鏡に映らぬ光と影
◇◇◇
白田のマネージャーになって半年余り、ついにこの日が来た。
クリスマスプレゼントに白田から貰った見るからに高級そうな黒革のスケジュール帳。赤い字で書かれたのは『撮影』の文字。久し振りの週刊漫画誌のグラビア撮影。撮るのは勿論加賀美恭也だ。
白田と仕事をするのは秋の読書週間の書店販促以来で、秋口から暫くの間海外に撮影に行っていたらしく、白田との……と言うより国内での仕事自体が久し振りだ。何故詳しいかと言うと、正直な話SNSをチェックしているからである。勝手にライバル視しているのだからそのくらいは当然だ。
小洒落た北欧辺りを適当にブラブラするんでしょ?とか思っていたら、ヨーロッパだけでなくそこからアフリカに渡り、西アジア、アジア、南米、と文字通り世界中をぐるりと回って帰ってきたのだった。
「桐香さん、久し振り。これお土産ね」
「お久し振りです、今日もよろしくお願いします。これ、何ですか?」
白田が手渡されたのは瓶に入った塩の様な何か結晶。
「うん、ウユニ塩湖の塩で作ったハーブソルト。普通に料理に使ってみなよ、おいしいから」
「へぇ~。ちょっと使うのが勿体ないかもですね」
何となく勝手に二人のやり取りにいい雰囲気を感じてしまい、自分にも嫉妬という感情があることを知る。加賀美恭也はチラリと俺を見ると、ペコリと頭を下げて名刺を差し出してくる。
「雨野マネージャー、加賀美恭也です。よろしくお願いします」
「は……はい!雨野五月です、こちらこそよろしくお願いします」
加賀美さんは俺を見てジッと目を細めたかと思うと、顎に手を当てて眉を寄せる。
「失礼ですけど、一枚撮らせてもらってもいいですか?」
「え、僕ですか?」
仕事上の一人称は『私』か『僕』。まだ俺が答える前に白田は嬉しそうに手を上げる。
「いいですよ。加賀美さん、撮ったらわたしにも下さいね。パネルで!」
「オッケー。B全にするよ」
「ちょっ……、まだ何も言って――」
俺の言葉の途中で加賀美さんはパシャリと一枚写真を撮る。そして画面越しにそれを見ると満足そうに微笑む。
「うん。桐香さん、いい人見つけたね」
「ふふふ、でしょう」
白田は得意げな笑みを浮かべて加賀美さんのカメラを覗き込む。
「えーっと、話が全然見えないんですが、何やってるんです?」
「ん?初対面だから、雨野マネージャーがどんな人か見てみようと思ってね」
聞いてみると、加賀美さんはファインダー越しに見るとその人の人となりがわかるそうだ。嘘のような話だが、彼が撮った写真を見ると信じてしまいそうな何かが確かにある。
「さて、仕事しようか」
「はい!」
挨拶も終わり巻頭グラビアの撮影が始まる。週刊少年誌のグラビアは言わずともがな白田桐香の伝説の始まりとも言える『白雪姫』シリーズだ。
今日の舞台は何と街中。日曜日、早朝、オフィス街。俺は撮影の邪魔にならない様に、少し離れた場所で撮影の様子を見守る。見守るという言葉は適切では無い。良いものができるのは間違いないのだから。
正直な話、ワクワクしている。今目の前で俺が見ているこの光景が、加賀美恭也と言うフィルターを通してどう映るのか。
人気の無いビルの森を楽しそうに歩く白田。ビルと空を見上げる白田。横断歩道を渡る白田。撮影コンセプトも全て彼が決めているのだろう。白雪姫が一人の少女に戻った様な高揚感と不安を感じさせる。
人が少ない時間帯とはいえ、SNSですぐに情報が広まる時代。撮影時間は限られている。白田と加賀美さんと、その他大勢のスタッフたちは息もピッタリに次々と撮影を進めていく。
開始から一時間と少し経ったところで街中での撮影は終了となり、残りはスタジオに戻ってからだ。
「ところで桐香さん、戻ってきたら一つ聞こうと思ってたんだけど」
「何ですか?」
加賀美さんはスマホを操作して、白田桐香公式SNSのページを開く。
「この本て全部読んだの?」
画面に映るのは須藤さんの受賞作が載る文芸誌。
「……恥ずかしながら全部は。お世話になった人の作品が載ったので、あんまり露骨じゃなく宣伝になればなぁって」
「へぇ。どの人?俺も宣伝しようか?」
白田は許可を取るかのようにちらりと俺を見る。俺は手で『どうぞ』と促す。そもそも俺の話じゃないんだから俺が許可を出す筋合いはどこにもない。
白田は電子版でも購入していた様子で、画面を開いて加賀美さんに見せる。新人文学賞受賞作、須藤拓馬著『残月』。
加賀美さんはそれを見て少しだけ驚いた顔をした。
「……どんな知り合い?」
「僕の元バイト先のコンビニで上司だった人です」
「そっか。じゃあステマっぽくならないように宣伝しておくよ」
「ありがとうございます!」
◇◇◇
時刻は夜の九時を少し過ぎた頃。
「いらっしゃいませー」
五月と白田の最寄り駅のコンビニ。かつて五月がバイトしていた店舗。入店した客へ挨拶をした須藤は目を疑う。来店したのは人気フォトグラファーの加賀美恭也だ。
加賀美はレジに須藤の姿を見つけると栄養ドリンクを一本取りレジに向かう。
「久し振り」
須藤はチラリと加賀美を見るが、そのまま栄養ドリンクをピッとレジに通す。
「三百六十八円です」
「まだ書いてたんだ?」
迷惑そうに眉を寄せる。
「仕事中だ。話しかけんな」
取り付く島もないといった様子の須藤に加賀美は小さくため息をつく。
「十年ぶりに親友が会いに来たって言うのにつれないな、君は」
須藤は店内を見渡して他の客が遠いことを確認すると、迷惑そうに顔をしかめて加賀美を睨み凄む。
「……仕事中だっつってんだろ。後にしろ」
「書くならもう少しぼかして書けばいいのに。ペンネームでもないし、ひょっとしてアレかな?玲奈に届くように、とかそう言うアレ?」
「……ったく、どいつもこいつも。フィクションだって言ってんだろうが。早く出てけよ。通報すんぞ」
有名人であるだけにさすがに警察を呼ばれるのはバツが悪い。やれやれと言った様子で店を出ようとするが、最後に一言、思い出した様に付け加える。恐らくこの一言が本題。
「ま、確かにフィクションだろうね。全然違うからさ、『愛花』の心情とか行動原理とか――」
「うるせぇ!早く行け!」
つい声を荒げてしまい、『失礼しました』と店内に滞留する他の客へと謝罪をする。その間に加賀美恭也は店を出ていた。
やがて退勤時刻となり、着替えて裏口の灰皿横で煙草に火をつける。
立ち上る煙の行方を追う様に空を見上げると、丸い月が闇夜を照らしていた。