消費期限
◇◇◇
「お母さん!今日五月くん遊びに来るから!お菓子ある!?おいしいやつ!」
小学三年、一学期のある日。白田桐香は慌てて帰ると、ランドセルも降ろさずに母親に詰め寄る。走って帰って来た様で、息を切らして汗だくだ。
「きーちゃん、ちゃんと手洗ったの~?」
「まだ!これから!それよりお菓子は!こないだのクルクルしたやつすごい美味しいって言ってたよ!ある?」
「ん~、あったかなぁ。きーちゃんが手を洗ってくれないと思い出せないなぁ」
「もー、お母さんっ!今洗うから!」
口をムッと膨らませて洗面台へと向かう娘の後ろ姿をニコニコと微笑ましく見守る母澄香。
普段は余りやらないが誕生日プレゼントに祖父におねだりしたゲーム機を用意して、母が買って来たちょっといいお菓子を綺麗に並べて五月が来るのを待つ。
「あいつの家遊びに行くといつもうまいお菓子がいっぱいあるんだよ」
褒めたつもりで何気なく五月が言ったその一言は、一部の捻くれた男子に『だから太ってるんだ』と冷やかしの燃料を投下する事となる。
◇◇◇
ピロリンとスマホが鳴り、メッセージが届く。
『おはよ。特に用件は無いけど、開通記念に』
メッセージの主は白田桐香。文の後に何やらかわいい生き物のスタンプが送られてくる。白くて丸い顔にピンクの外鰓……ウーパルーパーだろうか。
『おはよう。流石にまだ別れてないぞ?』
こちらも特に用件は無いけれど、状況報告位はしておこうと思う。友人の和久井柊と、付き合っている看護師の彼女の状況報告。柊と頻繁にそんな話をする訳では無いが、流石に別れたら言ってくるのではないかと思う。
『だから用件は無いって言ってるでしょ。ただ送ってみただけ』
家から駅まで歩いて十三分。そこから電車に乗って長めの一駅が高校の最寄り駅だ。駅から高校までは歩いて十分。ドアトゥドアで三十分と言った所。
「五月、おはよ」
登校の途中で柊に会う。別に待ち合わせている訳では無いが、大体毎日同じ時間の電車の同じ場所に乗って、同じ位の速度で歩いているので、大体同じ位の場所で会う。
「おっす」
柊はその整った顔にニコニコと涼し気な微笑みを浮かべつつ、何か言いたそうに俺を見る。
「何だよ」
「いや?別に。五月も意外に上手い事やるんだなぁって」
「だから違うって言ってんだろ。お邪魔だから席を外しただけだ。どうみてももう一人の子がお前狙いだっただろ。名前すら覚えて無いけど」
「こずえちゃんね。伊吹こずえちゃん。でさ、こずえちゃんから聞いたんだけど、君と白田さんって同じ小学校なんだって?」
何故かギクリと心が一瞬固まってしまう。
「まぁ、そう、だな。すげぇ偶然だよな」
「だね。そんな事もあるんだねぇ」
爽やかな朝を爽やかな笑顔と笑い声が彩る。
「前に庵司が言ってたのもあの子?」
俺が夜中に他校の女子と歩いていたと言う目撃情報の件だ。疑問形の形ではあるが、明らかに確信をもった柊の問いかけ。下手に誤魔化してもしょうがない。
「……まぁ、そう。でもあの時はたまたまあいつが俺の働いてるコンビニに来ただけだ」
「へぇ、それもたまたまか」
一人納得納得した様子で含みありげな笑みを向けてくる。
「それ以外に何があるんだよ」
「流石にそれを言うのは野暮ってものじゃない?」
「あのなぁ」
柊の言おうとしている事はわかる。多分こいつは、俺と白田がどうだこうだって話を考えている事だろうと思う。だが、俺達の小学校の時のあれこれに加え、白田は柊に好意を抱いているのだから的外れとしか言いようがない。
だが、それを言うのもそれこそ野暮と言う物だろう。野暮×野暮。やぼやぼだ。
「……まぁ、いいや。話は変わるけど看護師の彼女とはうまくやってんの?」
「珍しい話の振り方だねぇ。うまくやってるかどうか……、うーんそれは僕が評価する事じゃあない気がするなぁ。詩子さんに聞いてみないと。聞いてみる?たしか今日夜勤明け」
詩子と言うのは柊の彼女。二十三歳の看護師さん。看護学校時代から付き合っていると聞いたことがある。
「や、別にいい」
「だろ?別に興味も無いくせに」
そう言って柊は笑う。白田やその友人の件でも無ければ人の交際事情なんて俺には関係の無い事だ。
◇◇◇
「柊君、昨日はごめんね~。折角来てもらったのになんだかおかしなことになっちゃって」
休み時間、隣のクラスの女子・渡貫がやってきて本当に申し訳なさそうに手を合わせる。
「いやいや、全然。すごい楽しい子だね」
「あー……、それ本人に言わない方がいいよ。きっとまたおかしなことになるから」
「今度遊び行こうかって話になってるんだけど、渡貫さんも行こうよ」
「呼んでくれるなら喜んで。ダメな日はね――」
「あー、ちょいちょいちょいちょい」
渡貫と柊の会話を聞いて小学校からの悪友紙谷庵司が割って入る。
「それは勿論俺も誘ってくれるんだよな?」
「その積極性自体は嫌いじゃないなぁ、僕。僕は別にいいけど渡貫さん的にはどう?」
「皆いた方が楽しいから良いと思うよ」
「っしゃあっ!流石タヌッキー!懐が広いぜ」
「誰がタヌッキーだ」
俺にどうこうする権利なんて勿論無いんだけど、目の前で喜色満面ガッツポーズをする友人には悪いんだけど、……紙谷に声を掛けるのは留まって欲しかったと思ってしまった。
お調子者で口は悪いが根は悪いやつでは無い。小中高と同じ学校で何度も同じクラスになり、割に仲は良いと思う。
予め柊に言っておくべきだったんだろうがもう遅い。
「紙谷、遊ぶ相手って白田だぞ」
「白田……」
俺の言葉に紙谷は眉を寄せ、思い出す様に首を捻る。そして二、三秒考えたかと思うとパンと手を叩いて笑いだす。
「白田ってもしかして『白ブタ』か!?小学校の時の!?ぶははは、マジかよ柊。お前何でもありだな!手当たり次第か!」
紙谷の言葉の意味がよくわからずに柊と渡貫はきょとんとした顔をする。それもそうだ。互いに同じ人物を思い浮かべているとは言え、片や色白ぽっちゃりの小学生を、もう片一方はグラビアの表紙を飾る様な色白の美少女を浮かべているのだ。
思えば、小学校の時に白ブタと言い出したのも紙谷だったと思う。お調子者で口も悪いし空気も読まない。それでも男子に対しては面倒見が良く決して悪いやつでは無い。例えば上級生に絡まれたり、イジメを受けた様な話を聞けば率先して介入する様な奴だ。
だから、小学校の時から女子の評判は悪いが、大体いつも男子の中心になっている様な奴だ。
「白田の事白ブタって呼ぶのいい加減止めろよ」
恐らく険しい顔で、少し強めの口調で言葉が口を突いて出る。今度は紙谷も豆鉄砲を食らったような顔で俺を見た。
出来れば、もう八年位早くそう言えていればよかったと思う。実際に白田はもう太ってはいないし、今の白田に『白ブタ』などと言おうものならその人間の眼か頭が疑われる事だろう。
遅きに失するとは正にこの事。傍から見れば、白田が綺麗になったから掌返しをした様に見えるだろう。もしかすると、実際にそうなのかもしれない。
それでも、ずっと頑張って来て今もきっと頑張っている白田にそんな言葉が投げつけられる事が無性に我慢できなかった。要するに、只の自分勝手で自己満足の八つ当たりみたいなものだ。
「あー……、悪い。そうだな」
紙谷は申し訳なさそうな顔で、所在なさげに頭を掻く。
正直もう少しスッとするかと思ったし、何かを守れた様な誇らしい気持ちになるかと思った。だけど実際はそんな事は無く、自身の弱さと愚かさに改めて気づかされただけだった。
言葉にも消費期限があると知っただけだった。