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甘い呪い

◇◇◇


 時計の針は間もなく夕方六時。雨野家のリビングは一瞬しんと静寂に包まれる。


 白田桐香は真っ赤な顔でジッと雨野五月を見据え、雨野五月はぽかんとした表情で白田桐香を眺める。


 緊張感に耐えかねて白田の表情は次第に返答を待つ照れ笑いへと変わっていく。


「……迷惑、だった?」


 数秒間のフリーズを経て五月はようやく我を取り戻し、首を二、三度横に振る。

「そんな訳無い」


 厳密に言えば、初恋の人が五月だと言ったわけでもないし今現在も好きだと言ったわけでもない。それでも、そんな細かい言葉を越えた表現力をその写真は持っていた。


 振り返り、向けられた視線は明らかに過去ではなく現在……そして未来を映していた。その視線はカメラマンの加賀美恭也に向けられたものだと思っていた。


 白田桐香は五月の事を考えたと言った。疑う余地など無く、告白に等しい行為だ。


 だが、五月は慌てる様子も舞い上がる様子も無く、困惑の表情を浮かべながら言葉を続ける。


「……今のは、告白されたって思っていいのか?」


 その表情で白田はもう結果を悟る。

「や、……その」


 何回も何回も頭の中でシミュレートしてきた。絶対に上手くいくとまでは思っていなかったが、少なからず勝算はあると思っていた。何度も一緒に帰ったし、何度もメッセージのやり取りをした。好意は隠し切れていなかっただろうし、二人で出掛けもした。容姿も整えた。雑誌に載り、テレビにも出て、写真集も発売された。


 それでもダメだったのだと悟ると抑えきれずに大粒の涙がポロポロと零れ落ちる。


「ごっ……ごめん五月くん。すぐ止める……すぐ止めるから」

 涙は開いた写真集に落ちて、写真の中の白田を涙で濡らす。


 慌ててバッグからハンドタオルを出して目を覆い、どうにか涙を止めようとするが、止めようとして止まるものでもない。


「うぅ~……、止まらないよ。ごめんね、せっかく買ってくれたのに。止まれ。止まれ。止まってよぉ……」


「白田。ごめん、違うんだ。泣かなくていい……、泣かないでくれよ」


 白田を宥める五月もどうしていいかわからずに泣きそうな顔だ。

 

 触れていいのかもわからずに、両手は白田の周りの空気を撫でるようにおろおろと動く。


「あー……、わかった。じゃあ泣いていてもいいから聞いてくれ。……と言っても俺自身上手く整理できていないんだけど」


 そう前置きをして五月は言葉を続ける。白田は目をタオルで覆い、嗚咽を抑えながらコクコクと頷く。


「まず……、ありがとう、か?白田がそう思ってくれてることは嬉しい。単純に、純粋に、素直に、嬉しい。俺に気を使ってくれているせいもあるのかもしれないけれど、話していても一緒にいても楽しい。きっと、……付き合ったとしてもそれは変わらないと思う」


 仮定の話を言って自分で顔を赤くする。普段であれば絶対に言わないような言葉達。でも白田の本気に応えるのだから、言葉を惜しむ場面ではない。


 聞きながら、いつしか白田の目はタオルを離れて五月を見ていて、小さく『ありがとう』と呟く。


 照れくささに耐えつつ一度頭をかくと、また申し訳なさそうに眉を寄せる。

「……でも、ごめん。まだ俺は自分が許せてないんだ」


 端から見れば『そんな事で』かもしれない。それでも、かつて白田桐香を傷付けていながら、今何食わぬ顔で彼女の好意を受ける事は五月にはどうにも許せなかった。


「……だけど、もしいつか――」

 言いかけて、余りにも都合のいい言葉に思えてしまい五月は言葉をつぐむ。


「待っててもいい?」


 大きな瞳はまだ涙に濡れているが、写真集のどこにも乗っていないような柔らかく優しい笑みを浮かべながら白田桐香はそう言った。


「いや、……でも白田にはこれからもっといい相手が現れるだろうから待ってなくても」

「あっ、と言う事はやっぱり断る為の口実なんだ?」

「それは違う!」


 珍しく慌てて訂正する五月にクスリとしながら同じ質問をぶつける。

「じゃあ待っててもいい?」


 いいも悪いも言えなかったが、きちんと伝わる様にハッキリと一度頷いた。それを見て白田桐香は漸く安心した様に笑みをこぼす。


「ふふっ。ならよかった」

「……よかった、のか?」


「うん、もちろん。今日はわたしの気持ちを五月くんに伝えられただけでもう大成功だよ」


 得意げに両手でガッツポーズを取る。そして、机の端に置かれたすっかり氷の解けた乳酸飲料のグラスを五月に勧める。

「あ、ほら。五月くん飲んで飲んで。氷解けちゃってるよ」


 五月は言われるままにグラスに手を伸ばし、ゴクリと一口飲むと白田をチラリと見る。

「……こんな味?」


 

「うん、こんな味。もちろんわたしにとってはだけど。わたしにとっては、……初恋は夏の味だから」


 白田の言葉を受けて首を傾げて少し考えてみるが、五月的には思い当たる節は無い。

「夏?虫取りとか?」

「ふふ、それはまだ秘密にしておこっか」


 そして読み途中だった写真集を最後まで見る。ラストページは天蓋付のお姫様ベッドで欠伸をする白田の写真だ。


「さっ……、五月くん的には」


 ラストページまで読み終わり、感想を聞く前に白田が先手を取る。


「……やっぱり水着とかあった方が良かった?」

 自分で言って顔を赤くして、ハンドタオルで口元を隠す。

「いや、そうでもない」

「だよねぇ……。わたし胸も大きくないし。太ってたときはもう少しあったんだけど……」


 がっくりと肩を落とす白田桐香。


「じゃなくて。……本当にお前何言ってんの?って思うだろうけどさ。仕事なのはわかってるけど、……あんまり沢山の人に見られるのはちょっと、と言いますか」


「見せるなら俺だけにしろ、ってこと?」

 顔を上げた白田は苦々しい顔の五月を見ると急に元気が戻ったようでニコニコと笑みが漏れる。


「や、そこまでは言っていない」

「ふふ、そっか。ごめん、調子に乗っちゃった」


 申し訳無さそうにしながらもどこか嬉しそうに白田は笑い、何か思いついたように人差し指と中指を使ってトコトコと机の上を歩かせる。

「調子乗りついでに一つお願いがあるんですけど」

 改まった物言いに五月も少し身構える。

「え、何だよ。出来ることであればまぁ少しは」


 トコトコ歩いた人差し指と中指は机の対面、五月の手の近くへと辿り着く。

「……うん、あのね。ちょっとだけ、手を触らせてくれないかなって、……思うんですけど、どうでしょうか」

 だんだん声のトーンを落としながら、五月の顔を窺うように尋ねる。手は伸びて、机に伏すような形になり、五月を見上げてじっと返事を待つ。


「え、まぁ……。そのくらいは、別に全然」

「本当?……ふふ、上陸開始っ」


 嬉しそうに笑い人差し指と中指は宣言通り五月の左手に登り始める。そして登り切るとそのまま手のひらを重ねる。


 重なった手に体温を感じる。手のひらから心臓の音が伝わってしまいそうなほど二人の心臓は速く鼓動を刻む。


「ねぇ、五月くん」


 手を重ねたまま、白田桐香は呟く。


「初恋ってね、呪いなんだって」


 自分で口にした言葉の響きを確かめるかのように少し間をおいて、言葉を続ける。

「それならわたし――」


「五月~、ただいま~!桐香ちゃんの本届いてる~?」

 白田の言葉を遮って雨野母の元気な声が玄関先から響き渡る。時刻は夕方六時半を少し過ぎた辺り。仕事が終わって帰宅する時間だ。


 二人は声を聞いて慌てて飛ぶように距離を置く。

 互いに顔は真っ赤で、心臓の音はもう繋がるんじゃないかという程に速い。


「お、おかえり」

 不自然なほど姿勢よく椅子に座った五月が軽く手をあげて挨拶をすると、同じく不自然なほど距離を置いて姿勢よく座った白田も深々と頭を下げて挨拶をする。

「お、おじゃまシテマス」


 それを見て母は状況を察する。

「あら~……。私こそお邪魔しました」


 引きつった笑顔を浮かべつつ、流れるような動きで再び玄関へと向かう。


「ちょっと……おばさん!大丈夫ですから!全然何もしてませんから!」

「そうだぞ!変な誤解すんな!おい!あっ、ほら母ちゃん!白田の写真集あるから!しかもサイン入り!白田、サイン!」

「うっ、うん!任せて!」

「そうだ、乳酸飲料も作ってやるよ!疲れてるだろ、ははは」


 再び室外へ出ようとする五月母を引き留めつつ互いの潔白を説明する。


 チラリと目が合うと、なんだか少し気恥ずかしくもある。


 大きな一歩を踏み出した九月のある日。呪いはきっと、まだ解けない。


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