
「いやいや、寧ろ良くなったから礼はこっちが言いたいくらいよ」
「須藤先生、お食事や飲み物などご用命あれば何でも仰って下さいね。申し遅れました、私濱屋らんのマネージャーの汐崎太郎と申します」
そう言ってぺこりと頭を下げて名刺を差し出す汐崎さん。
「こりゃご丁寧にどうも。渡せる名刺が無くて申し訳無いですが」
言われてみれば確かに。『作家 須藤拓馬』とか書かれた名刺を自分で差し出していたら何だか妙な感覚になる。
「お二人と須藤先生は知り合いだったんですね♪ようやく謎が解けましたよ~、何で桐香ちゃんが宣伝したのかなってずっと思ってたんで。どんなお知り合いなんです?」
「先生は止めてくれ……。まぁ俺と雨野マネージャーが同じコンビニでバイトしてたって言う繋がりだよ」
「……須藤先生、雨野マネージャーは止めてくれませんかねぇ」
「んじゃお前も止めろよ」
濱屋らんは腕を組んで納得したようにうんうんと何度か頷く。
「なるほどですね~。そのお店に雨野さんをストーキングして桐香ちゃんが来た、って言う訳ですね♪」
「ストーキングなんかしてない!……してないよね?」
言い切った後で白田は不安そうに俺を見た。