鏡の世界
◇◇◇
都内某所の撮影所。大手芸能事務所所属の人気グラビアタレントの撮影が行われている。撮影しているのは加賀美恭也。白田桐香の写真集の撮影も行ったイケメンフォトグラファーだ。
「加賀美さぁ~ん。一体いつご飯連れてってくれるんですかぁ~?」
撮影後、巨乳の女性は胸の谷間を強調しながら猫なで声で加賀美に媚びを売る。加賀美は特に視線も送らずににこにこと愛想笑いを浮かべながら機材の整理を行っている。
「うーん、俺も萌美ちゃんもお互いに忙しいからなぁ。そのうちね、そのうち」
「例えば萌美今夜とか空いてるんですけどぉ~。加賀美さんのお陰で?こないだのフォトブックも売れたからお礼とかしたいなぁ~って」
人差し指を唇の辺りに当て、あざとく小首を傾げてアピールをする。
「本が売れたのは萌美ちゃんの魅力でしょ。俺今日まだ仕事あるから。お疲れ様」
ニコニコとした笑顔でのらりくらりと誘惑を交わす。他のお偉方であればほいほいと食いついてくる筈なのに手応えを感じず、萌美は小さくため息をつくと、部屋を出て控え室に向かう。
「もぉ~っ。お疲れさまでーす」
「お疲れ様~」
背中に軽い挨拶を受けて、少し不機嫌に歩く萌美の反対側から歩いてくる髪の長い少女。
「あっ、お疲れさまですっ」
ペコリとお辞儀をするその少女は白田桐香。元々芸能界に興味も無い白田は、度々バラエティー番組にも出る程の人気と知名度を持つ萌美の事は知らない。知りはしないが、撮影所という場所と彼女の容姿からお疲れ様です、と挨拶を交わす。
「おっつ~」
スマホを操作しながらおざなりな挨拶を交わしてそのまま通り過ぎようとしたが、チラリと見た声の主が今写真集が話題になっている噂の白田桐香であると気が付いて立ち止まる。
「あ、ねぇ。白田サンだっけ?」
「はい、白田桐香です!」
萌美は白田を値踏みする様にジロリと全身を眺めると、憐れむ様にため息をついてポンポンと白田の肩を叩く。
「彼、誰にでも手を出しちゃうから。勘違いしないでね。じゃ。おっつ~」
牽制かただの嫌味か。どちらにせよ困惑した表情の白田を見て満足げな笑みを浮かべると、ヒラヒラと手を振り帰路に就く。
「お疲れ様です、今日もよろしくお願いします」
用意された秋物の衣装に身を包み、白田桐香は頭を下げる。
「お疲れ様、桐香さん。今日は少ないカットだけど張り切っていこう」
読書の秋、読書週間に合わせた書店販促用のポスターとフォトカードらしい。雑誌グラビアと写真集に繋がる『白雪姫シリーズ』ではないが、秋の夜長に窓辺で本を広げるイメージには近いものはある。
「どうやら世間は桐香さんに不眠のイメージを持っているようだね」
年代物の木製椅子に座る白田の周りを何度か往復しながら加賀美恭也はクスクスと楽しそうに笑う。
「普通に眠りますけどね。加賀美さんのせいですよ」
あまり動かないようにしながら白田も言い返す。何度か現場を重ねてだいぶ気心も知れてきている。
「いやいや。俺は引き出しているだけだから。一枚撮るよ」
そう言って手持ちのスマホでパシャリと撮る。
「リンゴはおいしかったみたいだね」
「えっ」
唐突な質問に白田が驚きの声を上げ、また加賀美はスマホで一枚撮る。
夏休み、沖縄での写真集撮影。打ち上げの時に加賀美恭也は言った。恋心をリンゴに見立てて、彼女はリンゴを食べる決意をしたと彼は言った。好意を告げて、その結果上手くいったようだと、加賀美恭也はファインダー越しにそう捉えた。
「……加賀美さんは何でもわかるんですね」
照れ隠しの様に悔しそうに白田が呟くと、加賀美は自嘲気味に笑いスマホをしまう。
「何でもでは無いし、カメラ越しに見ればだけどね。君くらいの時にそれに気が付いていればなぁ。おっと、おじさんの昔話をしてる場合じゃない。時間は限られてるからね、仕事しようか仕事」
「はいっ」
ポスター三点と、店舗ごとの特典フォトカードが七点の合計十カットが今回の仕事。窓辺のセットがあり、窓の外は夜の闇。
「時刻は?桐香さんが思う深夜は何時?」
「そうですね……、毎日一時前には眠るので……三時くらいですか?」
「じゃあ三時にしよう。午前三時。季節は秋。具体的には十月の中頃過ぎだ。日の出は何時かわかる?」
「わかりません」
「五時五十分。約六時だね。空の端が色づき始めるまであと三時間。君はあと三時間も一人で眠れぬ夜を過ごさなければならないんだ。何故朝を待つ?単純に明るくなるから?それとも大切な人が帰ってくるから?」
質問を重ねながら状況を二人で作っていく。言葉を発しながらも加賀美恭也はシャッターを切る。
◇◇◇
「よし、オッケー。桐香さんお疲れ様」
「お疲れさまでした」
トータル何枚写真を撮ったのかはわからない。現場の傍らに置かれたPCで写真を確認して加賀美は人差し指と親指で丸を作る。撮影を始めてから二時間が経っていた。
「欲しい写真あったら連絡先教えてくれればデータ送るよ」
後ろに立ち、画面を覗き込む白田はクスリと笑う。
「いつもそうやって女の子の連絡先聞いてるんですか?」
「あはは、そう。バレたか」
加賀美恭也は悪びれずにけらけらと笑う。
撮影も終わり、スタッフが撤収作業を行う中で二人は休憩がてら雑談をする。
「そういえば駅のポスター見た?君のとこの社長随分張り切ったよね、あれいくら掛かるか知ってる?」
ターミナル駅の線路の向こう側。五月と二人で見た写真集の宣伝ポスターの事だ。
「あ、やっぱりあれ高いんですか」
スタッフから差し入れられたコーヒーのボトルを開けて、加賀美は指を二本立てる。
「うん。半年でこの位。よっぽど君に期待してるんだね」
「に……?にじゅう……万円、ですか」
白田桐香は驚いた顔でスタッフからお茶を受け取るが、実際金額はもう一桁上だ。
「ううん、二百万。半年で」
「っんぐ!にひゃ……!?ちょ……大丈夫なんですか、それ!?」
二十万でさえ高いと思っていた白田は噴き出しそうになったお茶を危なく飲み込んで驚きの声を上げ、加賀美はそれをニコニコと眺める。
「大丈夫と思ってるから投資するんだよ。だからくれぐれもスキャンダルには気を付けて」
気を付けます、と答えたくは無かったので白田桐香はコクリと一度頷いた。