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夏のイメージ

◇◇◇

 ――小学校低学年の頃、まだ体育もプールも男女一緒に教室で着替えていた。


 そして、プールの授業の後で三年に一度程の頻度で発生するイベントがある。正確に統計を取っていないが、年に一度は発生しないが四年に一度よりは発生する様な気がする。記録も取っていない為、記憶と印象に強く左右される不確かなもの。


「わははは、パンツ落っこちてんぞ!きったね~!」


 小学一年の夏、全員着替えが終わった教室でお調子者の男子が声を上げる。彼が定規で掲げ上げたのは白い女児用の下着だ。


 もう数年も経てば女性の下着に興味も出てくるのだろうが、小一の段階でそうであれば流石に先が思いやられる。


「おーい、だれのだよ~」

「このなかにひとり、ノーパンがいまーす」


 滅多に訪れない非日常の光景に一部の男子達は大盛上がり。そんな空気の中で手を上げられる女子がいるはずもない。


 白田桐香は真っ赤な顔で不必要に次の授業の用意を始めたり落ち着かない挙動を見せる。もう少し上の学年であれば誰それが怪しいなど名探偵が現れるのかも知れないが、この年代の男子はそこまで至らない。とりあえず、降って沸いた非日常を掲げて笑う。


「何騒いでるの、授業始めるよ~」

 担任の教師が入室する。

「せんせーい、パンツがおっこちてましたー」

 お調子者の一言でワッと教室が沸く。何だそんな事か、と教師は呆れ笑いを浮かべる。

「誰のなの?あー、名乗り出るのはちょっと恥ずかしいかな。じゃあ先生が預かっておくからあとで職員室に取りに来てね」


 一応の配慮はしたものの、職員室に向かうのを見られた時点で名乗り出るのと同じ意味を持つ事には思い至っていない様子。


 事実、白田桐香は職員室に行けなかった。


 毎休み時間ごとに行こうかどうかと考えては結局行けずに放課後になってしまう。


「しろた」


 不愛想な男子が白田に声を掛ける。


「えっ!?……なに?」


 男子は提出用の漢字ドリルを白田に手渡す。

「これ出しといて。忘れてた」

 突然の申し出に白田は眉を寄せて困り顔。

「え~?じぶんでもっていけばいいじゃん」

 と渋ってから、職員室に行くいい口実だと思い至る。

「……あー、うん。わかった。じゃあ今回だけだよ?」

「さんきゅー」


「五月ー、なにしてんだよ。早くかえろうぜ」

「おー。お待たせ。しろたが職員室にドリル持ってってくれるみたい」


 ご老公の印籠の様に、見える様にドリルを持ち大手を振って職員室へと向かう。


「え?雨野くんのドリル?もう返してるよ。ほら、丸付いてるでしょ?」

 渡されたドリルを開くと、今日の分には確かに丸が付いている。つまり、既に提出されて返却がされているものだ。


「でも出しといてって……」

 事情が分からずに首を傾げる。

「出したの忘れちゃってたんじゃない?ほら、あの子よく宿題も忘れるし結構忘れん坊じゃない?」


 いまいち納得できなかったが、考えてもしょうがない。

「あっ……あの、それで先生。今日の忘れ物なんですけど――」


 やっとの思いで忘れ物を回収する。そして帰り道に考えた。――もしかして、不愛想なあの子はわたしに職員室に行かせる為にわざと忘れた振りをしたんじゃないのか?と。


 登下校が一緒になる事が多いから、家の場所は知っている。自身の家から歩いてすぐのマンションの一〇六号室。


 ドリルを眺めながら考えていても何もわからない。それに宿題もあるから返しに行かなきゃと思い、母と一緒に五月のマンションを訪れる事にする。


「ん、あー。明日でよかったのに」

 面倒くさそうに五月はドリルをちょっとしたお礼のお菓子を受け取る。


「ちゃんと出してたって先生は言ってたよ?」

「あ、そうだっけ?忘れてた」


「……ありがとう」

 白田は真っ赤な顔で呟く。


 お礼を言われる事などあまり経験の無い五月は照れ臭そうにぶっきらぼうに答える。

「別になにも。早く帰れよ」


「うん……!また明日!」


 ――幼い日に抱いた気持ちが恋の始まりだとしたら、その日の事は明確に覚えている。青い空と白い雲。確かに彼女の初恋は夏っぽい味なのかもしれない。



◇◇◇


 週に二回のコンビニアルバイトは夏休みも続く。夏休みだからと言って頻度が増える訳では無い。


「百五十一円です」


 上がりも間近な夜十時近く、何食わぬ顔で白田は乳酸飲料をレジに持ってくる。先日飲んで気に入ったのだろう。


 今日は支払いは現金での支払い。二百一円渡してきたので五十円のお釣り。レシートと共に手渡すとニコリと微笑み店を出る。もう何度も来ているので、流石にレジで話しかけてくるような事は無くなった。隣のレジに入っているバイト仲間の葛西さんがニヤニヤと含みのある視線を俺に向けているのがわかる。


「……なんすか?」

「彼女?」

「違いますよ。何を見ればそうなるんですか」


 俺の反応がお気に召した様子で、葛西さんは楽しそうにケラケラと笑う。

「そう言う言い方はお互いの為に良くないから適度にぼかした方が良いと思うよ~?『どうですかねぇ』辺りで。もし本当に違うならあっちが否定してくれるから」

「あ、そうっすか。多分やらないけどあざっす」


 そんなやり取りをしている内にバイト時間は終了。


「お疲れ様」


 いつもの様に従業員口の近くで白田は待っていた。

「白田もな。遅くまでお疲れさん」

「ふふふ、ありがと。はい、差し入れ。飲んで飲んで」


 そう言って上機嫌にさっき買ったばかりの乳酸飲料を差し出してくる。


「何だよ。まぁ頂くけどさ」

 喉は乾いているので遠慮なく頂く。ゴクリゴクリと四分の一程が身体に染み渡る。美味い。仕事明けの甘い飲み物は格別だ。



「おいしい?」


「まぁうまい。乳酸菌のやつは大概うまいよな」


「へぇ。どんな味?」


 ニコニコとしながら俺の表情を窺ってくる。キャップを開けてもう一口ゴクリ。


「どんな味も何も乳酸菌飲料の味だよ」


 と、答えて白田が求める答えに気が付いた。


「……あのさ、こないだも言ったけど『初恋の味』ってのは只のキャッチコピーであって真実じゃないからな?」



 呆れ顔で白田に苦言を呈するが、特に気にする風でもない。


「そう?わたしは意外に合ってると思ったけど」


「へぇ、そうっすか」


 確かさっぱりとか夏っぽいとか言っていたっけ。


「てことは白田さんの初恋のイメージは夏なんすね」


 白田は少し考えた後でコクリと頷く。


「……そ、そうだけど?」


 その後は暫く二人とも無言だった。


 多分あんまり関係ないけど、今も夏だなとは思った。

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