小さな小人の小さな一歩
◇◇◇
『次の日曜、暇だったりしねぇ?』
珍しく五月からの遊びの誘いに和久井柊は一瞬目を丸くする。
「おっ柊くん、どした~。猫の画像?犬の画像?」
ソファに座りスマホを眺める柊に背後からまとわりつく少女。一見すると白田や伊吹よりも年下にすら見えるが、実際の年齢はもう少し上。相宮詩子二十二歳。看護師二年目の社会人だ。
「いや、五月から。あのさ、日曜日出掛ける予定だったけどキャンセルしてもいい?五月から誘われるの珍しいから、何かあるのかなって」
「お。噂の五月くんかぁ。もちろん良いよ、友達優先!青春は一度しか無いからね。あたしは柊くんの青春の邪魔だけはしないようにって決めてるのさ」
ソファ越しに柊に寄りかかりながら得意げにうんうんと何度か頷く。
「青春の邪魔って。見た目的にはまだ全然青春の範囲内だと思うけど」
「あ、言ったね?そんな事言うとまたコンビニでお酒買うよ?身分証提示しちゃうよ?年齢ボタンだって押すよ?」
『二十歳以上です』のボタンを押す素振りを見せて笑う詩子さん。タバコは吸わないがお酒は嗜む程度には飲む。たまにコンビニで買うと百パーセントの確率で身分証の提示を求められる。それどころか時折夕方六時以降にゲームセンターにいると退去を求められる事もある。東京都の条例で夕方六時以降は十六歳未満はゲームセンターに入れないのだ。
「別に好きなだけ提示すると良いよ」
「じゃあ後で一緒にコンビニ行こっか。給料出たばっかだからお姉さんが奢ったげよう。お酒はダメだけどね、未成年は」
「じゃあアイスでも買って貰おうかなぁ」
詩子さんと話しながら返信をする。
『平気。何かある?』
柊にまとわりつきながらもスマホの画面は見ないように位置取る詩子さん。スマホチェックをしない寛容な女性を心掛けているのだ。
『んー、ちょっと。何と言いますか』
なんとも煮え切らぬ返答。
『他の面子は?白田さん達来たりする?』
こういう場合は待っていても適切な言葉が出てこない事が多い。質問を投げかけて答えを引き出してみる。
『いや、俺と柊だけ。まずい?まずかったら彼女連れてきてもいいから』
思わぬ返答に思わず眉が寄る。
「眉寄ってるよ~」
「いや、だってさ」
『全くまずくは無いけど、本当どういう風の吹き回し?』
『んー。いや、聞いてみただけだから無理ならいいんだ。多分デートの予定もあるだろうし』
これ以上質問の質問は『じゃあいいや』とあっさり身を引かれる気配を感じる。何だか釣りでもしているような気持ちになる。
「ちょっと電話していい?」
「もちろんだよ~」
「ありがと」
よしよしと詩子の頭を撫でて五月へと電話を掛ける。
「あ、五月?日曜日は全然オッケーなんだけどさ、詩子さん連れて行ってもいいってのはさすがに社交辞令だよね?」
「俺がそんな社交辞令言うと思うか?
「あー、だね。じゃあ一緒に行くよ」
「オッケー。悪いな」
「いやいや。じゃあ詳しい事は当日のお楽しみにするね。それじゃ」
「おう」
電話中、目を閉じてぬいぐるみの様にそっと柊に寄りかかっていた詩子さんは、電話を切ると同時に散歩をせがむ犬の様にわっと柊に詰め寄る。
「えっ、柊くん今の正気?あたしも行っていいの?柊くんの?青春の一ページに?いいの!?」
「青春の一ページかは知らないけど、五月がいいって言うならいいんじゃない」
「やっ……」
ソファから立ち上がり、小さい身体を更にギュッと縮めたかと思うと両手を広げて飛び上がる。
「……たぁ!」
全身で嬉しさを表現する。本当は柊の友人と一緒に遊んだりもしてみたかったらしい。
◇◇◇
「相宮詩子です。ずっと柊くんからお話は聞いてたけど、会うのは初めましてだね~」
待ち合わせたのは肩くらいの長さの髪を後ろでまとめた小柄な少女。その少女は背の高い柊の横に立つと更に小さく見える。年齢は俺たちと同じか少し下に見えるが、確か看護師だと言っていた。俺たちと同じ年齢で看護師になれるはずがないし、車の免許も持っていたはずだ。黒っぽいシャツワンピースにスニーカーを履き、ショルダーバッグみたいなものをたすき掛けにしている。
「あ、どうもっす。雨野五月です。今日は折角の日曜日にお邪魔しちゃってすいません。で、えーっと相宮さんは――」
「詩子さんでいいよ~」
「……相宮さんは、非常にお若く見えるんすけど、俺らと歳変わらなかったりします?」
俺の質問に詩子さんは得意げにバッグから財布を取り出して、そこから免許証を取り出す。
「あはは、ありがと~。でもね、じゃん!実は大人のレディでした」
「詩子さん詩子さん、大人のレディは自分の事そうやって言わないものだよ」
柊がニコニコとアドバイスをする。
正直な話、驚いた。何となく柊の年上の彼女って聞いていたから、モデルみたいな雰囲気のクール系元ヤンを勝手に想像していた。
「想像と違った?」
勝手に読心術を使った柊が俺に問う。
「いや、別になんの想像もしてないから」
「あはは、絶対嘘だね」
想像とは違ったが、二人のやり取りを見ていて妙にしっくりと来るのは事実だ。付き合い始めて二年くらいだったか。二人の間の空気感……とでもいえばいいのか、とにかくそれは自然に二人で作り上げたものなのだと納得できる。借り物とか作り物ではない。
「二人は、どうやって知り合ったんですか?」
「おっと、それを聞くなら君と白田さんの事も聞いて良いって事だよね?」
聞かれたくない話のようで柊から牽制が入る。
「あれは……、柊くんの一人称がまだ『俺』の頃でした」
「こら、詩子さん」
柊は詩子さんに白い眼を向けるが、彼女はそのまま語りを続けようとする。
「まだ看護学校の学生だったあたしは――」
「……詩子?」
「はいっ!怖い柊くんも格好いいね!」
悪びれる様子もなくけらけらと笑い、柊も呆れ顔でため息をつく。
「ったく。まぁこんな感じの人。悪い人じゃないよ」
「ふふん、それはどうかなぁ。悪い女かもよ~」
腕を組んで何故か得意げに微笑む。
「はいはい、わかったってば。それで五月、今日は?」
「あー、本当に大した用件じゃなくて恐縮なんだけどさ。カメラ買ったんだけど俺の如き者が一人でパシャパシャやってると通報されないかなって思って。隣にイケメンがいれば許されるかなって」
「え?」
驚いた顔で聞き直してくる柊。
「や、悪い。そんなことでわざわざデートの邪魔すんなって感じだよな。お詫びに昼くらいは奢るから――」
「あ、そっちじゃなくて。カメラ買ったの?」
「あぁ、見る?」
背中に背負ったリュックから黒いカメラケースを取り出す、さらにその中から新品まっさらな漆黒の一眼レフを取り出す。
「へぇ、本格的―」
「嘘っ!?もしかして五月くんってお坊ちゃん!?」
今度は詩子さんが驚きの声を上げる。コスプレイヤーだと言っていたから、撮られる側とはいえやはりカメラにも詳しいようだった。
「いや、貯めてたバイト代。一応親の許可を得て、一年間貯めてたの全部使って最大限いいのを買ったっす」
「一年間貯めてた分全部って……」
そう言ってきっと柊は金額の計算を始める。毎週二回各五時間。週に十時間。一年間だと掛ける五十。野暮なので金額は言わない。
残高は三桁。財布に入っている一万円が最後だ。
正直な話、誰に言っても馬鹿な行動だと思うだろう。
金額の問題では無い。大事なのは今の俺に出来る全力と言うこと。やりたいことも何も無く、お金に換えた時間と体力を使うのなら今しかないと思ったんだ。
全く後悔なんて無い。プロのカメラマンになるだなんて大それた思いもない。
「白田の写真が撮りたいんだ。だから練習に付き合って欲しい」
加賀美恭也よりも、他の誰よりも、たった一枚だけでも。白田が一番白田らしい写真を撮りたい。
他の誰もが笑うだろう馬鹿げた行為。柊も笑う。ニコリと笑い『もちろん』と頷いた。