フラジャイル
◇◇◇
――振り返れば雑誌の巻頭グラビアも、テレビ出演も、写真集の発売も全てはさざ波の様なものだったのだと知る。
『今日から放送だよっ』
いつも通りの事前告知。語尾の促音から何となく白田も楽しみにしているのだと勝手に想像をする。
白田桐香初のテレビCM。某鉄道会社のスキーのCMだ。
降り注ぐ雪の中、スキーウェアに身を包んだ白田が振り返って手を伸ばす。微かに微笑んだその口元に一片の雪が落ち、それを照れくさそうにそっと手で拭う。キャッチコピーは『雪とわたしが待っている』だ。
このシリーズは、あまりテレビや芸能に詳しくない俺でさえも知っている有名CMだ。テレビの他に、様々な駅にポスターも並ぶ。一言で言うなら大抜擢だろう。
白い雪と白田桐香。すごい当たり前な事なんだけど、白い雪で白雪姫か。
『これどこで撮ったの?』
『北海道。一泊二日の弾丸ロケだよ。わたし学校休めないから』
『マジか。すげぇな』
沖縄での写真集撮影時に情報を漏洩させてしまった事を反省した白田の情報管理は徹底していた。土日は仕事をしている事が多い事は知っていたが、まさか泊りがけで行っていたとは恐れ入った。
『全然気づかなかったでしょ?』
得意げにニヤリと口角を上げるなんか牙か角がすごいブタかイノシシのスタンプ。
『いいなぁ、北海道。お土産買ってきてくれたらよかったのに……』
『えっ、……ごめん』
『や、冗談。マジで。相手が誰でも仕事上の秘密を洩らさないってのはマジで偉いと思う』
『ありがと』
白田の学校は芸能活動を許可している訳で無いらしく、校則で禁止はされていない以上黙認はするものの休んだ場合の代替措置等は一切無いそうだ。天候の問題もあるのに誰も好き好んで一泊二日の弾丸ロケをする訳がない。つまり、このCMを作った人はそれでも白田桐香を使いたかったと言う事だ。
そして、その狙いは見事に当たったと言わざるを得ない。
セリフが三つのドラマ出演の時とは全く違う。わずか十五秒程度、セリフの一つも無いこのCMには間違いなく見る人を引き込む力がある。
話は戻るが、休んだ場合の代替措置が無いとの事だが、芸能活動でなく将棋の棋戦の場合はどうなるのだろう?と何となく気になった。仮に高校生棋士が生まれたとして、対局は平日もあるんだけどその場合は?多分認められる気がする。多分だけど。
◇◇◇
そのCMはその日のうちにすぐ話題になった。
翌日の昼になる頃には『あのCMの美少女は?』というまとめサイトがいくつも作られていて、通っている学校もすぐに特定されていた。俺は白田の事を検索しないようにしていたけれど、ネットニュースのトップページに白田のことらしき記事を見つけてしまったので、やむを得ず見る事にした。
何か今までと違う事が起きそうな気がして、少しでも何が起きるのかを知っておかなければならない気がしたから。
「五月、トップページに白田載ってるけど」
そう言う紙谷も特に嬉しそうな様子では無い。
「あー、うん。見た。さっき見た」
いつも何気なく日々見ているこのページに載ると言う事は、どのくらいすごい事なのだろう?
いつも漫然と眺めていたまとめサイトの情報。全てが真実だなんて思ったことも無いけれど、平然と誤った情報が載っている事に少しだけ動揺した。
『CM、結構な評判みたいだけどそっち平気?』
送って少し待つが返信は無い。別にいつもいつも即時返信が来るわけじゃない。スマホを片手にきっと険しい顔で返信を待つ。
「五月」
柊が俺を呼ぶ声と共にギィと椅子を引く音がする。振り向くと柊が立ち上がっていた。
「行く?」
どこに、なんて聞かなくてもわかる。
「行く」
まだ午後の授業もあるがしょうがない。正直な話、気になってそれどころではない。
俺と柊が鞄を持ち教室を出ると、後を追って紙谷も出てくる。
「待てって。俺も行くわ」
「へいへい、お好きに」
別に行ったところでどうなるわけでもないし、そもそもが校舎には入れない。それでも黙って教室にいるよりずっと良い。
◇◇◇
「勝手に写真撮るのは止めて下さいねー。相手が嫌がる事はしないでくださーい」
伊吹の制止も虚しく教室の外からも白田にスマホが向けられる。
「桐香ちゃーん!」
「サインしてー!」
写真集が何周連続一位だとか、年間売り上げが上位だとか、テレビの時代は終わったと言われながらもやはりまだ影響力は大きい。伊吹こずえと数人の男子生徒が協力して人が殺到しないように導線確保をしているが、学年問わず人が集まる。
どれだけ注意しても向けられるスマホと、時折光るフラッシュに伊吹のイライラも限界だ。
「……だから勝手に撮るなっつってんだろ!」
「うるせぇ、引っ込めデカ女」
「あぁ!?今言った奴出てこい!」
白田は申し訳無さそうな顔で、自身の前に立ちはだかる伊吹の裾を引く。
「……こずえ。もういいよ、大丈夫だから」
「いや、大丈夫って。無理に決まってんでしょ」
白田は首を横に振りニコリと笑う。
「ううん、平気だよ。ありがと」
白田は立ち上がり、教室の外に群がる生徒達に声を掛ける。
「教室に集まると他の皆の迷惑にもなるので、廊下に出ますね」
――これ以上伊吹に敵意が向くのは耐えられない。高校に入学して初めて出来た友人だ。たまに口は悪いけれど、明るく元気で優しいいい子なのだ。無条件に誉めてくれる彼女のおかげで少なからず自信が付いたし、彼女の提案のおかげで芸能事務所のオーディションを受けて、雑誌のグラビアに載ることが出来て、雨野五月と今の関係を築けた。
「ちょっと桐香。止めとけってば!」
白田の手を引き、廊下に出ようとするのを制止する。
「大丈夫。写真撮られるのは慣れてるから」
「バカ!そうじゃないだろ!慣れてるとか関係無いんだよ!」
今この瞬間も、同じ学校の芸能人に向けられる好奇の瞳とスマホのレンズ。
「本人が良いって言ってるんですけどー?」
「……うるせぇ!黙ってろ!」
無責任な野次に伊吹の怒声。その怒声に反応してか、群衆の一人が伊吹に向かって何かを投げる。
飲み終えた飲料ドリンクの瓶。校内では瓶は売られていない為、校外で買ったものだろう。バレーボール部のエースとして活躍する運動神経抜群の伊吹は、とっさに白田の手を引き彼女を庇う。
恐らくは威嚇目的で投げられたそれはクルクルと回転しながら伊吹の横を通り抜けてすぐ後ろの窓ガラスに激突し、ガラスを破壊する。
ガシャン、と音がしてガラスが飛散してほぼ同時に生徒たちの悲鳴が飛び交い、それを合図の様にして群衆たちは蜘蛛の子を散らす様に足早にその場を立ち去っていく。
「……こずえ、今のって」
瓶が投げられたことにも気が付いていない白田が耳にしたのはガラスの割れる音だけ。顔を上げた白田は驚き目を丸くする。
窓ガラスが割れて、割れたガラスが飛散している。そして、もう一つ――。
「あー。どっかのバカが瓶投げやがったの。……ったく、うちの大事な姫に傷が付いたらどうすんだっての」
呆れ顔でため息を吐く伊吹の頬には一直線に赤い筋。そこから流れる赤い液体。ガラスが散った際に切ったのだろう。両手で白田をかばっていた為に避けられなかったのだろう。
「こずえ、顔。……ケガしてる」
自分で言っていて目に涙が滲む。
「え?あぁ、平気平気。ほんっと桐香で無くてよかったよ、あはは」
傷はスッパリと切れている。明るく笑う伊吹に白田は俯いて首を横に振って答える。
――結果的に、この日が白田桐香の最後の登校日となった。