リンゴの味
◇◇◇
別にやましいことをしている訳では無いが、一応きょろきょろと周囲を窺ってから玄関を開ける。
「ただいま~」
誰もいないことはわかっている。一応どこかの誰かに向けた『誰かいますよ』アピールだ。
「おじゃまします」
白田も小声で続いて入室すると、脱いだ靴を綺麗に揃える。流れで俺の脱いだ靴も並べてくれる。
「あ、ごめ」
「ううん、別に。癖だから」
「消毒する?」
「え、どこを?」
「や、指。俺の靴触ったろ」
靴を指さして俺が言うと、白田はクスクスと笑う。
「ふふ、変なの」
――よくわからないが、本当はわかっているのかもしれない。
玄関に置き配されていた荷物を抱えつつ頭をかく。
「まぁいいや。リビング行こうぜ」
例によって自室でなくリビング。机の上に段ボールを置く。なんとなくパンパンと手を合わせてみると白田は訝し気に俺を見る。
「何してるの?」
「ん、なんとなく。手袋とか要る?」
「要らないよ。ご神体とかじゃないんだから」
「あぁ、違ったっけ?そんじゃ開けますか」
多少のドキドキ感と共に段ボールを開封する。冷静に考えれば、中に入っているものはすでに今日本屋で見ているのに。
箱を開けると、中からは白田桐香ファースト写真集『白雪姫は眠らない』が現れる。知ってる。現れなければ返品である。
「あ、待った。麦茶入れる」
冷蔵庫を開けると、珍しく乳酸飲料の瓶が入っていた。おそらく母ちゃんのものだろう。俺が飲んだら怒られるかもしれないが、白田なら話は別だ。
「麦茶でなく乳酸飲料でいいか?」
瓶を見せると白田は嬉しそうに頷く。
「でもいいの?」
「大丈夫だって。母ちゃん白田のファンだから」
「……それはちょっと照れくさいけど」
グラスに氷を入れて原液を注ぐ。それを水で割ってクルリと氷をかき回せば完成だ。ひと手間掛かるがそれがまたいい。
「粗茶ですが」
「ありがと」
お互いにグラスに口を付けてふぅと一息。九月に入っても外はまだまだ暑い。
「さて、見ようぜ」
「うん!見よう」
そして俺たちは本を開く。
写真集の舞台はやはり沖縄だった。東京とは明らかに違う日差しの下、様々な衣服に身を包んだ白田がいた。
「やっぱり沖縄じゃん」
「……ぐ、だって言っちゃだめなんだもん」
常夏の森に似つかわしくないドレスを着て装飾のついた日傘を差す、そして次のカットではドレスは無造作に浜辺に脱ぎ捨てられていて、装いは涼しげな白のワンピースへと変わっている。澄ました表情は幾分開放的な微笑みになり、波打ち際で足を濡らす。
「ドレス暑くねぇの?」
「暑いよ?」
ドレスのことなんて聞きはしたが、俺の目はワンピース姿の白田から離れない。別にとりわけ白のワンピースが好きという訳ではない。いや、嫌いではないけれどそれよりもその表情から目が離れない。
ついページをめくる手が止まってしまい、不審がられる前に平静を装いつつページを捲る。
夕焼けの高台で空を見上げる。雑誌掲載のグラビアと違い、そこには何の説明も煽り文も無い。映画とも漫画とも違う。でも確かにそこには物語の様なものを感じることができる。
白田が見上げた空は星がよく見える。やがて雨が降っても白田はそのまま空を見上げている。まるで何かを待つようにずっと、空を見上げている。
不覚にもまた手が止まる。
「五月くん?」
「あ、悪い」
顔を上げると何故か白田が不安そうな顔で俺を見ていたので少し困惑する。
「眉間にシワ寄ってるけど」
「んー……、何て言われるかなぁって考えてたら自然に」
申し訳なさそうに笑いながら眉の間を指で触る。
「感想聞く?」
「……うん」
「まぁ正直な話――」
まだ不安そうな白田を安心させるように、って訳ではないけどニッと笑い言葉を続ける。
「すげぇだろ、これ。素人だから理屈はよくわかんねぇけど思わず見入っちゃったもん」
「本当!?」
雨雲が晴れるように、白田の顔もぱあっと明るくなる。
「そんなウソついてどうするんだよ」
「そっか!そうだよね、ふふふふ。あっ、次のページはね……」
写真集をめくろうとした白田の手が同じくめくろうとした俺の手と触れる。
「あっ!……ごごごめん」
大げさに見えるほど大きな動きで手を離し、白雪姫の顔は一瞬で真っ赤に染まる。
テーブルの端に置かれた二つのグラスは最初の一口から少しも減らず、汗をかいて机を濡らす。
「や、別に謝らなくても。消毒する?」
「しないよっ!」
白田桐香は真っ赤な顔で俺を真っすぐに見る。そして一度大きく息を吸って吐いたかと思うと、変わってちらりと表情を窺いみるように呟いた。
「つっ……次のページめくるね?」
ページをめくるごとに、新しい白田を見ることが出来た。時折普段の表情に近い写真もあるが、その差がまた表情の違いを際立たせることになる。
何ページかめくり、また手が止まり目が止まる。
その写真はTシャツにハーフパンツというラフな格好をした白田が振り返りこっちを見ているだけの写真だった。だが、文字も言葉も無いがその視線と表情だけではっきりと伝わる。――白田は恋をしているのだと。
視線の先には誰がいる?考えなくてもカメラマンだとわかる。もしかすると、別の人もいる可能性はあるが、例のイケメンカメラマンの加賀美なんとかって人だろう。
「その写真」
白田はグラスを両手で触れながら言葉を続ける。
「すれ違う初恋の人を見つけたような顔、ってオーダーだったんだ」
聞いていてなんだか胸の辺りがズシリと重くなったような錯覚を覚える。
「あ、そうなんだ。そういう指示が出るんだ、へぇ」
つい生返事を返してしまうが、白田は特に気にする様子も無くグラスに口を付ける。そしてゴクリゴクリと二口程飲むと、コトリとグラスを机に置く。
「だっ……、だから、さっ……」
言い澱み言葉を詰まらせる。目は少し涙目に見える。
「ごめん、ちょっと待って。もう一回」
手のひらを俺に向けて、小さく一度息を吸う。そして赤い顔で、まっすぐに俺を見て、白田は言った。
「だから……、五月くんの事を考えてたんだ」