わたしはわたし
◇◇◇
「あ、そう言えばさ」
年は明けて二月の半ば、白田は思い出したように呟く。
「何すか、桐香さん」
白田は得意げな笑みを浮かべながら俺の顔を覗き見る。
「もう来年なんだけど」
言っている意味がよくわからなかったので一瞬眉をひそめつつも、一応問い返してみる。
「何が?お年玉でも貰い忘れたのか?」
俺の稼ぎより桁が一つ違うだろう白田に言う言葉ではないが、まぁ冗談だ。
「いる?」
そう言いながら財布に手を伸ばす白田に白い目を向ける。
「いるか」
「ふふ、冗談だよ」
流石にそうでないと困る。
「で、本題は?何が来年なんだ?」
「来年。何を取るか教えてくれるって言った。クリスマスに。覚えてる」
確かに年も明けているから来年なんだけどさ、文脈から来年度芸能活動が終わったらな、って意味だと分かっているはず。だから本人も知っていてこのタイミングでダメ元で言い出したに違いない。そもそも本当に覚えているのなら白田は日付が変わった直後に言うはず。絶対。一月一日零時零分一秒に言うはず。
だから照れたりしてやらない。
「ん?責任取るって言ったんだよ」
「えっ……」
自分で言いだしておいて白田は絶句する。そして顔を赤らめながらチラリと俺の顔をまた覗き見る。
「……本当に?」
「本当に」
「絶対?」
「絶対」
「そっか」
短く答えて照れ笑いを浮かべながら自身の髪を撫でる。
端から見たらバカップルと謗られてもやむを得ないようなやり取りだが、そもそも付き合ってもいない。
「だから安心して一杯食べろよな」
それが良い事なのか悪い事なのかはわからない。ただ昔みたいにおいしそうに食べる白田が見たいっていうだけの俺の我儘だ。
白田は何も言わずに恥ずかしそうに微笑んだ。
◇◇◇
話は変わって数日後。
白田桐香公式SNSにファン達の狂喜乱舞と呼ぶに相応しい感想たちが並ぶことになる。
『コスプレイヤーのUPA子さんと』
絵文字も感嘆符も無く短くただ一言の呟きと共に投稿された一枚の写真には、瞬く間に無数のリプライやいいねが積み重ねられていく。
普段着の白田と何やら制服姿のキャラクターのコスプレをした詩子さんが笑顔でお互いの頬を人差し指で突いている写真。撮影者は俺じゃない。友人であり詩子さんの彼氏の和久井柊だ。
詩子さんからの助言で位置バレしないように撮影場所や背景などにも細心の注意を払った上での投稿。場所はいつも俺と詩子さんが特訓している公園でなく、普段は来ない四つ先の急行不停車駅にある大きな公園。
「きゃ~、桐香ちゃ~ん。初めまして!相宮詩子です」
詩子さんは喜びを全身で表すかのように飛び跳ねながら白田と手を合わせる。
「は、初めまして。白田桐香です。お話は前から聞いてたのでずっと会いたいなって思ってました」
「も~、堅いっ!ため口でいいってば。でもそんなところもかわいい!頭撫でていい?ダメ?いいよね?」
「……ダメでは、ないですけど」
「やたっ」
「師匠、師匠のテンションについてこれずに白田置き去りになってるんで、ギアチェンは徐々にお願いしますね」
俺の忠告を受けて師匠は腕を組んで得意げな顔をする。
「え?まだ一速ですけど?」
「いやいや、さすがに盛りすぎでしょ」
「確かに元気な時の詩子さんはこんなもんじゃないかもね」
「マジか」
「そうだね~。大体いつも夜勤明けだしねぇ」
そう言って笑いながら何故かクルリと周りスカートをなびかせる。
「詩子さん、その服すっごいかわいいです」
「ふふん、でしょう。念願の初桐香ちゃんだからね、気合入れてきたの。いわゆるアレだね、戦闘服」
手を広げてみせる。
「年末に着たやつはもっと露出多かったっすよね?」
「おっ、チェック済みだぁ。さすがにプライベートであれ着る勇気は無いなぁ~。でも柊くんがどうしてもって言うなら頑張るけど」
「ははは、無理せずどうぞ」
特に何をするでも無く、人気のない公園で話をするだけ。幸いにして二月とは言え少し日差しが温かい。
「桐香ちゃんの写真、あたしのアカウントにも投稿していい?」
「勿論OKですよ!」
「やった。それじゃちょっと膝枕して。はい、ここ。おいでおいで」
ベンチに座りポンポンと膝を叩いて白田に膝枕をするように促す。
「えっと、じゃあ……」
照れながら恐る恐る膝枕をしようとして、白田はチラリと柊を見て本当に申し訳無さそうな顔をする。
「和久井くん……、本当にいいの?」
「あ、ちょっと桐香ちゃん。何だか急にすっごい悪いことしてる様な気がしてきた」
「どうぞどうぞ。じゃあ僕は五月を膝枕でもすればいい?」
「止めろ。すんな。アホか」
「失礼しまーす……」
「もう!一々かわいいな!うん、いいよいいよ~。超かわいい。撮りまーす」
そしてパシャリと一枚撮る。
「次は目をつぶってみよ~。行くよー」
パシャリともう一枚。そして撮られた写真は白田のチェックを経て師匠のSNSに投下される。
『みなさん、天国はこちらです』そう添えられた一枚は、照れくさそうにはにかむ白田を上から映したもの。
画面の端に師匠の脚も少し写っている。
続けて二枚目。膝枕をして目をつぶる白田の写真には『キスすれば起きるかな?』と添えられる。
即バズる。見る間にUPA子さんのアカウントのフォローも増えて行く。
互いのファンにも概ね、と言うか殆ど好意的に捉えられているようだ。
「みんな喜んでくれてるね~」
「……師匠も芸能界に入った方がいいんじゃないですかね」
正直な話、メンタル的には白田よりよっぽど向いているような気がする。
「あはは、無理無理~」
「……あの、今更かもなんですけど『師匠』って?」
膝枕をされながら言い辛そうに質問する白田。
「ん?秘密だよ。柊くんは先生だよ」
白田はチラリと俺を見る。
「じゃあわたしは?」
何だその謎の対抗心。
「白田は別に何でもないだろ」
「あっ、言っちゃった」
詩子さんの呟きも後の祭り。それを聞いた白田はふて腐れた様にごろりと身体の向きを変え、詩子さんの方を向く。
「そっかぁ。わたしは何でも無いのかぁ」
「よしよし、桐香ちゃん。ただの言葉の綾だよ~」
まるでお母さんだ。
「ほら、五月。ここはフォローだよ」
「んなこと言ってもさぁ。だって白田は白田だろ」
困りながらそう答えると白田はまたクルリと俺の方を向き直す。
「ふふ、そっか。わたしはわたしか」
どこに機嫌を直す要素があったのか不明だがその表情はどことなく嬉しそうだ。膝枕の力だろうか。