五月の雪
◇◇◇
俺と白田の家は歩いて三分もあれば着く。要するにご近所だ。うちは築古の賃貸マンションの一階で、白田の家は門もあり豪邸と言っても差し支えの無いものだがご近所という事実は揺るがない。
で、今は学校が同じ。と言う事は朝家を出てから学校に着く迄まぁ当然同じ道のりを辿るわけだ。もし俺達がただのご近所さんであればさすがに気まずいからどちらかが時間をずらすだろう。だけど俺達はそうじゃない。来年以降の事はまだ何もわからないけれど、少なくとも今年一年は運命共同体だ。学校に一緒に通う事くらいなんら不思議ではない。
前置きが長くなったが、登校です。
「今日の予定は?」
わざわざ俺に聞かなくても白田は全てのスケジュールを把握している。でも情報の共有と確認って大事だと思うから俺も手帳を開いて白田に告げる。
「今日は夕方からアクアリウム雑誌のインタビューですね」
別に白田は何も観賞魚を飼っていないが、トーク番組でウーパールーパー人形やスタンプに関する話をしたところ先方からオファーが入り、白田さんが快諾した形だ。
「つーかさ、一応確認だけど魚飼ったこと無いよな?」
「うん」
「ウーパールーパー以外に話広げられんの?」
すると白田は挑発的な笑みを見せる。
「ふふ、試してみたら?」
最寄り駅から朝一時間に一本出ている全席指定の特急電車。乗り換えて、沢入さんの車に乗ると急に模擬インタビューの始まりのゴング。一ラウンド十分一本勝負。
ゴホンと咳払いをしてインタビューはスタートだ。
「それでは今日は意外なゲストをお迎えしました。眠らない白雪姫こと白田桐香さんです。どうぞよろしくお願いします」
白田はお行儀良く膝の上に手を置き、ペコリと頭を下げる。
「よろしくお願いします」
「えーっと、……白田さんは、そのですね。色々人気な訳ですけど、好きな魚って何かいらっしゃるの?」
初手からグダる己のトーク力を嘆く。白田は気負った様子もなく、きれいな姿勢のまま間を置かずに答える。
「今はまだ何も飼っていませんけど、気になっているのはポリプテルスです」
「え?何て?ポリ……?」
聞き返すインタビュアーを余所に白田は言葉を続ける。
「見た目だけだとエンドリケリーって言うのが格好いいと思うんですけど、やっぱり初めて飼うには大きすぎますか?いつか実家を出たら飼ってみたいなぁって思っています」
「え、あ……あぁ。うん、そうだな」
言葉に詰まる俺をバックミラーで見つつ沢入さんはクスクスと笑う。
「勉強家の桐香ちゃんが無策で来るわけ無いじゃない」
「そ、そうっすね」
一ラウンド二分二十一秒でKO負けと言ったところだ。
「嘘はついてないからね。五月くん、ポリプテルスって言うのはこれだよ。ふふ、可愛くない?いつか飼ってみたいなぁ」
白田が見せたスマホには何やら鱗のような背鰭のついた龍のような古代魚が映っている。顔は確かに白田好みな気がする。
「あ、確かに格好いいなこれ」
「じゃあ決まりね」
「何が決まった?」
俺の問いには答えず、白田は満足げにスマホをしまう。敗者は弁を持たない。
五月も下旬に入り、外は雨。
誕生日を過ぎて、車の免許は後少しと言ったところ。取ってもすぐに白田を乗せて運転できるわけではない。練習あるのみだ。
「雨野ー、ちょっと聞いてもいいかー?」
クラスにつくと若手ダンスグループ所属の八城くんが寄ってくる。
「答えられることならいいっすけど」
「つか同クラなんだから『っす』とか止めろよな。『残月』のキャストの話ってお前の事務所話行ってる?」
「いや、全然っす。やっぱりもう実写化決まってる感じなんすか?」
白田は横で嬉しそうにパチパチと手を叩いているが、八城くんはやや呆れ顔だ。多分俺が『っす』を止めないからだろう。そんな事言われても、自分で選んだ事とは言え芸能人たちの中に転校してきていきなりタメ口きく様な太い肝は持ち合わせていない。
「やっぱまだか。出版の人に聞いたんだけど本の発売と同時に映画化発表だってさ。これ内緒な」
八城くんは口元に人差し指を持って行き、いたずらそうに笑う。
「マジか……」
身体の上から下までをぶるるっと何かが通り抜ける。身震いって本当にするんだと知った。
「須藤さんすげぇな」
高ぶる気持ちを抑えきれず白田に同意を求めると、白田も嬉しそうに『うん!』と頷く。
「どうせまたヴァルプロでメインキャスト埋まるんだろうなぁ~。事務所よえーんだよな、本当」
彼はグループに所属はしているが、ソロで俳優業にも手を出しているマルチプレイヤーだ。
「ねぇ、八城くん。配役って作者さんの希望はどの位反映されるものなの?」
「ん?参考程度じゃん?別に芸術作品作ってる訳じゃないし、作者の思うままに実写化するわけでもねーし。金出すのは作る側だもんな。そりゃ売れるように作りたいわ」
「ふーん、そっか。じゃあ社長にも頑張って貰わないとね」
どことなくいつもより気合いが乗っている様な印象。
「世論的にも美乃梨役は桐香ちゃんでほぼ確だろ。話し方とかも当て書きかってくらいまんまだし。せめてメイン四人のうち一枠はオーディションやってくんねぇかなぁ。そうすれば俺も桐香ちゃんとラブシーンを演じられるのになぁ」
むっとして何か言おうとしたかと思うと、急に困った顔で白田は俺を見る。
「だって。いいの?五月くん」
「……その雑な振りで俺がとやかく言うと思ってんですか?」
「だめかぁ」
狙いが外れて残念そうに笑っているが、『俺の白田に手を出すな!』とかそう言うのを期待していたのだろうか?言うわけ無いじゃんそんなの。
そんな話しているうちに教室の前扉が開き先生が入ってくる。本来あるはずの無かった、俺と白田の学園生活。
そして、それから少し経ち須藤さんの処女作『残月』が書店に並ぶ。
表紙には横断歩道を足早に行き交う人々の写真、雲一つ無い青空に浮かぶのは太陽でなく満月。撮影者は勿論加賀美恭也。
これでもかとやけくそのように書店に積まれたそれらは、雪が溶けるかのようにすぐに消えた。