日の光に照らせないもの
◇◇◇
「おめでとうございます、須藤さん!」
須藤さんのバイト終わりを見計らって俺と白田で出待ちをする。
従業員口の扉を開けるなり大きな花束で出迎えられた須藤さんは特に驚く様子も無くペコリと一礼をして白田から花束を受け取る。
「おーう、ありがとう。雨野に桐香ちゃん。久し振りだな。元気にしてたか?」
「あれ、全然驚かないっすね」
「まぁ三十も近くなると中々十代の頃みたいに喜びが表せんのよ。若者みたいに豊かな感情表現している老人いないだろ?ちゃんと喜んでるから心配すんな」
普段なら仕事終わりの一服をするのだが、白田がいるせいかタバコに手を伸ばさない。
「とにかくおめでとうございます」
「あー、そう。んで、……もしかして、読んだ?」
言い辛そうにチラリと俺たちに目をやる。
「もしかしても何もそりゃまぁ読みましたよ」
「わたしも途中まで!今日はお仕事だったから、帰ったら寝ないで読みますね。佐久間くんと美乃梨ちゃんどうなるんだろうって……ドキドキしてます」
佐久間と美乃梨、どちらも須藤さんの作品の登場人物だ。佐久間は主人公で、取り立てて何の取り柄も無いが何者かであろうともがいている。美乃梨はヒロインの一人だ。メインの登場人物はあと二人、勉強もスポーツも何でも人並み以上にこなすがやりたい事が何もない友人の虎雄と、自他ともに認める学校一の美少女の愛花。
まだ読んでいない白田にネタバレをするわけにはいかないが、最終的には誰も誰ともくっつかない。ヒロイン二人はどちらも虎雄と関係を持つ事になるが、それもすぐに破局する。佐久間と虎雄もそこで終わりだ。
四人は本当に仲が良かった。佐久間と美乃梨は中学校から一緒だった。だから何故そうなってしまったのか佐久間には分らない。もしかすると、四人とも分からないかもしれない。
何者かになる為に佐久間は絵を描いていた。子供の頃から描いていた。人並み以上に出来ると胸を張れる事はその位だった。だが結局何にもならなかった。
やがて、佐久間は筆を置く。そして代わりに筆を執る。
何故そうなったのか、理由があるはず。それならばそれを物語として書いてみればわかるのではないか?と――。
物語はこの辺りから終盤に入り、ここからの登場人物は佐久間と彼の物語の中の人々だけだ。結局、彼は何者にもなれず彼の元には誰もいない。
「あのー、須藤さん。一つ聞いていいっすか?」
「あぁ、原稿料か?」
「……実体験だったり、します?」
先入観かもしれないけれど、読んでいて主人公の佐久間がどうにも須藤さんと被った。だからそんな馬鹿な質問をしたのだろう。口に出てから俺も馬鹿な質問と気付く。
須藤さんは呆れた様に口角を上げて笑う。
「フィクションに決まってんだろ。でなきゃミステリー作家は軒並み警察に通報する事になんだろうが。立ち話もなんだから茶でも飲んでかないか?賞金も貰ったから奢ってやるよ」
「もうこんな時間だから閉まってんじゃないっすか?須藤先生」
時刻は二十二時を回っている。
「バカ、先生とか呼ぶな」
「でも先生じゃないですか。本で発売もされるんですか?」
「まぁな。ちょっと手直しとか加筆もする感じだが」
「マジすか。いいなぁ、夢の印税生活」
「そりゃ売れたらの話だろ」
「宣伝しますよ!全力で」
「……怖ぇなぁ」
結局、お店も閉まっているのでコンビニで飲み物とかホットスナックを幾つか買って公園に向かう事にする。
「お世辞抜きで面白かったです。ちょっと俺の語彙で伝わる自信無いんですけど、人間関係の機微っていうか」
須藤さんは袋からコーヒーを取り出しながら照れくさそうに笑う。
「自分の書いたやつの感想を知り合いに聞くなんて高校の時以来だな。あっ、そうそう桐香ちゃん。公式SNSで宣伝ありがとね。編集さんが興奮してたよ。『白田桐香がうちの雑誌を読んでる!』って」
「……本当は『わたしのお世話になった人が載っています!』とか言おうと思ったんですけど、ちょっと……押しつけがましいかなって」
「まぁ結果的に絶妙なラインだと思うぞ。特にあの栞が良いな。計算してはいないだろうけど、適度な匂わせになってる」
「な。俺も思った」
俺と須藤さんに褒められて白田は照れ臭そうに笑う。
「須藤さん、絶対映画化してくださいね。一年以内に。わたし美乃梨ちゃんの役やりますから!」
自分で力強く宣言してからハッとして、バツが悪そうに須藤さんの表情を窺い見る。
「……も、もし良かったら、ですけど。イメージが違うとかそう言うのが無くて、須藤さんがもし良かったら、ですけど」
目の前で自信なさげな苦笑いを見せる人気タレント白田桐香。須藤さんは顎を触りながら困り顔で首を傾げる。
「まだ本も出てないんだがなぁ」
「絶対出ますよ。面白いですもん。だから絶対一年以内に映画化してください」
月明りを映したかのようなキラキラとした瞳で白田は須藤さんに無茶を乞う。
「……ん~、でもなぁ。気持ちはありがたいんだが、一つ問題が」
「何ですか?言ってください!」
言い辛そうに口籠る須藤さんを見て俺は察する。白田はまだ全部読んでいないから気が付いていない問題点。
「ん~、その……なぁ。美乃梨はさ、後半にちょっときつめの濡れ場があるからさ。君じゃちょっと無理なんじゃないかな?ハハハ……」
珍しく力ない愛想笑いで締める須藤さんに白田はまだ食い下がる。
「別に濡れたって大丈夫です!できます!」
「あー、ちょっと白田さん白田さん?」
きょとんとした顔の白田にそっと耳打ちをする。
「濡れ場ってベッドシーンの事だぞ。ベッドシーンはさすがにわかるよな?」
「えっ……」
絶句すると同時に白田の頬は赤く染まる。
「それは……ちょっと、ムリかもです」
「だろ?まぁ気持ちだけで十分嬉しいよ。……嬉しいついでに言うけどな」
須藤さんはタバコを一本取りだして口に咥える。火はつけないが所謂口寂しさというやつだろうか。
「完成したのは君らのおかげなんだぜ」
まだ全部読んでいない白田の為に、とその言葉に関してそれ以上の説明を須藤さんは避けた。
そして時計の針は夜十一時を回っていたので、そろそろお開きとなる。
「そんじゃ、気を付けてな」
「須藤さんは帰んねぇの?」
火のついていない煙草を咥えたままベンチに座る須藤さん。傍らには白田が贈った大きな花束。
「あぁ、もうちょっと月見てくわ。タバコも吸いたいし。……雨野、なぞなぞな?」
「なんすか唐突に」
ベンチに座り天を仰いて月を見上げながら須藤さんは問いかける。
「月に出来て太陽に出来ない事って何だと思う?」
急にそんな事を言われてもパッとすぐには出てこない、と思った瞬間にピンと閃く。
「んー、月食っすかね」
「……っはは。まぁ確かにそれもそうだな。正解でいいぞ」
「え、何ですかその奥歯に挟まった様な言い方。真の正解は?」
俺と白田との距離が開いた事を確認して須藤さんはタバコに火をつける。
「ん?暗い夜を照らす事。お互い頑張ろうぜ、またな」
そう言って須藤さんはひらひらと手を振る。
俺と白田の、いつもより遅い帰り道。空には丸に近い月が浮かんでいて、帰り道を照らしていた。