最後の仕事
◇◇◇
『ドラマみたいで素敵だな~って!』
『桐香ちゃんらしくて納得しちゃいました』
『どうせ相手もきっとイケメンなんだよなぁ』
『一度振られてるって絶対嘘だろ。そういう設定だろ』
『卒アル見たけど言うほど太ってないよね?』
『いまだにこんな芸能界のウソ信じてる奴いるのかよ』
『も~、びっくりしちゃいますよね~。私こ~んな小さい頃から知ってるんですよ。何度もうちに遊びに来たりもしましたしねぇ。もうなんなら自分の娘みたいに思っちゃってますし』
十一月の終わりも近づくある日、とある番組で取り上げられた白田桐香への反応のまとめだ。最後の一人は俺もよく知る人物。目の前で大福を片手にテレビを見ている人物。つまり母。
「よかったね~、五月。イケメンだって」
お茶を噴き出しそうになるのをなんとか堪えつつ、何食わぬ顔で大福を食べながら話を振ってくる母に白い眼を向ける。
「いやいや。それより最後のさ。何してんの、本当」
「こないだ外でたまたま取材が来たから答えちゃったのよ~。あれかな?これがきっかけで私にもドラマのオファーとか来たりするかな?」
「……おしゃべりおばさんの役でも来るんじゃねぇの」
「ひど。桐香ちゃんに言ってやろ」
そう言って早速スマホをポチポチ操作し始める。
「なんで当たり前の様に白田の連絡先知ってんの?」
「ん?こないだバッタリ会った時に交換したんだけど悪い?あぁ、あんたに断り入れたほうがよかった?マネージャーさん」
大福片手にニヤニヤと俺に薄笑みを向けてくる母。
「絶対に他の人には漏らすなよ」
「勿論よ。何を聞かれても知らぬ存ぜぬで突き通す所存よ」
ピロンと母のスマホにメッセージが届く。
「あはは、も~。本当に桐香ちゃんかわいいんだから!」
言い終えてチラリと俺を見る。
「なんて送られてきたか見たい?」
「や、別に」
「強がっちゃってまぁ」
「強がってねぇから」
「はいはい。そういうことにしておきましょうかねぇ。それよりあんた、明日でバイト最後でしょ?ちゃんと何か手土産持っていきなさいよ。一年と少しお世話になりました、って」
「あー、帰りに買うから平気」
母の言うように、高校一年の途中から始めたコンビニバイトは明日で辞める事になっている。白田の事務所で働く事になり、どう考えてもシフトに入れなくなってしまう為だ。須藤さんをはじめとして店の人は皆いい人達だったし、寂しくないかと言えば正直な話嘘になる。
◇◇◇
「一年間お疲れ様。これからも頑張って」
夕方五時に引継ぎをすると、五時上がりのパートのおばさんから声を掛けられる。一緒に仕事をしたことはほとんどないけれど、一年以上ずっと毎週水曜日のこの時間に引継ぎをしてきたのでやはり少し感慨深い。
「あざっす。裏に菓子あるんで適当に食べてください。一年ちょいの間ありがとうございました」
ペコリと頭を下げるとなぜか涙腺の奥がジワリと来た。
「お。終わった?んじゃ早速業務就いてね。君にとって最後でもお客様には関係ねーから」
バイトリーダーの須藤さんからチクリと苦言を呈される。勤務中はたばこを吸わないし、意外と言ったら失礼だけど、流石にしっかりしている。
そんな流れで俺の最後のコンビニバイトが始まる。
別に何のドラマも無く、いつも通り淡々と粛々と。高校一年の七月から始めて、今が高二の十一月。一年以上、一年半未満。
いい思い出も悪い思い出もそれなりにある。一番悪い思い出……と考えると、何でそんな要望が通ると思うのかと首を傾げたくなる様な自称『お客様』が何人か浮かんだ。あまり気持ちの良いものではないのでそれ以上思い出さないようにそっと記憶に蓋をしてみる。
で、いい思い出。
考えるまでもない。
なので、こちらもそのままそっと記憶に蓋をしておく。
そもそもまだ何も終わっていないし、寧ろ始まったばかりなのだから。振り返るならもっと後でいい。
毎週月と水はコンビニバイトの日で、特に約束などしている訳ではないけどここしばらくずっと白田はバイト上がりの夜十時少し前にここを訪れる。
で、この日は来なかった。仕事は入っていたはずだけど、別に約束をしている訳でもなんでもないからとやかく言う筋合いも無い。
そして時計の針は午後十時を示す。
「お疲れ。雨野、上がっていいぞ」
裏で在庫チェックをしていた須藤さんが顔を覗かせる。
「あざっす。お疲れ様でした」
「おう、お疲れさん。お達者で」
ひらひらと手を振りながらレジを交替して淡白な別れの挨拶を終える。確かに俺が勝手に少し感傷的になっているだけで、よく考えなくてもバイトが一人辞めるくらい何でもない事だろう。
ともかく、微かな達成感と何となくの寂しさと共にバックヤードに下がる。
「お疲れ様」
聞きなれた声。目の前には小さな花束を持った白田の姿。
「……不法侵入は犯罪っすよ、白田さん」
「もう。最初に言う言葉がそれ?ちゃんと須藤さんに許可貰ってるもん。一年間お疲れ様、五月くん」
手に持った小さな花束を俺に手渡して、パチパチと拍手をする。
「いやいや、須藤さんに許可って。あの人だってバイトなんだからさすがにそんな権限ないだろ。っていうか、いつの間にそんなやり取りを――」
「ちゃんとオーナーの許可貰ってるっつーの。桐香ちゃんのサインで手を打たせた」
再びバックヤードに戻ってきた須藤さんはそう言って笑う。白田はいつも従業員口の外で俺のバイト上がりを待っている。当然須藤さんもそれを知っているので、さっき在庫チェックをする体で裏に下がり、待っている白田に声を掛けたようだった。そもそも白田が来ることは織り込み済みだった様で、日中のうちにオーナーに許可は取っていたと言う。
「これも物書きの洞察力ってやつっすか」
「まぁね。便利だろ?ほれ、制服脱ぐ前に一緒に写真でも撮ってやるよ」
シャツ一枚羽織るだけの制服だけど、バイトを辞めれば当然着る機会もない。
「おっ……お願いします!」
白田はスマホを須藤さんに差し出して頭を下げる。
バイトの制服を着た俺と、その隣に立って白く長い指でピースサインをする白田。
「んじゃ撮るぞ」
間を置かずスマホのシャッター音が鳴る。念の為、と二度三度。
「俺個人としては桐香ちゃんにもうちの制服を着て撮ってもらいたいところなんだが、まぁ一応部外者だしな。もし着たければCMでも受けてくれや、ははは」
手渡されたスマホの画面を眺めて白田は嬉しそうに微笑む。
何だか妙に照れくさくて、照れ隠しに頭をかいてみる。
「お礼に須藤さんの本が出たら買いますんで」
「おう、頼むぜ。いつになるかはわかんねぇけどな」
「わたしも宣伝しますね!」
「……あー、それはちょっと影響が怖いな。ま、とにかく。お互い頑張ろうや」
須藤さんが右手を差し出してきたので、俺も自然と右手を差し出す。須藤さんが右手に力を入れてきたので、俺も負けじと力を入れ返す。最早握手とも言えない握力比べだ。
「痛……いてててて!てめぇ、コラ!少しはおっさんを労われ!」
「一応筋トレとかしてるんで。おっさんて言っても須藤さんまだ二十代じゃないっすか。……とにかく、お世話になりました」
「おう」
右手はジンジンと痛く、熱い。涙腺が少し緩んだのはきっと手が痛んだからだろう。