少しだけ
◇◇◇
「ねぇ、雨野くんって……白田桐香ちゃんのマネージャーしてるって本当?」
濱屋らんとのラジオ収録以降、学校でこう聞かれることも増えてきた。俺と白田で決めた基本対応は嘘を吐かないこと。でも、ありのまま全てを正直に話すかと言うと、そういうわけでもない。
「大きな声じゃ言えないけどそうなるな」
勿体ぶった言い方に聞こえるけれど、二つ返事で認めるのもおかしな話なのでこの辺りが落としどころだと思うのだがどうだろうか。俺がそう答えるとクラスメイトの女子は少し興奮した様子で歓声を上げる。
「じゃあさ、じゃあさ。……桐香ちゃんの好きな人ってもしかして」
「それは俺に聞かれてもお答えしかねるよ」
「そ、そっか!そうだよね~、ごめんね変なこと聞いて」
クラスの女子と会話をすることなんてほとんどなかったにも関わらず、ここ最近は毎日こんな感じだ。俺と白田の関係について質問をしてきては、答えに満足したように帰っていく。別に深く聞いてくるわけでもなく、ただそれだけ。SNSチェックをすると、しばしば俺の在籍校についても出て来る。
試しに雨野五月、不細工で検索してみると幸いにしてヒットはゼロ。一安心と言ったところだが、まだ早い。今度は雨野五月、ブサイクとカタカナで入力してみる。表記揺れ。
「何打ってんの、それ」
画面を指差し、柊が苦笑いで問いかけてくるので画面を伏せる。
「や、別に。ただの市場調査」
「心配しなくても五月はブサイクじゃないよ。僕が保証するって、あはは」
イケメンに保証されると実際にそうなんじゃないかって錯覚してしまう。芸能人がステマに手を出す訳だ。
「そりゃどうも。自分としては中の中くらいだと思ってるけどな」
「へぇ。じゃあ僕は?」
「……その質問答える必要あるか?」
因みに話しかけてくるのはほとんどが女子だ。勝手な想像だけど、男子からすればいけ好かないと思っている人の方が多いんじゃないかと思う。白田の件だけならまだしもそれに加えて濱屋らんの炎上商法。ちょっと前までただの空気か冴えない陰キャと思っていたのに調子に乗りやがって位思われている覚悟はしている。
そして、それは当然ながら見事に的中していた様で、休み時間トイレを出たところで厳つめの三年に声を掛けられる。
「雨野五月って君?」
「えぇ。そうですけど」
俺が答えると明るい髪の三年はギリッと比喩でなく俺に聞こえるほどの歯軋りをしたかと思うと、急に俺の胸ぐらを掴む。
「こんな冴えない野郎に俺のはまにゃんが!」
「おい、止めろ木内!」
まさかのはまにゃんガチ勢だった。他の三年に止められながらも木内と呼ばれた三年は手を弛めない。
「今すぐ身を引けよ。はまにゃんに僕は相応しくありませんってつぶやけよ。すぐだ!今!」
相手は俺より背も高くガタイも良いガチ勢三年生。鬼気迫る表情の恫喝に、何ヶ月か前の俺なら足も震えるところだろう。
でも正直な話、あの社長の恫喝に比べたら文字通り子供騙しに感じてしまう。悪いが恐れの感情は生まれてこない。
「あのですね、そもそも俺は何も言ってませんし、ファンがこんな事すると濱屋さんも悲しむんじゃないっすか?」
「なんだとてめぇ!」
彼がそう声を上げた次の瞬間、ガチ勢の身体は後方からの衝撃で前につんのめる。
「うおっ!?」
倒れ込むガチ勢を何とか回避すると何やら聞きなれた声がする。
「おっさん。道の真ん中で邪魔なんすけどー」
両手をポケットに突っ込み、踵を踏んだ上履きを履いた足を片方あげる紙谷庵司の姿。ガチ勢のブレザーに付いた足形を見るに後ろから蹴りを入れたようだった。
「おっと、誰かと思えば親友じゃん。お?もしかして絡まれてる?助けてやろうか」
「別に平気だよ。あっち行けよ」
掴まれていた胸元を正しつつ、へらへらと軽薄な笑みを浮かべる紙谷をシッシッと手で追い払う。ガチ勢先輩に何かを言おうかとも思ったが、何を言っても煽りにしかならなそうだからそのまま立ち去ることに決めた。
「取り合えずお礼はジュースでいいや。悪いね、ご馳走様。うへへ」
ペタペタと踵踏み上履きの音を立てて歩きながら俺の後をついてくる。紙谷の意図はわからないが、事実まぁ助かったとも言えるのでジュースくらいは買ってやろうと思う。
◇◇◇
で、放課後。今までは毎週月水がコンビニバイトだったが、今は曜日不定期だ。白田の仕事が無いときでもビジネスマナーやコンプラ研修などやることは沢山ある。残り一年ちょいの芸能生活だけど、その後の人生にもきっと役に立つと思う。社長がそこまで考えているかはわからないけれど。
都心近くの都内某所にある白田と俺の所属事務所。名前は『(株)バブルボムプロダクション』社名の由来はわからない。
「今日もバイトだから先帰るわ」
「うん、頑張って」
柊と別れて下駄箱ロッカーを過ぎて校門に向かう。すると、門のすぐそばに真っ青な高級車が止まっていて嫌な予感がする。
「あっ、雨野さん発見♪おーい」
嫌な予感は見事的中。車の窓が開くと、能天気な明るい声が聞こえてくる。声の主はあかさたはまやら濱屋らん。
青い高級車にざわついていた下校途中の生徒達はさらにざわつくことになる。
できるだけ何事も無く通り過ぎたかったが時すでに遅し。俺に迫られた三択は①丁重に挨拶をして速やかに離脱②気づかないふりをして速やかに離脱③校舎に戻るの三つ。さて、どうするか?と考えてとりあえず踵を返して校舎に戻る。
「あれ、戻っちゃった。忘れ物かな?お~い、あ・め・の・さ~ん♪」
小悪魔風にカスタマイズされた制服を着た濱屋らんが車から出てきて校門へと近づく。ウェーブ掛かった銀色の髪に青のメッシュ。嫌が応にも目立つ。
「うそっ、あれ濱屋らんじゃない!?」
「まじだまじだまじだ。やばいやばい」
「はまにゃ~んっ!」
突然の人気タレント来訪に下校途中の都立高校生と達は騒然となる。
「は~い♪はまにゃんでーす」
笑顔で手を振りファンサービスを振りまく。
「はまにゃん超カワイイ!」
「ありがと~。ねぇねぇ、サインあげるから雨野さん呼んで来てくれない?流石にうちが学校に入っちゃまずいじゃん?」
握手をする女子は大ファンらしく、当然昨日のラジオも聞いていたようだった。
「えっ……それってもしかして昨日ラジオで言ってた……?」
「おおっ♪リスナーさんだぁ。いつもありがとありがと。名刺もあげよう」
ポケットから名刺入れを取り出してファンサービス用の名刺を一枚手渡す。名刺を手渡すと、濱屋らんは照れくさそうな表情をして、五月の向かった方向をちらりと見る。
ファンはその視線で全てを悟る。
「今っ、呼んできますね!雨野く~ん!」
彼女は五月と面識などないが、濱屋らんが望むのだからしょうがない。結果として、校舎へと引き返した事が騒ぎを大きくした事に気付いた五月。
物陰に隠れつつ少し考える。そのまま出頭して濱屋の思惑にはまるのはどうもうまくない。かと言って逃げるも引き返すもあまり得策とは言えない。考える時間はあまり無い。
取り合えず彼女のマネージャーの汐崎太郎氏へと連絡を取る事にする。年齢詐称でないのなら車を運転できる年齢ではないはず。とすると彼が運転している可能性は高い。二度コール音が鳴った所で電話が繋がる。
「あ、私白田桐香のマネージャーをしている雨野五月です。先日はどうも」
「雨野さん。こちらこそお世話になっております」
「つーか、ぶっちゃけ聞きますけどそこで何やってんすか?」
ざっくりと切り込んだ五月の質問に汐崎太郎も困惑げな声。
「いやぁ……、何と言いますか非常に申し上げにくいのですが、所謂出待ちでございます」
「いやいやいやいや、逆でしょ逆。何で人気タレントが出待ちしてんすか。つーかマジで迷惑なんでとりあえず場所変えてもらっていいですか?警察呼びますよ」
『太郎ちゃん、誰と電話してんの?あっ、雨野さんじゃん雨野さーんっ♪』
『らんちゃん!雨野さん本当に迷惑してるから!とりあえず車出そ!時間も迫ってるから』
電話の向こうで二人のやり取りが聞こえてくる。
「雨野さん!今車出しますので!この度は大変ご迷惑をお掛けしました」
「えぇ、本当に。つーか謝るくらいなら最初から止めてくださいよ。では」
電話を切ると僅かな間も置かずに青の高級車のエンジンが掛かり、都立高校生たちの惜しむ声を浴びながら颯爽と姿を消した。
ほんの少しだけ、白田の大変さがわかったような気がした一日だった。