約束
◇◇◇
「えっ、ずるい。じゃあわたしだって出待ちするよ?」
都内某所の古びた雑居ビルに居を構える小さな芸能プロダクション『バブルボムプロダクション』の一室。濱屋らんが学校に来た事を告げると、白田は憤慨してソファーから立ち上がる。
「いやいや、冗談っすよね?桐香さん」
「ううん、本気本気。わたしだって五月くんの学校生活見たいのに我慢してるんだから」
一応聞きはしたが表情を見れば白田の言葉が冗談でない事はわかる。
「桐香ちゃん、行くなら車出そうか~?」
「ちょ……沢入さんは止める立場でしょうが」
カタカタと何やら事務仕事をしている沢入さんはクスクスと笑いながら悪ノリするが、すぐに業務モードに戻ってくれる。
「ま、それは冗談として。必要なら正式に抗議するよ?マネージャーも帯同してるんだから完全にプライベートとは言えないでしょ。と言うことは業務としてうちの従業員に対して過度な付きまといを行っているって事なんだから」
「そうですよ!過度な付きまといですよ!許せませんよね!」
俺の代わりに白田が力説してくれる。
「まぁ……でも一応止めてって言ったらすぐ帰ってくれたし、次またあったらって事でいいっすかね?」
甘い考えと提案かもしれないけれど、沢入さんは青二才の判断を尊重してくれて、白田も渋々ながら納得してくれた。
事務所に置かれたスポーツ新聞を何気なく広げると、芸能欄は大きく濱屋らんの記事。白田でなく濱屋らん。芸能欄に濱屋らん。
彼女の所属する大手芸能事務所は明文化こそされていないものの、恋愛禁止が暗黙のルールだそうだ。そんな濱屋らんが突如芸能マネージャーA氏への一目惚れを宣言した事に業界は騒然としている様子だった。過去に清純派を謳う所属女優と噂があった俳優は干されて仕事が無くなり、追撃をかけるように薬物疑惑が沸いて引退を余儀なくされた……らしい。業界の闇。
人気タレントの彼女もそんな不文律は百も承知の筈。それなら一連の流れの意図は?となる。
ただ注目を集めるだけなのだろうか?会社に睨まれたりファンが離れるリスクを負ってまで?
「何考えてるの?」
スポーツ新聞を広げながら難しい顔をしていると白田が首を傾げて問い掛けてくる。
「あぁ、濱屋らんの事」
「えっ!?」
一瞬白田の上げた驚きの声の意味が分からなかったが、三秒考えて気が付いた。
「や、違うから。そう言うのじゃなくて、彼女の行動の意図の話」
ソファに置かれたクッションを抱えながら白田はじっと俺を見る。
「五月くんの事が本当に好きなんじゃないの?」
「それは無いだろ。芸能人の言葉をそのまま真に受けるほど頭がおめでたいつもりはないな」
「わたしも一応芸能人なんだけどなぁ」
不満げに口を尖らせる。
「白田桐香さんはさすがに別枠でしょうに」
とにかく、今の所は俺以外に迷惑は掛かっていないようなので一旦静観だ。白田に何かをするというなら話は別だけど、今は俺だけだから。
「おーう、悪い悪い。おまたちゃ~ん」
ヘラヘラと下品な挨拶をしながら社長が帰ってくる。
「下品な挨拶止めてくれませんかね」
「何も下品な事なんざ言ってねぇだろ。いやぁ、それにしても濱屋らん様々だなぁ。今どこ行ってもこの話題だわ。やるねぇ、この色男」
加熱式喫煙具を咥えながら俺の背中をポンポンと叩く。白田はじっと抗議の視線を社長に送っている。
「おーおー、また俺の事睨んじゃってまぁ。そんな姫にはほれ、新しいお仕事だ」
A4サイズの封筒でポンと白田の頭を叩き、白田は迷惑そうに封筒を受け取る。思うに、ここまでぞんざいに白田を扱う人間ってほぼいないので、白田としても気が楽なんじゃ無いかと思う。
「何の仕事っすか?」
「ん?一年間信者どもを騙して上納金を巻き上げるだけの簡単なお仕事さ」
「……ほんっと、言い方」
「わぁっ」
封筒から冊子を取り出した白田が驚きの声を上げる。
その冊子は白田桐香公式ファンクラブ案内だった。これから事前受付を開始して、四月から三月までの一年間。更新無し、一年限りのファンクラブの発足を告げる冊子だった。
白田桐香公式ファンクラブ、『林檎の樹の下』。名前は俺と白田で決めた。ベタな案として『七人の小人』と言う名を社長が挙げたが、俺と白田の一年間を見守ってくれる人達を小人扱いはしたくなかった。入会金、年会費、事務手数料全部込みで税込三千九百円。ベタだけど、感謝の意味を込めて三千九百円。たぶん相場より安い。
「十万人入れば約四億だ。わはは、気張って信者集めてくれよ教祖サマ」
年に三回の回報と、バースデーカードやら会員限定イベントなど。あとはオフショットムービーやらグッズの販売。パラパラめくった感じ社長が言うほどの商売っ気は感じない。白田桐香のイメージを崩さない物だと思う。
「あぁ、会員証のサンプルも入ってるらしいから。確認したら捨てるなり誰かにやるなり好きにしな」
「へぇ」
社長の言うとおり、封筒には二枚名刺大の硬いカードが入っていた。
何気なく封筒からカードを取り出す。会員証には白田の写真と共に文字が記されている。白田桐香公式ファンクラブ『林檎の樹の下』。会員No.1、伊吹こずえ、会員№.2、伊豆井美弥子。伊吹こずえと委員長。白田の友人たち。
白田は驚きと喜びのあまり声が出ず、目を輝かせて俺を見る。
『ファンクラブを作ったら会員番号一番は絶対にわたし』。白田と伊吹さんの約束だ。社長にもそれは伝えてあるので、当たり前と言えば当たり前なのかもしれない。だけど、そんな当たり前の事を忘れずサラリとやってくれたのが嬉しかった。
「ありがとうございますっ!」
白田は深々と社長に頭を下げる。
「いやいや、お気になさらず。桐香の業界入りを勧めてくれた子だろ?その位お安いご用さ。まぁ、……会員番号一番が一枚とは限らんがな。わはは」
「……本当一言余計っすなぁ」
◇◇◇
「よかったら貰ってくれる?」
帰り道に買ったかわいらしい便箋を照れ臭そうに白田は手渡す。
「えへへへ、なんだか照れるねぇ。改まってさ」
やや頬を赤らめてこちらも照れ臭そうに便箋を受け取る伊吹さん。事情を知らずに傍から見ているとまるで告白の様だ。
便箋の中身は勿論会員証。一刻も早く二人に手渡したいとそわそわと心ここにあらずだった白田を見て、本日予定されていた講習は後日に先送りとなった。
「委員長も、貰ってくれる?」
「勿論よ。会員証?」
受け取りながらサラリと答えに触れる委員長。
「えっ!?あっ……」
封を開けて中から現れた会員証を見て伊吹さんは絶句する。約束通りの会員番号一番。
「あー……、あははは。覚えててくれたんだ」
「そんな昔じゃないんだから覚えてるに決まってるでしょ」
少年の様に袖で目元を擦る伊吹さんは白田と笑いあう。社長曰く、この二人の分は費用はゼロだそうだ。形式上申し込みだけして貰えば到着順に関わらず一番と二番で処理をしてくれるらしい。
「新しい学校は楽しい?いじめられたりしてない?」
「うん、みんないいひとだよ」
「へぇ、わたしより?」
「えっ……!?」
「こらこら、桐ちゃん困ってるからやめな」
学校が変わり、環境が変わり、会う機会も減った。それでも本当に友人でいられるのか、本当はお互いに不安だったようだった。でもきっと今日で三人も確信しただろう。傍から見れば最初から分かり切っている事ではあるけれど。
「……傷、まだ少し見えるね」
伊吹さんの頬に触れながら申し訳なさそうに白田は呟く。
「あはは、本当に少しだよ。まぁ舐めれば治るって。桐香お願いしていい?」
「えぇっ……、っと……」
「だからあんたはさぁ」
「委員長、ごめんね?本当は二枚とも一番だったらよかったんだけど」
「ううん、それはこずえに悪いから。約束なんでしょ?だから私は……ゼロ番でいいわ」
「えっ!?」
「はぁ!?ズルくない!?」
二人の驚く反応を見て委員長はクスクスと楽しそうに笑う。
「嘘、冗談だってば」