閑話 フェイク
◇◇◇
――彼女を初めて見たのは、雑誌のグラビアだった。
控室に置いてあった漫画誌のグラビアを飾っていたのは、まさに正統派美少女と言った佇まいの少女だった。水着であることがほとんどな雑誌グラビアにも関わらず、彼女は露出の少ない衣服を纏っていて、その繊細な表情に悔しくも見入ってしまう。
「美少女はいいよねぇ、立ってるだけで絵になるんだから。これ撮ってるのは……、加賀美さんかぁ」
「らんちゃんだって美少女じゃないですか」
フォローを入れるマネージャーの汐崎太郎に濱屋らんは大きくため息をつく。
「太郎ちゃん~、そこは嘘でも『らんちゃんの方が』って言わないとでしょ」
「あっ……、そうですね!訂正します、らんちゃんの方が美少女です」
「んふふ、言わされてる感満載だけどありがと~」
――デビューから一年半。自らの綿密なセルフプロデュースと、事務所の猛プッシュ、そして何より機敏で的確な状況判断で押し引きする絶妙なトーク力で彼女は一躍人気を博した。髪の色は銀色に染め、青のメッシュを入れ、瞳には同じ青のカラーコンタクト。年長者にもギリギリ無礼と映らないラインのざっくばらんな会話術。意外にも若者のみならず中高年層にも刺さった。
彼女はしばしばマネージャーである汐崎に使い走りの様に無理難題をふっかけて、汐崎も時折文句や苦言を漏らしつつもそれに応える。例えば、会社で残業をしている時に呼び出されてどこそこのプリンが食べたいとか。本をポチろうと思ったけど待てないから買って届けてとか。
同僚や上司も汐崎に同情的な態度を取るようにもなり、いつしか『濱屋らんのマネージャーは汐崎にしか務まらない』と言う評価も漏れ聞こえてくるようになる。
それでも、不思議なことに彼の休日や業務終了後にはそう言った呼び出しが掛かることはなかった。
デビューの時はグレーのセダンだった社用車は、今は真っ青な国産高級車だ。
出会ってから二年。
状況は激変したと言っていい。
濱屋はテレビで何本もレギュラーを持つ売れっ子タレントに成長し、自由奔放な彼女の首に鈴を付けられるほぼ唯一の存在として相対的に汐崎太郎の評価は上がる。ほぼ、と言ったのは鈴を付けられるのはもう一人いるからだ。そのもう一人は、彼らの所属する最大手芸能事務所ヴァルハラプロモーションの社長……神原主税だ。
初めて本社を訪れた際に汐崎を軽んじた上司より偉くなると言う約束はまだ果たせてはいないものの、当然彼ももう汐崎に対してぞんざいな扱いはしなくなった。
中学を卒業し、高校には行くつもりはなかった。
たが、学校生活に興味は無いけれど学業の必要性自体は理解している事に加え、汐崎の強い希望もあり通信制の高校に通うことになった。通うと言っても登校
日はない。
親は驚くほど反対もせず、すんなりと話は進む。
「理解のある親御様ですねぇ」
共に挨拶とお願いに坂田家を訪れた汐崎はのんきにそんな事を言う。
「理解も何も全く興味も関心もないって事よ。……体裁を整える為の道具ですらなかったって事」
髪の色も芸能活動も勿論何も言われなかった。そして、自ら価値があると思っていた学校の成績や進学ですら全くの無価値だった事に彼女は珍しく少し落胆した様子を見せる。
「そうですか?でも私にはそう見えましたよ」
汐崎は不思議そうに首を捻り、濱屋はクスリと笑う。
「太郎ちゃんはそればっかねぇ。でも……、本当にそうだったらいいね」
家を出て、会社が借りているオートロックのワンルームへと引っ越したのはこの後すぐの話。
そして、二年の間に巷間を賑わせた幾つかの恋愛報道やスキャンダル。
大物女優と会社社長の一般男性が結婚したり、男性タレントと若手女優の交際が報じられたり、プロ野球選手とアイドルが結婚したり。それ以外にも勿論沢山あった。
その中から一つ特にあげるとすれば、清純派女優とのデートが報じられたヒーロー物出身の若手俳優。彼は、初主演映画の制作発表同日に二股DV報道が週刊誌各紙を賑わせ、三つあったCMが全て降板になった。
お相手の清純派女優は濱屋と同じ最大手……ヴァルプロ所属だ。
――うちと太郎ちゃんが付き合ったらどうなるんだろう?
深く考えるまでもなく、ただ事では済まない事はわかる。光と闇の芸能界。大事な商品である濱屋に危害が加わる事は無いだろうが、雇われの身の汐崎はどうなるか。例えば目には目をの時代、八百屋で働く男性が売り物の果実に手を付けたらどうなるか。
それを抜いても十を超える年齢差もある。
クビでは済まないだろうし、仮に彼が会社を辞めたとしても何らかの追い打ちを掛けられるのだろう。それが如何なる手段なのか想像もできないが。
今出来ない事を考えてもしょうがない。とにかく今は仕事を頑張って、自身と汐崎の価値をたかめる事だと自らに言い聞かす。
すぐには変わらなくてもいい。一年、二年。五年、十年と頑張れば変えられるかもしれない。
しばらくして眠らない白雪姫こと白田桐香の写真集が発売され、業界内でもその写真集は評判となり新人のデビュー作としては破格の売上を記録することになる。
年齢は一歳上。一目見て分かった。この子も恋をしているのだ、と。
写真家加賀美恭也により引き出されると言っても限度がある。余程の演技派だとしてもこうはならない。カメラに向けられたその表情は言葉無くして雄弁に物語る。
「太郎ちゃん~、この子事務所どこ?大きい?」
「えーっと、ですね。バブルボムプロダクションですね。昔我が社から独立した方が始めた芸能事務所の様ですね。所属で有名な方は……」
「あぁ、その間で分かるからいいや♪要するに弱小って事ね。この子も恋愛禁止かな?」
「それはちょっと分かりかねますね。と言っても声高に恋愛OKを謳うところなどありはしないと思いますが」
「やっぱり人気落ちるもんね。誰だって好き好んで虫食いの果物買わないし」
「らんちゃん、言い方」
呼び名は濱屋からの強い要望で『らんちゃん』で固定となった。汐崎もかなり抵抗をしたが、それ以外の呼び名を呼ぶと一切反応を示さない徹底ぶりに折れた形だ。
――そして、十月のある日。
白田桐香の記事が載る週刊誌が発売される。
白ブタと呼ばれ、疎遠になってしまった想い人の前に立つ為に、努力して芸能界に入ったと言う彼女のシンデレラストーリー。彼女は来年いっぱいの活動で芸能界を完全に引退するとも書かれていた。
「……よかったねぇ」
自室で記事を読み、思わずぼそりと呟いてしまう。
あの写真集で見せた表情の通り、彼女はやはり恋をしていたのだ。それも小学校の頃からずっと。彼女の恋は実ったのだろうか?他人事ながら何だか嬉しい気持ちになってしまう。
一年後彼女は芸能界を引退して、大学生なりになってその想い人と幸せな日々を過ごすのだろう。会ったこともない二人の勝手に描いた未来を想像して祝福する。
そして、今度はそれを我が身に置き換えてしまう。
どう考えても自身と汐崎のハッピーエンドが想像できない。芸能人でなければ、と考えてそもそもそれなら出会っていないと気づきため息をつく。
それでも毎日仕事を頑張るしか可能性は見いだせない。
時折白田桐香の情報を検索してしまう位のファンとなっていた濱屋。SNSやまとめサイトの類もちらほら眺めていたのだが、ある日彼女の想い人は今彼女のマネージャーを務めているとの書き込みを目にする。
益々自身らの関係と近付いてきた訳だが、一年後の未来は全く異なる。彼らにはハッピーエンドが待っている。
と、そこで濱屋らんは思いつく。
正確にはこの時点では思い付いてはいない。あれ?もしかしてこうすれば……と着想の取っ掛かりを得ただけにすぎない。
◇◇◇
「太郎ちゃん、社長にアポ取って。白田桐香の事で話があるって。忙しかったら電話でもいいから」
数日後、濱屋は普段通りの様子で汐崎へと依頼する。本来そんなに簡単にアポが取れるものでもないが
濱屋は別。社長の番号も知っているが、敢えて汐崎を使う。
タイミング良くすぐに社長のアポが取れる。
「太郎ちゃん、ちょっと社長と秘密の話して来るから待っててね♪」
気にはなるがついて行くとも言えるわけがない。
「了解です。らんちゃんの考えがあるだろうから、そこは心配してませんよ」
「いい加減敬語止めな~♪」
「……前向きに善処します」
都心某所のヴァルプロ自社ビル。高層ビルの最上階に位置する社長室。
「おう、らんちゃん。元気か?相変わらずかわいいな、がはは」
初老で色黒、堅太り体型のスーツが似合わない男性。一見して既に堅気の雰囲気から離れた彼が最大手芸能事務所『ヴァルハラプロモーション』社長の神原主税だ。
「社長、お久しぶりです♪お忙しいと思うので手短に行きますね。最近話題の白田桐香ちゃんご存知ですよね?」
「まぁな。あそこは元々うちにいた坊主がやってる小さい事務所なんだよ。全く、タレントの管理が出来てねぇよなぁ。あんな事週刊誌に抜かれちまうんだから」
「さすが話が早い。で、あの子の好きな子って今マネージャーやってるらしいんですよ。そこでどうでしょう――」
平静を装いつつも一度ゴクリと唾を飲む。損得で言えば九分九厘通るはずの要望。だが、気分を害してしまったならそれは虎の尾を踏むようなもの。だが、濱屋は言葉を続ける。
「私もその人を好きになってみるって言うのは」
「……あ?」
短く威圧的な低音が場を支配する。
だがこれで意見を翻す様では話にならない。濱屋は一歩踏み出す。
「勿論本気じゃありません。今これだけ話題になっているんですから、乗っておけばあちらの戦略にただ乗り出来ますし、確定で振られるわけですから同情票も集まるのでは無いかと思います」
「イメージは?」
神原社長の悪癖として、常日頃から質問の主語がないことが多い。明後日の返事をしようものなら途端に機嫌が悪くなる。
「やりようにもよりますが、一途なイメージが付けば私のキャラとのギャップでプラスに働くかと」
そこまで聞いて神原社長はクククッと笑う。
「考えてんな。おもしれぇ。いいぞ、任せる。うちの看板に泥だけは塗るなよ」
「ありがとうございます」
――階下に戻り、そわそわと待っていた汐崎にニコニコと手を振る濱屋らん。
「太郎ちゃ~ん、噂の桐香ちゃんラジオ呼べる~?なる早で~♪」
「了解です。アポ取りますね」
手帳を開きながらも、会談内容が気になる様子でチラリと濱屋を見る。
「ん?何の話してたか気になる?心配した?んふふふ~、秘密秘密。当日分かるよっ」
「ん~、まぁ、らんちゃんの事ですから心配はしてませんけど」
「ほら、敬語敬語!」
濱屋らんはケラケラと笑いながら汐崎の背中をポンポンと叩く。
白田桐香の想い人を好きになる……振りをする。万が一なびかれても困るが、そこは相手を見ながらうまく立ち回る。出来るだけ一途に、泥棒猫のイメージが付かないように。キチンと大衆に知られるように、出来るだけかわいそうに振られる。
イメージアップも知名度も本当はどうでも良い。
使えるものは何でも使う。使わせて貰う。
出来るだけかわいそうに振られれば、世間は次の恋愛を応援してくれるだろう。それを交渉の材料に出来るかもしれない。何年後に活きるか分からないが、未来に向けた拙い布石。
嘘と夢を売る芸能界。
嘘で固めた彼女の恋心。