夢と嘘の世界
◇◇◇
「桐香さん、そろそろ現場に着きますんで」
「まだ普通に話して平気なんですけど」
日曜日。今日は朝から仕事な訳だけど車の免許も持っていない俺は当然誰か……具体的には沢入さんの運転する車に同乗しつつ、彼女の業務の補助を行う形だ。
「雨野くんの誕生日ってやっぱり五月?」
「五月十日ですよ」
「なんで白田が答えるんだよ」
「てことはもうすぐ教習所通えるわね。確か誕生日の少し前から通えたと思うから」
「え、マジですか」
それを聞いて白田はさっそくスマホで検索を始める。『車の免許 十八歳より前』。
「本当だ。二か月前から通えるんだって。でも仮免?っていうのは十八歳にならないとダメみたいだけど」
「へぇ。でも金がなぁ……」
「別にわたし出すよ?」
「いやいや、何でそうなるんだよ」
「誕生日プレゼントでいい?」
「やめろ」
調べてみると三十万位掛かるようだ。今まであまり考えた事は無かったが、車の免許を取るという選択肢もあるのか。
「いやー……、でもなぁ」
腕を組んで首を捻る俺を白田は不思議そうに眺める。因みに俺の服装は黒っぽいリクルートスーツ。
「なにか?」
「んー。当たり前の事なのかもしれないけどさ。免許を取って車を運転するって事は、……白田の命を預かるって事だよなって。そう考えると結構怖いなってさ」
視線を感じたので白田を見ると、何やら嬉しそうににやにやと俺を見ている。
「なにか?」
人が真面目に話しているのに失礼な奴だな、と『なにか?』返しで冷たい視線を送るが、白田は全く意に介さない様子で変わらぬ笑顔を俺に向けて来る。
「ん?当たり前にわたしを乗せてくれる前提なんだなって思って」
一瞬ギクリとしてしまったが、慌てる様な場面ではない。
「いやいや、当たり前じゃないっすか桐香さん。タレントの送迎はマネージャーの仕事なんで」
「へぇ。やっぱり雨野サンはお仕事でわたしに優しくしてくれているって訳なんですね。別にいいですケド」
拗ねた様な表情でわざとらしくそっぽを向く。運転席では沢入さんがクスクスと笑っている。
「あのな。仕事は仕事、それ以外はそれ以外。何か悪い事あるか?」
「ううん、何も。ただ嬉しかっただけ」
そんな話をするうちに車は今日の仕事場へと到着する。
◇◇◇
グラビア、CM、ドラマ、バラエティと活躍する白田桐香。今日の仕事はラジオの公開収録だ。
外から見えるガラス張りのスタジオ前には沢山の人が既に集まっている。パーソナリティは白田の一歳年下の人気タレント『はまにゃん』こと濱屋らん。不思議ちゃんを装った飾らないあけすけなトークが人気を集めているらしい。収録開始は十九時。番組名は『+SIX』。十九時に六時間足した真夜中の様なノリのガールズトークが売りのようだ。余談だけど、コンビニを辞めてこの仕事をするようになってから時間の表記を二十四時間表記に改めた。朝五時にも平気で仕事をするような世界なので、一々『朝の』とか『夕方の』なんて付けていては間違いの元だ。
俺と沢入さんはスタジオ袖の外からは見えないところで待機。濱屋らんのマネージャーの男性と名刺交換を行う。名刺には汐崎太郎と書かれている。年齢は二十代中頃くらいか?イメージで語って申し訳ないけれど、眼鏡を掛けていてきっちりとした身なりの芸能界らしからぬ人物という印象。うちの社長とは大違いだ。
汐崎さんはキッチリと両手で名刺を受け取った後で、明らかに小僧な俺の顔を二度見した。
「……失礼ですが、もしかして」
その質問の続きは聞かなくても分かる。俺が答えるより先に沢入さんが断りを入れる。
「私共はタレントを売るのが仕事ですので、それ以上はご容赦いただければと思います」
沢入さんがにこりと微笑むと、汐崎マネージャーは恐縮そうにぺこりと頭を下げる。
ガラス張りの公開スタジオには『桐香ちゃーん』とか『はまにゃ~ん』とか、男女問わず声援が飛び、照れくさそうに白田は手を振る。白田の向かいに座るのがメインパーソナリティの濱屋らん。
肩より少し長い髪はウェーブがかった銀色で、所々青いメッシュが入っている。カラーコンタクトを入れているのか、両の瞳も青い。服装は学校の制服の様だが、悪魔の羽の様に見える蝶ネクタイなどいろいろカスタマイズされている様子だ。
濱屋らんもニコニコと満面の笑顔を見せながら観衆に両手を振る。まもなく収録が始まる――。
「うちはあんたの売り方どうかと思うけどなぁ」
「え?」
ニコニコとした笑顔から腹話術の様に不釣り合いな言葉が聞こえてきて、白田は思わず聞き返す。らんはチラリと白田を見たかと思うとテーブル越しに白田の手を取り、観衆に仲良しアピール。悲鳴のような嬌声が辺りを包む。
「ほらほら、笑顔笑顔♪」
怪訝な表情の白田に笑顔を促す。白田もはっと笑顔を作る。夢を、嘘を売る商売。
「い……今のは、どういう意味ですか?」
できるだけ自然に笑顔を作りながら問い返す。
「ん~?言葉通りだけど。純愛アピールして?あと一年くらいで辞めますって?んふふふ、そりゃ皆物珍しいから群がっちゃうよね。で、飽きられる前に辞めちゃうと。見た目によらず計算高いんだね~、桐香ちゃんは」
「そんなのじゃありません」
「ま、別にどっちでもいいけど~。それじゃそろそろ本番だからね。辞めるからって適当な仕事は止めてよね」
濱屋らんがチラリと時計を見ると時刻はちょうど十九時。スタッフと目配せをした後、オープニングの音楽が鳴り、公開収録が始まる。
「は~いっ♪あかさたはまやら濱屋らんですっ♪真夜中みたいなガールズトーク『+SIX』!今日はスペシャルゲストに話題沸騰のシンデレラガール!眠らない白雪姫こと白田桐香ちゃんをお迎えしての放送で~す。桐香ちゃん早速自己紹介お願いしますっ」
濱屋に促されて観衆の方を向いて立ち上がる白田。
「白田桐香です。今日はよろしくお願いします」
「ちょいちょい、桐香ちゃ~ん。立ったら声拾わないよ~」
「えっ!?あっ!わっ!」
慌てて着席して照れ笑いを浮かべると、『かわいい~!』と黄色い声が響く。
「……えと、改めまして。白田桐香です。ラジオは初めてなので、ちょっと……かなり……すごく緊張しています。どうぞよろしくお願いします」
ペコリと頭を下げるとゴッとマイクに頭がぶつかる。
「そんな天然気味の桐香ちゃん!九月に発売された写真集が今もまだ売れ続けていてですね、なんと!この度写真集年間売り上げ一位を達成したんですって~。拍手~」
パチパチと拍手をしながらずいっと身を乗り出してひそひそ話のフリをする。
「ここだけの話、三十万部売れてるらしいんだけど……一冊三千円とすると幾らになると思う?」
「三十掛ける三千だと……」
言われるままに首を傾げつつ指折り数えると答えはすぐに出る。
「えっ……九おっ――」
言いかけて白田はそこで言葉を止める。
「羨ましい限りですね~。因みに印税の使い道は?」
「印税……。お給料に入ってるんですか?」
「マジか。これはちょっとマネージャーさんに聞いてみますかぁ。桐ちゃんのマネさ~ん」
スタジオの袖を振り返り、五月と沢入の姿を確認して大きく手を振る。
「写真集の印税契約どうなってるんです?」
沢入女史の説明によると、新人のファースト写真集なので本来これほど売れるとは見込まれず権利買取の契約になっているとの事だった。但し、一時金の形で還元している事に加え、多大な貢献は次回の契約更新時にしっかりと織り込ませてもらう旨と、次に著作物を発売する際にはしっかりと印税契約を結ばせてもらうと付け加えられた。
白田本人はお金にそこまでの執着も無いため、ふんふんと頷きつつ他人事の様に話を聞いた。
「んふふふ~、残念桐香ちゃん。九千万円惜しかったねぇ」
「……お仕事楽しいからいいんです」
「またまたぁ。と、こ、ろ、で!桐香ちゃんと言えば皆絶対聞いてみたい事が一つあると思うんだけど――」
濱屋はチラリと五月を見るとニコリと微笑む。そして再びひそひそ話の形を取って白田桐香に囁きかける。
「あのマネージャーさんが例の人?」
ラジオの公開収録。ひそひそ話などでなく、当然その声はマイクが拾っている。
期待に満ちた歓声が辺りを包んで響く。