午前一時の白雪姫
◇◇◇
ベッドを背もたれにして雨野五月と白田桐香は並んで座っている。ベッドから下ろした見た目より軽く心地よい匂いのする布団に包まれながら互いに肩を寄せる。
隣り合う左手と右手を繋ぎ、微かに手に力が入ったのを合図にするかのように顔を上げると、頬を寄せる。
「……おかしいね。まだ付き合ってもいないのに」
そう言って白田桐香は照れくさそうに笑う。
「そうだなぁ」
雨野五月も軽く呆れ笑いを浮かべながら答える。
明かりも付けずに真っ暗な部屋で、ベッドを背もたれにして布団に身を包み、身を寄せ合う。
どの位時間が経ったのか、今が何時なのかもわからない。
ただ身を寄せて頬を合わせる。
「お母さんはあんまり帰り遅くないんだ」
残念そうに白田は呟く。
「それは残念」
五月が正直に答えると、白田はまた顔を上げてジッと五月を見る。
「残念って。じゃあもし遅かったらどうするつもりなの?」
「いやいや。別に何も」
ジッと五月を見る瞳に若干の抗議の色を宿らせながらも、プイッとそっぽを向いてまた肩に寄り添う。
「ふーん。そう」
五月の言うことは完全に嘘ではない。
今の状態で一線を越えてしまうのはフェアではない。今のまま――、真っ暗な部屋で隣に座るお互いの体温を感じながら言葉を交わし、時折唇を合わせる時間がいつまでも続いてほしいと願うのも真実だ。
今この瞬間だけは、何も他のことを考えなくていいのだから。
「これからどうしよう」
少しの沈黙の後で白田は呟く。
伊吹こずえの怪我のこと、学校のこと、仕事のこと、五月とのこと。様々なことの、これからのこと。
例えば仕事を辞めたとして、平和な学校生活は戻ってはこないだろう。
「学校ではずっと伊吹さんらが守ってくれてたんだよな」
白田はコクリと頷く。
「憎まれ役ってわかってて、それでもずっと。こずえも、委員長も。わたしのせいで――」
「待った。『せいで』はもう止めよう。伊吹さんだって委員長だって、白田のことが好きで守ってくれてたんだろ?なら逆に失礼だ」
「……ごめん。社長からはね、芸能科のある学校への転校を勧められてたんだ。今の学校だと休めないから仕事に制限があるでしょ?だから、その時に移っていればなぁ……って、思っちゃったり」
「仕事自体は嫌々やってた訳じゃないんだろ?」
白田の顔はまた五月の肩から離れる。
「うん。親も皆も喜んでくれるし、本物よりも綺麗に可愛く撮ってもらえるし」
言い終えてジッと五月の反応を待つ。
「……何か?」
「白田は十分綺麗で可愛いよ、って言ってくれないかなぁって思って」
「……お前なぁ」
「言わない?」
呆れ顔で小さくため息を吐く。
「白田様は十分お綺麗でお可愛いですよ」
「ねぇ!『お』抜いてよ!なんかヤダ!なんか違うよ!?」
「そりゃ無理だろ。最大限譲歩したぞ」
「もうっ、意地悪」
そう言いながらも猫の様にまた五月に身を寄せる。
白田の体重と体温を左半身に感じながら五月はぼんやり漠然とあるイメージが浮かぶ。
机上の空論を積み重ねた砂上のパズル。
「仕事を続けたいなら転校するのがベストなんだろうな。契約もあるんだろ?」
コクリと頷くのがわかる。
掛かる費用は会社が持ってくれるとも言っていたそうだ。確かに今の白田の状況を考えればそのくらいの金額はすぐにペイ出来るだろうし、少なくとも卒業までのもう一年の契約延長にも有利に働くだろう。
「まぁ、先の事は今はいいや。学校も暫く休んだらいいと思う。今考えるべき事は、……白田のお母さんがいつ帰ってくるのかって事だな」
「……あぁ、うん」
言われて渋々ベッドの上にあるだろうスマホを手探りで探す。明度は最大限落としてはいるが、それでも明るいスマホの光が仄かに部屋を照らす。
「……多分あと三十分くらい」
「そっか。迷惑でなければ今日起こった事とか一緒に説明したいんだけどいい?」
「それは勿論……、だけど。じゃあ、その前に最後にもう一度だけ――」
◇◇◇
――その日の夜はなかなか眠れなかった。
伊吹さんと委員長からいくつかメッセージが来ていたけれど、紙谷と柊からは何故か一件も来ていなかった。
委員長からのメッセージによると、伊吹さんの顔の傷はやはり少し痕が残ってしまうかもしれないとの事だった。当の伊吹さんからは白田の心配をするメッセージばかりだ。
本当に白田はいい友人に恵まれたと思う。
委員長は皆が撮っていた動画などの証拠を集めて伊吹さんに瓶を投げた人物を糾弾しようと考えている様だが、それにより白田が学校側から疎まれる事も懸念していた。
もっともその人物は既に柊により一部制裁を受けている様子だった。別に何のことは無い、校門付近で適当にたむろして、目当ての人物が現れたら『何見てんだよ』との導入から『目つきが気に入らない』のコンボだ。乗ってくれば即喧嘩だし、及び腰ならトコトン詰めて追い込み結局ぼこす。
白田の家に向かう際に『用事が出来た』と言っていたから大方そんなところだろうと思ってはいた。そういったチンピラ然とした不法行為は褒められた事では無いと思うが、今回は何も言わないでおく。
紙谷は嫌がる伊吹さんをちゃんと病院に連れて行ってくれたようだった。彼女は彼女で、病院に行くと白田に迷惑が掛かるかもしれないからと最後まで渋っていたらしい。
少しスマホで調べものをしながら窓の外を眺める。
砂の上にパズルを一つ一つ積み上げる様に、机上の空論を積み重ねる。
伊吹さんにも、委員長にも、柊にも紙谷にも悪いけれど、白田がちゃんとこれからも笑って過ごせる様にと。ただそれだけを思いながら。
時計を見ると夜の一時を回っていた。
『白田、起きてる?』
メッセージを送ると、栄養ドリンクを片手に目がギンギンの羊のスタンプ。次いで返信。
『起きてるよ』
『仕事、好き?』
『うん、好き。仕事も、五月くんも』
『あくまでも俺の意見なんだけど』
『あ、流された。もうっ。なに?』
『仕事はまだ続けるべきだと思う。少なくとも契約満了までは』
違約金とか損害云々とか、勿論そんな現実的な理由も少しある。
仕事が嫌で苦痛ならしょうがない。けれど、もしそうでないのならば、どうか辞め時は白田が満足したときであって欲しいという至極身勝手な俺の我が儘だ。
その場合は今の学校へは通えない。いや、辞めたとしてもどの道『普通の高校生』の学校生活は送れない。
『うん。わたしもそう思うし……、そうしたい。でさ、それはともかく……』
白田のメッセージは一端そこで止まる。なぜそこで止めるのかわからないが、十五秒程待っても続きが来なかったので催促を掛ける。
『ともかく?』
『……会う?』
突拍子も無い提案に思わず声が出る。
「今!?」
そしてその声のまま入力送信するとすぐに返事が来る。
『うん、今。……だめ?』
『いやいや、ダメに決まってんでしょ。今何時だと思ってんすか』
『ん?一時過ぎ。ふふ、それじゃ十分後にまた』
『話聞け』
多分きっと冗談では無い。急ぎ着替えてこっそりと家を出る。
午前一時、夜の町、白田の家へと。