白雪姫といばらの呪い
◇◇◇
「ふふふふ~ん♪ふふ~ん♪」
九月のある朝、学校の最寄り駅を降りた白田桐香は鼻歌交じりにバッグを大きく振って歩く。
「おうおう、朝から露骨に良いことあった感出してんなぁお嬢ちゃん。ちょっと幸せ分けてくれよ~」
「こずえ。チンピラみたい」
委員長は伊吹こずえに冷ややかな視線を送った後で、口元を手で隠してニヤニヤと含みのある笑みを白田に向ける。
「桐ちゃん、もしかして……もしかする?」
「えっ……!?うん……」
思い出して顔を赤らめながらコクリと頷く。大きく振ったバッグは反動で伊吹の尻に当たる。
「痛っ!こらぁ!絶対後で詳しくだかんな!」
眼鏡をかけて、髪は二つに結わう。テレビや写真集からはだいぶ印象が違って見える。
伊吹も委員長も入学してからずっと白田の恋を応援してきた。それがやっと実ったと思うと感慨もひとしおだ。
白田桐香の写真集は新人の一冊目としては異例の売り上げを上げた。人気フォトグラファー加賀美恭也が撮った話題性に加え、表情や構図、物語性など緻密に作られたその一冊は従来の購入層である男性以外にも女性のファン獲得にも繋がったようだった。
必然学校での知名度や認知度も更に上がり、彼女の学校生活はさらなる喧噪に包まれる事になる。休み時間の度に違う学年からも多くの生徒たちが白田の事を眺めに来て、その中の少なくない生徒たちはスマホを向けて写真を撮るのだ。
「写真は撮らないで下さいねー。お願いしまーす」
両手を広げて伊吹こずえが立ちはだかりカメラから白田を守る。それでも一人では限界がある。見かねたクラスの男子数人も手伝ってくれるようになったが、明らかに学校生活に支障を来し始めてきた。
「発売されてすぐだからね。きっと何日もしたら落ち着くよね」
休み時間、木陰で昼食をとりながら白田桐香はのんきに笑うが、伊吹と委員長は懐疑的に眉を寄せる。
「いや。過熱する可能性も考えておかないとだよね」
「確かに。みんながみんなカメラ持ってるっていうのも考え物だよ、本当」
「ね。今日わたし何十人に撮られたんだよ、って話だよ」
「あ~、みんなのスマホ平気かな?」
「おい、ウイルスかわたしは」
二つ目の総菜パンをかじりながら伊吹こずえは委員長に睨みをきかせる。
「さて、そんなことよりそろそろ聞かせてもらおうか、桐香サン。新人タレントの初スキャンダルをさっ!」
「いやな言い方するねぇ」
「えっ……と、ね」
朝から予定されていた尋問。白田桐香は顔を赤らめて言葉を濁す。だが意外に満更でもない。昨日の夕方、雨野家のリビングのやり取りを本当は話したくてしょうがない。
「……初恋は五月くんだよ、って伝えて、手を握ったの」
自分で言って思い出してしまう。右手に感じた体温と、ずっと速く脈打つ心臓の音。自分の左手をきゅっと右手でつかんでみるがどこかひんやりと感じてしまう。
聞いている伊吹も委員長もだんだんと恥ずかしくなってくる。
「え、じゃあもうそれってさ。そういうこと?」
答えを先走る伊吹を手で制しつつ、委員長は質問を続ける。
「桐ちゃん。五月くんはなんて答えたの?」
「んー……」
少し考えてみて、飾り気なしの本心を見せてくれた五月の言葉をいくら親友とは言え許可なく話していいものかと思う。
「詳しくは言えないんだけど、今はまだ、って」
「えっ!?マジで!?フられ――もがっ」
危なく委員長は伊吹の口を総菜パンで塞ぐ。フられたなら白田がこんなに元気で上機嫌なはずは無い。
「桐ちゃん、今幸せ?」
ストレートな質問。白田は恥ずかしそうに微笑みながらコクリと頷く。
「うんっ」
「……わたしもこんな彼女欲しいなぁ~」
惣菜パンを食べながら伊吹こずえはため息交じりに呟く。
「え、彼氏じゃないの?」
「桐香ならおっけーだよ?全然いける。超かわいい。ちゅーしたい」
口を近づけてくる伊吹を白田は本当に迷惑そうな顔で押し返す。
「え、やだ。ダメ」
「……おぅ、ガチ拒否は結構響くぜ」
◇◇◇
「お疲れ様でーす」
都内某所にある古びた雑居ビルの一室にある小さな芸能プロダクション。
「おっ、桐香!おーい、沢入。桐香サンにお茶!いいやつな!とっておきのやつ!」
曰くニコチンもタールも入っていない加熱式喫煙具を口から離して、桐香のスケジュール管理も兼ねる秘書兼事務員の沢入を呼ぶ。
「はいはい、そう大きな声で呼ぶほど広くないでしょう。桐香ちゃ~ん、お疲れ様。低糖質でおいしいお菓子見つけたよ。これ本当においしいから。低糖質にしては、とかじゃなくて普通においしいの」
「わ、楽しみです」
机にはお茶と低糖質でおいしいお菓子。白田が二、三口食べたのを見計らって社長は口を開く。
「さて、桐香。まず、お前の写真集『白雪姫は眠らない』。早速重版が決定した」
傍らに立つ沢入女史はパチパチと拍手でそれを称える。
「新人の写真集が発売即重版なんて出版不況と言われている昨今中々無いことだ。ちなみに電子版の売上も好調だ」
「ありがとうございます」
そう言われても白田は売上げには特に興味もない。それにより喜んでくれる人がいるなら嬉しい程度のものだ、
「だがな、生憎うちとお前の契約は出来高制じゃ無いもんでな。写真集がいくら売れてもお前には一銭も入ってこないんだ」
得意げに言い放ち、加熱式喫煙具を一度ふかす。
「あ、そうなんですか」
お金が欲しくて芸能活動をしている訳では無いので、そんな事を言われても白田には一切響かない。きょとんとした表情の白田を苦々しい顔で眺める社長。
「お前な。もっとこうさ、『えっ!?何でですか!?』とか、『この守銭奴!』とか罵ってみろよ」
「え、嫌ですけど」
「こらこら、何でいつもそんな言い方するんですか。桐香ちゃんごめんね~、いつまでも中学生で。ほら、何か言うことがあるんじゃないですか?」
「あぁ、そうそう」
わざとらしく思い出した様に封筒を取り出してバンと机の上に置く。
「と言うわけでボーナス。取りあえず五万な」
本来振り込みで済むものをわざわざ現金で手渡しをする。
「えっ!?そんなの貰えませんよ!」
慌てて封筒を突き返す白田に社長は呆れ顔で煙を揺らす。
「はぁ?貰えよ。仕事だろ?」
「だってそんな大金。貰う理由が無いです」
社長は説明を諦めて沢入に投げる。
「沢入、数字教えてやって」
「はい。桐香ちゃん、桐香ちゃんの写真集が……一冊大体三千円でしょ?それで、今日の速報値でこの位売れてるの」
沢入は白田にタブレットを見せる。
「わかる?この数字×一冊の金額……幾らになると思う?勿論これ全部がうちに入る訳じゃ無いけどね。だから、そのお金はちゃん貰う理由があるお金なのよ?
皆が桐香ちゃんの写真集を気に入ってくれた気持ちの現れなんだから」
そう諭されて紙谷や、こずえや、……五月が写真集を買ってくれたことを思う。皆の気持ち、と言われれば受け取らない理由は無い。
「……じゃあ、ありがたく……頂きます」
封筒を手に取り白田桐香はペコリとお辞儀をする。
結果、白田桐香のファースト写真集はこの後も記録的なロングヒットを続けることになる。それは、いばらの呪いのように、少しずつ彼女を締め付けていく。